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第三章

3



 翌日、待ち合わせのため鮮やかな黄色い屋根が特徴的なバールの前に立っていると、赤毛をふわふわ揺らしてルカが小走りで現れた。後ろにイヴァーノの姿はないようだ。

 辺りの人混みを見回すと私の意図を察したのか「バイトのヘルプに行ったよ」と彼はため息をついた。


「昨日夜勤って言ってなかったっけ?」

「そう。夜警(やけい)の仕事して、帰ってきたと思ったらすぐカフェの仕事にヘルプで呼ばれた」


 寝ずに別のバイトとは随分働き者らしい。情報屋の一員というより、ルカの手伝いもアルバイトの一つなのだろう。


「大変だね」

「体力だけは有り余ってるから大丈夫でしょ。よく夜勤明けに自転車でランチの配達して回ってたし」


 私たちは並んでカルロの家へと足を運ぶ。留学して最初はコンクリートとは勝手が違いすぐに疲れていた石畳(いしだたみ)の路面も、もう慣れたものだ。

 目的地までは徒歩五分程度。せっかくなので私は気になっていたことをルカに質問してみることにした。


「ルカ君とイヴァーノ君て、兄弟──ではないんだよね?」

「違う。同じ孤児院の出身」

「孤児院……」

「僕は赤ん坊のころから(そこ)で育ったけど、イヴァーノは両親を火事で亡くして、七歳の時に兄と一緒に来た」


 私は今までの人生において、二人のように両親のいない境遇の人と出会ったことがない。無神経なことを聞いてしまったと、どう反応すべきか困り口をつぐむ。

 そんな私を察してか、ルカはあっけらかんと「別にいいよ」と言った。


「イヴァーノは知らないけど、僕はそもそも生まれた時からそうだから、悲しいとか大変とかそんな風に感じたこともない」

「そっか。ルカ君て今いくつなの? 学校は?」

「十六。高校は辞めた」

「あー、なるほど」


 この国の義務教育は十六才まで。高校が十四才からの五年制のため、在学途中で義務教育が終了する仕組みになっている。それによって、働くために高校を中退する人も少なくないと聞いたことがあった。

 情報屋なんて仕事をしているくらいだし、昨日の感じからしても少なくとも機械系に強いのはわかる。進学を選ばなかったことを勿体無いと感じなくもないが、当然彼には彼の事情があるのだろう。


「ユキさんは日本人で大学に留学、ってことは、二十才くらい?」

「そうだよ、当たり」

「見えないね」

 ルカは躊躇なく言った。……複雑だ。


 確かにアジア人はどうしても若く見られる傾向があるし、私自身そう扱われることも少なくない。しかし、そういう彼もまた小柄で童顔な方だろう。ややふっくらとした頬なんかはまだあどけなさを感じさせる。

 私とあまり背丈の変わらないルカを見つめると、彼は意図がわかったのか眉根を寄せ「なに」と嫌そうな声を出した。





 ほどなくして小さな噴水のある広場を通り過ぎると、立ち並ぶ住居の中の一軒へとたどり着いた。この国ではメジャーな石造りで、ベージュのペンキで塗られた壁に映える緑の窓枠にセンスを感じる。

 ルカは二階建ての物件を見上げると、ぽつりと「贅沢だよね」と呟いた。確かに、家賃が高騰(こうとう)しつつあるこの街で学生が一軒家を借りることはなかなかない。


「ここはもともと親戚の家で、今は住む人がいないから格安で貸してくれてるんだって」

「ふうん、(うらや)ましいな」

「ルカ君はシェアハウス?」

「今はシェアハウスしてるイヴァーノの部屋に間借り」

「そ、それは(せま)そうだね……」

「部屋探し中なんだ。お金ならあるけど、親のいない未成年だからなかなか契約に行きつかなくて──ホテル暮らしも飽きたし」


 私が玄関を力強くノックすると、やや建て付けの悪い扉が開かれ、見慣れた顔が現れた。眠たげな目をごしごしと擦り、黒髪は寝癖だらけだ。もうお昼過ぎだというのに起床したばかりなのだろうか?


