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第二章

2



 ジャンがドアを開けると、顔を出した赤毛の少年はビクリと一度体を震わせた。ジャンの「こんにちは」という柔らかな声色に対して、俯き加減に小さく「どうも」と呟く。


 ……どこかジャンを恐れているようにも見えるけれど、今の私ならその気持ちもわからなくもない。少年を見下ろす彼はどこか剣呑(けんのん)な眼差しをしていた。


 赤毛の少年の後ろにはもう一人背の高い短髪の青年がおり、彼は対照的に人好きのする笑みを浮かべている。ジャンと交代するように彼らは応接室へと入ってきた。この二人が情報屋だろうか?


「少年たち待ってたよ」

「……どうもアドルフォさん」

「こんちは!」

 青年の明るい声は、漂っていたシリアスな雰囲気をがらりと変えた。


「相変わらず元気いいねイヴァーノ君。バイトは?」

「今日は夜勤(やきん)なんで」

「そっか。お兄ちゃんが付いてきてくれて心強いね、ルカ君」

 アドルフォの悪戯(いたずら)な顔に、ルカと呼ばれた小柄な少年はこれでもかと顔を(しか)めた。


「お兄ちゃんじゃないし、僕は必要ないって言った」

「なんだよルカ、ツレないなー」

「日が昇ってから帰ってきたんだから、また夜勤の時間まで寝てればいいだろ」


 刺々(とげとげ)しく言っているように見えて、彼はどうやらイヴァーノを気遣っているらしい。なるほど、素直じゃないタイプのようだ。


「ハイハイ、それじゃとりあえず。こっちの赤毛君がルカ、こっちの爽やか君がイヴァーノ。彼らが情報屋だよ」

「……日本人?」

 ルカがポツリと口にする。


「あ、そうです。私はユキ・サワネといいます。よくわかりましたね?」

「なんとなく。……別に堅苦しく話さなくていいよ。あなたの方が年上でしょ」

「あ、うん。ありがとう」


 何故か隣でアドルフォがニヤついているような気がするが、それは置いておこう。ふいと横を向くルカとは反対に、爽やかな笑顔でイヴァーノは「よろしくユキさん!」とこちらへ手を差し出した。彼はとても社交的なようで、どことなく大型犬を思わせる。握手をした手はぶんぶんと上下に振られた。


「それで、呼んだのはこの人のことで?」

「そう。……ごめんねユキちゃん、もう一度話してくれるかな」

「はい、勿論です」





 全員が席につくと、私はアドルフォにした話を二人にも聞かせた。途中ルカとイヴァーノへ紅茶を運んできたジャンも、今は壁際に立って耳を澄ませている。

 少年たちが相手ということもあり幾分か心を落ち着けて話せたように思うけれど……ルカがティーカップに角砂糖を五つも投入したことに動揺したのは否めない。どうやら彼はかなりの甘党らしい。


「つまりその彼氏を見つければいいんだね? とりあえずやってみるけど」

 ルカはそう言いながら、自身のリュックからノートパソコンを取り出し膝に置いた。


「彼氏の家の住所は? あと、メールアドレスと、あればSNSのアカウント」

「え、あ、えっと……はいこれ」


 住所を紙に書き留め、ルカへと渡す。メールアドレスとSNSは何に使うのだろうか? 言われるままにそれも提示すると、パソコンのキーを素早く叩き始めた。


「ふーん、SNSの最終更新は三ヶ月前。あんまり更新するタイプじゃないか」

「うん、そうだね」

 彼の言葉に首肯(こうしゅ)した。

「最後の投稿、付き合い始めた報告とキス写真」


 私はその白けた視線になすすべなく両手で顔を(おお)い隠した。

「……ごめん引かないで。カルロがどうしてもって……」

「え、付き合って三ヶ月でもう婚約したってこと?」


 イヴァーノが首を傾げこちらを見たため、私は「友達期間が長かったから」と返す。なんとなく言い訳がましくなったけれど、別に特別おかしいことではないだろう。実際にゴールインしたわけではないし。


「まあ一番盛り上がる頃よね」

 そのアドルフォの茶々には目を逸らした。


「……なるほど。監視カメラを見てみたけど、カルロ・ドナーティの住んでる家は裏口が死角になってる。裏は林で流石(さすが)にカメラの数も少ないし、これじゃ正確な出入りはわからないな」

「監視カメラ?」

「街中にあるあれだよ」

「ああ……」


 この街にはいたるところに監視カメラが設置されており、その全てをトスカーニが管理しているらしい。住み始めた当初はその膨大な数に安心もあれど、どこか気が抜けないなと感じたのを思い出した。


「あれは三十年以上前──それこそトスカーニが創立される前に起きた連続殺人事件をきっかけにして設置されたんだ」

 アドルフォは眉尻を下げ、なんとも言えない笑みを浮かべていた。


「この街の防犯のためだよ。トスカーニの協力者だったセルジさんっていう人が八年の歳月をかけて、設置の許諾(きょだく)を得るための署名を集めたんだ。当時のトリヴィエッツェの住人約六十八パーセントのね」

