イベントが始まったようです
「な、なんだあれは……⁉︎」
「演習ででる魔物じゃないぞ! それに数が多い!」
子爵令息と、伯爵令息は揃って声を上げた。その声は隠しきれないほど、恐怖に彩られて震えている。
わたくしも恐怖を感じながらも、メアリー様の言うイベントが始まったのだと理解した。
歯を食いしばらないと、震えて音が出そう。けれどここで無様な姿を見せるわけにいかない。
一度深呼吸をする。両手をきつく握り、手を離した。
よし。
「皆様、これは異常事態でしょう。明らかにこの演習では出ない魔物ですもの。良いですか。戦わず、相手に気づかれないようにしながら逃げましょう」
演習では、初心者でも狩ることができる狼タイプの魔物が出る予定だった。動きは早いけれど、連携すれば倒せるのだ。だからこそ初めての演習でも選ばれることが多い。
しかし、今いるのは優に3メートルは超える大きな熊だった。もちろんただの熊ではなく、両手には大きな爪、犬歯は異常な程の発達を見せ涎を垂らしていた。
その熊タイプの魔物が5頭。まず勝ち目はない。どころか死ぬ可能性もある。
ここは見つからないように撤退し、殿下達と合流するのが安全だ。
「はい、逃げましょう。俺が殿を務めます」
「お願いするわ。わたくしに地図を貸して。先ほどの貴方のおかげで動きやすい道は把握できているから、わたくしが先頭に立つわ」
伯爵令息に指示を出し、今度は子爵令息の方を向く。
「貴方は周囲の警戒を。確か土属性を使えるのよね?」
「はい」
「では魔物の気を逸らすのに魔術を使うかもしれないわ。いつでも放てるようにしておいて。それから、彼女のこともね。負担が大きくなってしまうけれど大丈夫かしら?」
「大丈夫です。それより先頭と殿を務める彼の方が危険なのですから、このくらいどうってことありません」
「頼もしいわ。よろしくね」
そして、再び震えてしまっている伯爵令嬢の両手を包み込むように握る。
「良い? とにかく逃げる事を考えるのよ。怖いのは分かるわ。けれど、それで動けなくなってはダメ。足は必ず動かして。皆で逃げ切るのよ」
「スタンホープ侯爵令嬢……。っはい」
よし、なんとか精神面では大丈夫そう。
「さあ、なるべく屈みながら初めは行きましょう。走りたくなるけれどまだダメよ。あの魔物はかなり敏感だし、刺激しないように注意しましょう」
そういうと、3人とも頷く。
まずは来た道を慎重に戻ろうとするが、足音ですら過敏に反応しているのが分かった。
「……このまま逃げるのは気づかれてしまいそうね」
「そうですね。……注意を逸らしますか?」
「出来るかしら?」
「やってみせます」
力強く言って見せた、子爵令息に笑う。
静かに集中し、小さな声で詠唱する。
「大地から生まれ、彼モノの行く手を阻め 【石塊】」
するとわたくし達と反対方向、魔物達から近いところの小さな崖に頭くらいの大きさの石が生える。
うん、生えるようにニョキっと出てきた。なんだかシュールだ。
そのまま重さに耐えられなくなり、大きめの音を立てながら落ちた。
もちろん魔物達が聞き逃すはずもなく、そちらに向かっていく。
これで注意は反らせた。けれどもう少し念を押したい。
わたくしは詠唱を始める。
「我らの母よそのおおらかなる力を我に【静謐】」
魔力が流れるのと共に、わたくし達と魔物の間に大きめの水溜まりを作る。元々ぬかるんでいるから、さらに水分を吸って足場が悪くなるでしょう。
追いかけてきたとしても、少しは時間稼ぎになるはず。
3人の顔を見る。一番心配していた伯爵令嬢も、恐怖は和らいでいないけれど逃げられそうだ。
「さあ、今のうちに行きましょう」
「「「はい」」」
慎重に、けれど速足で戻る。
追いかけてこない事に3人は安心しているようだけれど、きっとこれだけじゃ本当に時間稼ぎにしかならないだろう。
なんとか、殿下達に合流しないと。
わたくしは心の中で、気合を入れ直した。




