仮初
「たかし! これ、おいしいよ!」
明日香が炙りサーモンを手に、笑顔を浮かべている。
マヨネーズに塗れたそれは最早、寿司というよりもジャンクフードだ。
ちょうど、レーンから炙りサーモンが流れてくる。
あ、パフェも来た。
少し悩み、炙りサーモンの皿だけ取る。
あんな小さいパフェモドキに、七百円も払うつもりは無い。
「結構うまいな」
俺は炙りサーモンを咀嚼し、素直な感想を述べた。
尤も、これが寿司だとは認めるつもりはないが。
「でしょー、あとね、このおっきいマグロと、肉のやつも食べて!」
明日香は俺の感想に安堵したような表情を一瞬浮かべ、他の寿司を勧めてくる。
「おい、そのマグロ高い奴だろ。大丈夫なのか?」
「だいじょうぶ! お金、いっぱい持ってきたから! あ、たかしの分もお金出そうか?」
「いや、どうした急に。自分の分は自分で出すから問題ないぞ」
「あ……うん」
明日香は失敗したとでも言いたげに顔を顰め、こちらを伺うように視線を動かす。
「えっと、あと、これもおいしい」
明日香はおずおずと、ネギトロを指さした。
……明らかに、様子がおかしい。
今ほど露骨に違和感があったのは初めてだが、思えば今日はずっと明日香の距離感が変だった気がする。
朝にカサネの様子がおかしくなった事と関係あるのか?
ヒントを求めてカサネの方を見る。
無表情で、ひたすらアナゴを食べていた。
…………。
「明日香、何かあったのか? ちょっと様子が変だぞ」
「っ…………」
明日香の顔には、嬉しいような、苦しいような、複雑な感情が浮かんでいる。
見慣れない表情だ。
そして数秒、明日香は悩むように俯いた。
「大丈夫、だいじょうぶ、だよ」
真っ直ぐ、明日香は俺を見る。
その言葉とは裏腹に、明日香の声音はまるで自分に言い聞かせているようだ。
「……そうか」
明らかに、大丈夫ではない。
しかし、本人が大丈夫だと言うのに俺がとやかく口を出すのは違う気がした。
三人とも、ぎこちなく寿司を食べ始める。
明日香は、何故あんな顔をした?
最近で明日香の周囲に起こった大きな変化といえば、親の件と、俺と上梨が付き合う事になった件くらいか。
上梨と俺について、何か思う所があるとは思えない。
恐らく、今回の件とは関係が薄いだろう。
であれば、親への期待と現実のギャップに苛まれているとか?
……だとすれば、やはり俺には口出しできない。
うーん。
「なあ、明日香。午前中は俺の用事を済ませたから、寿司を食べたらお前の行きたい場所に行こうぜ」
「え、でも、たかしが楽しいじゃないと、上梨さんに教えなきゃだし……」
明日香は困ったように眉を歪める。
明日香の態度を見て、俺はようやく今日の違和感の正体に気が付いた。
ずっと明日香は、俺を楽しませようとしているというか、自分は二の次というか、妙に距離感が遠いのだ。
いつもの明日香は、もう少し自分本位だった。
「明日香、俺はデートの練習なんてしなくても上手くやれるぞ。それに、今日はお前と遊びに来ているから、お前と遊びたいんだが」
「ちがうの、デートとかじゃなくても、かみなしさんも、たかしも、楽しくないとダメだから……だから、私は、もういいの!」
明日香は、もどかしそうに自分の指を弄る。
私はもういい……? どういう意味だ?
「いつもみたいに、お前のしたい事に俺達が付き合う感じじゃ駄目なのか?」
「うぅ……うん」
「でも、その理由は言えないと」
明日香は伏し目がちに俺を見つめ、小さく頷いた。
「なるほど……」
次に何と言うか、考える。
お前も楽しくないと俺も楽しくない?
お前の行きたい場所に俺も行きたい?
デートの練習なんだから、相手の行きたい場所に付き合う練習もしときたい?