「いらっしゃいユキ。……で、お前が情報屋? 中学生?」

「十六」

「へえ、若いのによくやるな」


 ずり落ちていた鼈甲(べっこう)眼鏡を持ち上げそう言うと、ピエトロは私たちを家へと招いた。彼は人見知りなのか知らないけれど、特に初対面の相手に対してはつっけんどんな物言いをしがちだ。かくいう私も、初めてこの家に(まね)かれた時には散々な言われようだった。口を挟むべきかと思ったが、ルカも慣れているのかツンとした態度を崩さずにいた。


「カルロの部屋は二階に上がって右手、好きに見ていい」

「……兄が帰ってこなくなってもう六日でしょ? 心配にならない?」


 ルカの問いに、ピエトロはヒラヒラと手のひらを振った。

「誰かの家に一週間泊まりっぱなしって事もあった。成人した男の行き先なんていちいち気にしないだろ」

「……そう」

「何も持ち出すなよ? 後でカルロに騒がれても困るから。ユキ、コーヒー飲むか?」

「ううん大丈夫、ルカ君と部屋を見せてもらうね」

「ああ」


 ピエトロはリビングに残るようなので、私たちは揃って階段を上がった。

 友人という距離感の時からここには何度も訪れた。家主不在の部屋に入るのは少し躊躇(ためら)われるが、思い切ってドアノブを捻る。

 しんとした部屋と篭った空気にひどく寂しさを感じた。ピエトロは換気もしていないのだろう。私はすぐに窓を全開にした。


「ユキさんは前来た時と何か違ってるところがないか思い出して。僕は勝手に漁るから」


 ルカはまず机に向かうと、置かれたままのノートパソコンを起動した。中身を(あらた)めるつもりのようだ。私は部屋の中をくまなく見渡しつつ、定位置となっていたソファに腰掛ける。

 よくここに座って、ホームプロジェクターで白い壁に映画を投影して楽しんだものだ。一緒に勉強もしたし、ひたすら語り明かした夜もある。

 私の留学生活はまるで遅れてきた青春のようで、そのほとんどをカルロと一緒に過ごした。


「あっ」

私が声を上げると、パソコンに向かっていたルカが振り返った。


「帽子がない。あと気に入ってた茶色いジャケット。よく着るからって、ここらへんに掛けてたの」

「──順当に考えれば、失踪した時に身につけていたって可能性は高そうだね」

「……そうかも」


 他にも何かないかと見回すが、どうにも思いつきそうにない。部屋の小物を手に取ってみたり、課題を進めていたのだろうノートを捲ってもそれは変わらず。

 しばらくしてルカの背中に「水をもらってくるね」と言い、私は気分転換もかねて一階へと降りた。





「何か見つかった?」

「特には……」

「だろうね」


 ピエトロは未だ興味なさげだ。テレビをつけたまま一人がけのソファでスマホを弄っている。髪の毛は相変わらずあちこちに跳ねたままで、ブラシをかける気はないらしい。

 私が水を貰いたいと告げると、ありがたいことに冷蔵庫で冷えていたボトルを二本差し出してくれた。


 ボトルを持つ彼の右手には大きな時計が着けられている。無骨(ぶこつ)なデザインのそれは父親からのお下がりだそうで、いつでもピエトロの手首に巻かれていた。

 その時計のベルトから絆創膏(ばんそうこう)が覗いていることに気づき、傷に触れないよう彼の手を軽く掴む。


「手を怪我したの? 大丈夫?」

「……平気だよ」


 すると詮索(せんさく)されるのを嫌がるように、やや強引に引っ込められてしまった。その眉間には皺が寄っている。


「あ、ごめん」

「ちょっと怪我しただけだから。気にしないで」


 傷に擦れるだろうにわざわざ上から時計を? 少し気になりつつも、私は「そっか」と引き下がることにした。彼は微笑むと私の髪を僅かに指先で()き、テレビの前へと戻っていった。



 ボトルを手に再びカルロの部屋へ向かう。ルカは今度はパソコンではなく、ファイリングされていた書類を見ているようだった。


「ルカ君、お水もらってきたよ」

 私の声に彼はやや大袈裟に肩を跳ね、「そう」とどこか忙しない様子でファイルを閉じ棚へとしまった。


「何の書類?」

「別に……あー、あんまり見るべきじゃない個人情報とか」

「悪用しちゃだめだよ?」

「するわけないでしょ」


 ボトルの一本をルカへと手渡したが、受け取った彼はそれをじっと(にら)むだけだ。私が首を傾げると、ルカはまたボトルを私へと差し出した。


「……開けてくれない」

「え?」


 予想もしなかった言葉に思わず聞き返すと、彼はむすりと不貞腐(ふてくさ)れた顔をした。

 もしや、驚くほど握力がないとか?

