高雅
「……おき……おーい! 起きるのだ、愛おしい人よ!」
肩を揺すられる。
俺は、無言でゆっくりと布団に潜り込んだ。
「あぁ……起きておくれよ、祭りが始まってしまう」
「……眠い」
「そうだろうとも、昨日はあんな水底まで来てはしゃいでいたのだからね……」
せんゆう様は、呆れた様にそう言った。
だが、それは誤解だ。
誤解は正さなければ。
「はしゃいでいた訳ではない。溺れていたんだ」
「それでは、はしゃいでいた方がまだマシではないか……」
せんゆう様はため息を吐き、俺を布団から引っ張り出そうと手を伸ばす。
俺は布団を守るべく格闘していたが、割とあっさり敗北した。
……しかし、眠いものは眠いんだ。
俺は諦めて掛布団なしで眠る事にした。
「ほら、もう寝ていて良いから、背負わせておくれ?」
「あぁ……分かった」
俺はノロノロと立ち上がり、せんゆう様の小さい体にもたれかかる。
潰れやしないかと少し心配になったが、存外せんゆう様の背は安定していた。
まあ、今は見かけこそ幼女でも、昨日は大蛇だったんだ。
俺の重さ程度では潰れないのも当然か。
背負われたまま、せんゆう様が一歩進むたびに体が揺れる。
なんだか、子供の頃に戻ったみたいだ。
尤も、俺の幼少期には背負われて移動した記憶など無いが。
ボンヤリと薄目を開けて、前方を眺める。
どうやら、せんゆう様は社の前にある鳥居を目指しているようだった。
鳥居を通れば、神域から出られるのだろうか?
せんゆう様に背負われたまま、俺はゆっくりと鳥居を通り抜ける。
どうやら、俺の予測は正しかったらしい。
まるで水面が波打つように視界が揺らぐ。
そして波紋が収まると、俺は知らない山中に居た。
目の前には、真っ直ぐに伸びる石の道。
道の両側に整然と並ぶ、和服を纏い楽器を構える大人達。
真正面には、幕で囲われた荘厳な広場。
石の道に、せんゆう様が一歩踏み出した。
瞬間、ずらりと並んだ和服の大人達が楽器を奏で始める。
雅楽というやつだろうか? 随分と壮大で、派手な演出だ。
俺は今更ながら、幼女に背負われている事が恥ずかしくなってきた。
というか、幼女に背負われてる男子高校生って、普通にヤバいだろ。
これで、せんゆう様が大蛇の姿なら格好もつくのだが……いや、違うな。
俺は何も間違っていない。
幼女だろうが、大蛇だろうが、せんゆう様はせんゆう様だ。
神に背負われているという現状が、格好つかない訳がない。
であれば、堂々としていよう。
俺は、せんゆう様に背負われたままピンと背筋を伸ばし、真面目くさった顔で和服の大人達を睥睨した。
随分と練習してきたみたいだな……俺を見ても微動だにしていない。
俺が偉ぶって周囲を見渡していると、せんゆう様が小声で話しかけてくる。
「……愛しい人、ちょっと良いか?」
「なんだ?」
「起きたのなら、自分で歩いて欲しい……」
「あ……うん、それはそうだな、うん、ごめん」
俺はそそくさと、幼女の背から降りた。
和服の奴等の中に、何人か笑いを噛み殺したような顔の奴がいるな。
……真面目にやれ、神の御前だぞ?
俺は憮然とした態度で、せんゆう様の隣を歩いた。
そのまま、真っ直ぐに石の道を進んで行く。
垂れ幕をくぐり、用意された座布団に座る。
目の前の広場に、ずらりと並ぶ華やかな服を着た人々。
背後から鳴り響く曲に合わせて舞い始める。
……遂に、祭りが始まった。
+++++
私は、緊張しながら舞台を見守る。
奉納演舞が始まって十分、鏡島貴志は眠そうにしている。
まだ、せんゆう様も違和感に気が付いていないようだ。
今すぐにでも彼の前へ飛び出したい気持ちを抑えて、私は警察のテント内で封印術式に魔力を送っていた。
鳴り響く音楽の裏で、少しづつ術式が組みあがっていく。
ああ……このまま行けば、全てがようやく解決する。
そして私は、怪物じゃなくなった私は、彼に好きですと伝えるんだ。
自分の怪物性を全て吐きだすように、魔力を術式に注ぎ込む。
その瞬間、ひときわ大きく魔力がうねった。
場を祓ったかのように、空気が静かなものへと変わる。
術式が、完成したのだ。
これで私の仕事は終わった。
後は、警察がタイミングを見て術式を起動し、せんゆう様を封印する。
奉納演舞も順調に進んでいるようだし、せんゆう様の力も想定通り弱っている、全てが順調だ。
そして数分後、遂に笹原さんが合図を出した。
次の瞬間、魔力の本流がほとばしる。
空気が渦巻き、力の全てがせんゆう様の元へと向かう。
せんゆう様は、驚いたように立ち上がって声を上げる。
「……っなあ! やはり謀ったか!」
しかし、それ以上せんゆう様が何かを言う事は無かった。
もはや、彼女は指一つ動かせない筈だ。
笹原さんは迅速に指示を出し、縄による結界を張り巡らせる。
じきに封印は完成するだろう。
未だ困惑している鏡島貴志の元に、私は駆け寄る。
「……あ、上梨。今、どういう状況?」
そんな気の抜けた声に、私は思わず泣きそうになる。
「貴方は……本当に、緊張感が無いわね」
そのまま私が封印作戦について説明しようとした瞬間、爆音が耳をつんざいた。
「何度も、何度も……小賢しい! 大人しく祈り、実りを受け取っておればよいものを!」
せんゆう様が吼える。
すると、幼女の姿は肉の裂ける音と共に歪んで行った。