「……六十八パーセントって、すごい数ですよね……?」


 流石に三十年前のこととなると、この街出身だろうイヴァーノですら知らなかったようだ。ぽかんと口を開けている。アドルフォは顎に手を当てルカの方を向いた。


「街中かけずり回って頭を下げ続けたんだ。そうして今、様々な事件は勿論、ユキちゃんの調査にも役立ってる。……そのありがたさはわかるよね?」

 どこか嗜めるようなそれに、ルカは軽く口を引き結ぶのみだった。


「……悪用はしたことないし、今後するつもりもないよ。それよりユキさんの彼氏──カルロ・ドナーティがいなくなる前、予兆(よちょう)かなにかなかったの?」

「予兆?」

「置き手紙とか、いざこざがあったとかそういうの」

「カルロは誰とでも仲良く出来る人だったよ。揉めてるなんて話は聞いたことがないし、メールも電話も……」


 残念ながら教えられそうなことはなにもない。

 ルカは眉間に皺を寄せて柔らかそうなクリクリとした赤毛をかき回した。今度はイヴァーノが身を乗り出す。


「カルロさんの家に行けないかな?」

「え、カルロの?」


ルカもそれに頷く。

「確かに。何か証拠が残ってるかもしれないし」

「いいねー少年たち乗り気だね」

彼らの様子に、アドルフォはピュウ、と口笛を吹いてみせた。


 私は慌てて「聞いてみるね」と言ってスマホを取り出した。同居している弟のピエトロのスマホに、部屋を見せてくれないかという内容のメールを送る。いくらなんでも突然訪ねるわけにはいかない。ちょうど彼は端末をいじっていたのか、すぐに返信が来た。


「今日はピエトロの帰りが遅いみたい。明日なら大丈夫って言ってるよ」

「そっかあ……まあ、向こうにも都合があるよな」

「兄がいなくなってるっていうのに悠長(ゆうちょう)なもんだね」

 ルカは呆れたようにパソコンを閉じた。


「ピエトロは失踪とは思ってないし、それにその、二人はそんなに仲良くはないんだよね」

「実の兄弟なのに? 俺たちは血が繋がってなくても仲良いよなルカ」


 肩を組まれたルカは「鬱陶(うっとう)しい」とその腕を避けたが、私にはどうにもまんざらでもなさそうに見えた。彼らは一体どういう関係なんだろう。友人というには年が離れている気がするし、義兄弟? 幼なじみだろうか? 


「カルロとピエトロは双子だけど色々と正反対で……同居していると言っても、生活もほとんどバラバラ」

「そりゃまあ兄弟だからって無条件に仲良しこよしではいられないさ。俺も兄貴とは基本意見が合わないし」

 そうアドルフォは頷く。


「え、アドルフォさんも兄貴いるんですか?」

 イヴァーノがそれに反応した。『も』ということは彼にも兄がいるらしい。

「いるよー。ニュースとかで見る機会あるんじゃない? オズヴァルドの弁護士してるし」


 すると引きつった顔でイヴァーノは「え、まじ……」と漏らした。彼はオズヴァルドと何か因縁(いんねん)がある様子だ。

 アドルフォはそれを面白がるように眉を吊り上げると、チラリと壁の時計を見た。そして話はお終いとばかりに、肘掛けにパンと手のひらを置く。


「それじゃ、一旦この件は少年たちに預けていいかな? あ、勿論ユキちゃんは何かあってもなくても、いつでも俺に連絡してくれていいからね。これ連絡先」


 差し出された名刺には、個人携帯の番号が手書きで添えられていた。事前に用意されていたということはアドルフォはいつもこの調子で連絡先を渡しているんだろう。人差し指と中指の先で挟まれているそれを、私は会社員のやり取りかのように会釈(えしゃく)しながら両手で受け取った。


 ルカとも番号を交換し、今日のところは一旦お開きとなる。カルロ探しに進展があったかというと──今のところはまだ正直なんとも言えない感じだ。


 ふと、しばらく口を開いていないジャンが視界の端に入る。彼は「ジャーン、みんな帰るってさ」というアドルフォの呼びかけにようやく顔をこちらに向けると、無機質な表情のまま部屋の扉を開け放った。



 


 その夜、私はベッドに横になるもなかなか寝付けずにいた。この気持ちは、焦燥、不安、恐怖──全てが()い交ぜになっているような、なんとも形容し難いものだ。

 枕元にあったスマホを手に取ると、私はピエトロの携帯に電話をかける。深夜にも関わらずワンコールで電話を取った彼は『ユキ?』と訝しげに私の名前を呼んだ。


「……急に電話してごめんね、私、どうしても不安で……」

『ユキは本当に心配性だね、大丈夫だって』

「そうなのかな……」

『明日来るんでしょ? 早く寝たほうがいい』

「……眠れない」

『前もそう言ってた。うちに泊まりに来た日、枕が変わると眠れないって。でも結局話してるうちに寝落ちして、朝まで爆睡だったじゃないか』


 私が「そんなこともあったね」と笑うと、電話越しに安心したようなため息が聞こえた。


『おやすみユキ』

「おやすみ」


 通話を終え、暗い室内で眩しい画面を見つめる。ルームメイトがシャワーを浴びているらしい。その水の音に耳を澄ませながら、私は重たい瞼をそっと下ろした。



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