 代わりにキャップを回してやると、ルカはようやくそれに口をつけた。


「……ペットボトルも開けられないほど非力なのかと思ったでしょ」

「えっと、まあ……」

「まだあまり手に力を入れられないんだよ」


 彼が掲げた右手には指抜きグローブがつけられている。私はてっきりお洒落(しゃれ)なのかと思っていたが、どうやらそれはサポーターの役割をしているらしかった。


「ちょっと前に事件に巻き込まれて、ナイフで刺されたんだ」

「──えっ? 大丈夫なの!?」

 つい大きな声が出てしまう。

貫通(かんつう)したけど神経とかは無事」


 こんなか弱い少年をナイフで傷つけるなんて、どんな(やから)の仕業だというのか。顔も知らぬ相手に(いきどお)っていると、ルカは腕を組みふんと鼻を鳴らした。


「トスカーニにはたんまり報酬をもらったし、治療費も当然出させてるから」

「ルカ君はトスカーニとずっとお仕事をしてるの?」

「ずっとじゃない。その事件で存在を知られて──それからちょくちょく呼ばれたりするだけ」

「こんな怪我までして辛くない? 怖かったでしょ」


 覗き込むように掴んだ肩は非常に華奢(きゃしゃ)だった。

 ……ちょっと子供扱いし過ぎだろうか。

 思わずあやす様な声色になったが、彼は意外と素直に受け入れていた。


「僕は別に、僕の目標のためにトスカーニを利用してるだけだし。それにその……」

「ん?」

「ダ、ダンテさんに褒められるのは……悪くないから……」


 どうやらルカはトスカーニのボス、ダンテに憧れているようだ。照れた様にぽそぽそと口先だけで呟く素直になりきれない様子はあまりに可愛い。

 無意識にその頭を撫でると、流石に嫌だったのかぺちっと弾かれてしまった。





「これ以上の収穫は無さそう。引き上げよう」


 手早く持ち込んだパソコンをしまったルカにそう(うなが)され、渋々カルロの部屋を離れた。結局帽子とジャケット以降、私は力になることが出来ずじまいだ。



 リビングへ戻るとピエトロはパソコンで課題をしているようだった。彼は授業態度はかなり真面目らしい。私たちの気配に振り返り、やれやれと言った様子でメガネを持ち上げた。いい加減その鼻当てのネジを締めてあげたい。


「帰るのか?」

「うん。今日はごめんね急に」

「──それは何をしてるの? フランス語だよね」

 ルカが腰を(かが)め、興味深そうにパソコンの画面を覗き込む。ピエトロはそんなルカをあしらう様にしっしと手を振った。


「今度提出するレポートだよ」

 その言葉に私も驚き画面をまじまじと覗き込んだ。


「え……フランス語、わかるの?」

「そりゃペラペラってわけじゃないけど、授業受けてるし」

「あー、だけど……。ほら、すごく難しいって言うじゃない」


 確かにそのレポートはフランス語で書かれている様で、私には内容がさっぱり読めそうにない。彼が他言語を学んでいるなんて初耳だ。感心しきりの私の横で、ルカが「ねえ」と呼びかけた。


「カルロ……さんもフランス語の授業受けてたの?」

「あいつは俺と同じ授業は受けないよ」

「そう……」


 ルカは難しい顔をして唇に触れていたが、やがて体を起こしリュックを背負い直した。

「それじゃあ、どうも」

「ありがとうピエトロ。また」

「ああ」



 玄関を出ると、その場でルカは「大学に行きたい」と私の服の袖を軽く引いた。


「今から?」

「誰か知り合いに話を聞こう」

「私も色々聞き回ったりはしたけど……」

 その面持ちからして、どうやら彼の意見は変わらないようだ。

「わかった、すぐそこだし行ってみようか。試験前だしきっと誰かはいると思うよ」


 私の言葉に頷き、ルカは身軽に玄関の段差をひょいと飛び降りた。




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