それは、大きな八つ首の蛇だった。
蛇は頭を振るい、木っ端のように警察の人達を蹴散らす。
そんな状況でも笹原さんは落ち着いて指示を出すが、結界の完成にはあと一歩足りなかった。
完全に、縄も術式も引きちぎられる。
もはや、完全にせんゆう様の独壇場だ。
そんな中、黒崎さんが大きな声で私達を呼んだ。
「貴志君! 美沙さん! 早くこっちへ!」
その声に、私達は弾かれたように駆け出す。
「黒崎さん! せんゆう様の力が増大している理由は!?」
私の質問に、黒崎さんは走りながら返答する。
「せんゆう様の怨念を利用されました。私達が祭りに乗じて事を起こすと予測して、山の地脈に怨念を集めていたみたいです」
「いつの間に……」
まさか、あそこまで弱っている状態にも関わらず、祭りの前に神域から出て仕込みまで行うとは。
完全に、してやられてという訳だ。
チラリと横目で、辛そうに走っている鏡島貴志を見る。
正直、私も結構キツイ。
「黒崎さん、これからどうするんですか? このままじゃ、追いつかれて終わりです」
「……山の外まで、なんとか逃げ切りましょう。亜神化していた美沙さんを止める為の結界が、まだ残っている筈です」
ここから山の外まで……無茶なのは、黒崎さんも分かっているのだろう。
険しい表情で、それでも走っている。
……ここで、諦める訳にもいくまい。
背後で、轟音が鳴り響く。
バキバキと木の折れる音、地面を抉り進む音。
後ろを向いている暇など無いが、それ故に見えない事が恐怖を掻き立てる。
まるで、怪獣映画のワンシーンだ。
足の疲労が溜まる中、確実に轟音は大きくなっていく。
私達は皆、運動が得意な方では無い。追いつかれるのも時間の問題だろう。
ならば……やる事は一つだ。
「私が足止めします! 鏡島貴志と黒崎さんは、逃げて!」
私の言葉に、すぐに鏡島貴志が反論する。
「っ! それなら俺が残る。せんゆう様の狙いは俺だ、俺が行けば全部解決する!」
私が説得しようと口を開きかけた時、上から何かが降ってきた。
それは……大きな、猿?
新たな怪物の登場に、私達の間に緊張が走る。
大猿は小さく鼻を鳴らし口を開いた。
「はあ、何を言っているんですか、上梨美沙も、お前も……」
「え? カサネ……なのか?」
驚いたように目を見開き、恐る恐る鏡島貴志が確認する。
「ええ、そうです。私も怪物の端くれですから……尤も、あまり見せたい姿ではありませんが。それより、お前達はさっさと行って下さい。戦闘なんて、心が読めれば楽勝です」
淡々とそう言い切ったカサネさんには、まるで気負った様子が無い。
でも、事はカサネさんが言ったように楽ではない。
せんゆう様は弱体化していると言っても、神様だ。
怪物のカサネさんにとっても、決して楽な戦いではない。
そしてそれは、きっとカサネさんも分かっている。
そんな時、黒崎さんが口を開いた。
「……では、私もサポートしましょう。どうせもう年ですから、若い二人のペースには追い付けませんし」
カサネさんはチラリと黒崎さんを見た後、せんゆう様の方に向き直る。
そして、私達二人を追い払うように、無言で手を振るった。
*****
あれから数十分、大蛇が蠢く轟音も、大猿の遠吠えも、今ではすっかり小さくなった。
このまま山から出る事さえできれば、もう安全だ。
……そんな時、鏡島貴志が急に立ち止まる。
「どうしたの?」
「…………」
私の問いに、鏡島貴志は答えない。
原因は疲労か?
いや、せんゆう様と離れてからは時々休憩もいれていた。
まだ立ち止まる程の疲労は溜まってない筈だ。
私が再び問いかけようとしたとき、彼はチラリと申し訳なさそうにこちらを見た。
「上梨……俺、ちょっと戻る」
「な、何を……」
「せんゆう様に、言い残した事があるんだ」
そう言って、彼は駆け出した。
私もすぐに追いかけるが、高校生の男女の体力差は大きい。
次第に彼と私との距離は開いていく。
「なんで! なんでそこまでするの……!」
私の叫びに、鏡島貴志は立ち止まって振り返る。
彼は真っ直ぐに私を見た。
「柚子の時みたいな後悔は、したくないんだ」
彼の言う後悔の意味……それが具体的に何なのか、私には分からない。
けれど、それは確かに彼にとって大切な事なのだろう。
それでも、私は考えてしまう。
私と一緒に逃げて、明日香ちゃんもいて、それで終わりじゃあ駄目なのだろうか、と。
……きっと、駄目なんだろうな。
私は、鏡島貴志の事をよく知っているのだ。
だから、私は彼にゆっくりと近づく。
「ねえ、鏡島貴志……」
彼の目を見る。
なるほど、カサネさんの言う通りだ。
こちらをよく見ている。
この読み解こうとするような目は、母親の機嫌を窺っていた事が原因だ。
だけど、ずっと逸らされていた目が人に向けられるようになったのは……あの儀式の日、私を見ようとしてくれたから。
私は彼の目を見つめながら、囁くように言葉を紡いだ。
「……貴方の事が、好きです」
そう言って私は、キスをした。
恥ずかしかったから、軽く触れるように。
でも、唇に。
彼は小さく「ありがとう」と言った後、せんゆう様の所へ駆けて行った。
彼の背を見送る私の胸に、不思議と不安は無かった。
私は、鏡島貴志の事をよく知っているのだ。