頭に浮かぶ言葉は、どれもどこかズレている様な気がする。
別に、明日香が俺に合わせる事も、楽しませようとする事も問題ではないのだ。
それに今日だって、別に明日香は全く楽しめていないという訳でも無いだろう。
「あー、えーっと、あれだ、もう少し肩の力抜いても……というか、今までも普通に楽しかったし。そんな気負う必要は無いと言うか」
俺の言葉に、明日香は難しい顔をして質問を投げかける。
「もし、今日たかしが死んじゃうとしても?」
「え? 死? まあ、うん」
俺の死と、明日香が俺を楽しませるために身を削る事は関係ない。
即答した俺に、明日香は不安そうにしている。
本気で言ったんだが、明日香には伝わらなかったようだ。
「まあ……今日死ぬなら、観覧車とか乗りたいかも」
「なら、食べたら行こ」
明日香はそう言って、安心した様な笑みを浮かべる。
「……おう。カサネもそれで良いか?」
隣を向き、カサネを見る。
そこには、結構高い皿の塔が鎮座していた。
「おい。お前、何皿食べた?」
「え?」
え? じゃねえよ。不思議そうな顔すんな。
今日はやけに口数が少ないから、そっとしておこうと思ったらこれか。
一、二、三、と、カサネが皿を数え始める。
「十七皿ですね」
「千七百円かぁ……」
昼食代は叔父さんから貰っているが、にしても手痛い出費だ。
「いえ、高いもの何皿か食べたので二千三百円ですね」
カサネは、無表情でそう言い切った。
「マジか」
財布を確認する。
「マジか……」
「たかし、私もお金、出そうか?」
……少しだけ、出してもらった。
+++++
もう観覧車に乗るのも三回目だと言うのに、俺はなかなかに新鮮な気持ちで楽しめていた。
今までまともに見た事が無かった町の景色が、存外良いものだったのだ。
観覧車という乗り物は景色を楽しむものだが、中でもこの観覧車は屋上に設置してある。
今までも何度か見た筈の眼下に広がる街並みは、しかし初めて見たかのような新鮮さがあった。
きっと、今までは見ようともしていなかったから、記憶に残っていなかったのだろう。
「なあ明日香……眺め、結構良くないか?」
「うん。かみなしさんのお家、どこかな?」
明日香は、張り付くようにして窓の外を見つめている。
子連れの家族を数えるような、独創的な観覧車の楽しみ方はしていないようだ。
「あー、そういえば俺、まだ上梨の家知らないな」
「かみなしさん、たかしにお家、来てほしいって言ってたよ」
「あいつの家、どんな感じ?」
「本だけしかない」
バッサリいったな……。
「本以外にも、なんかあるだろ」
「えっとね……あ! 私のあげた貝、机の上にあった! あと、たかしのこと、いっぱい書いてるノートもある」
上梨の事を話す明日香は、少し嬉しそうだ。
「鏡山君ノートか……あれ、まだ書いてたのか」
「まいにち、書いてるっぽい」
「…………」
そんなに書く事無いだろ。
なんとなく、全員が沈黙する。
最高点を超えた観覧車は、ゆっくりと下降を開始した。
カサネは、ちらちらと瞳だけ動かし明日香の様子を伺っている。
話しかけるタイミングを見計らっているようだ。
結局、カサネが口を開いたのは観覧車が四分の三を回ったあたりだった。
「明日香ちゃん、やっぱり言いませんか? 全員で考えたら或いは……」
「ダメ」
カサネの言葉を、明日香はピシャリと遮る。
「カサネちゃんには、言ったでしょ」
「……でも、これは明日香ちゃんだけの問題では無いでしょう?」
「私だけの、問題だよ。私だけの問題に、私がするの」
明日香は、カサネを真っ直ぐに見つめる。
カサネは口を開きかけたが、最終的には何も言わずに口を閉じた。
……話が全く読めない、謎が深まるばかりだ。
どうしようもないアウェー感に苛まれたまま、観覧車は再び地上に戻ってきた。
観覧車から降り、再び周囲の音が大きくなる。
しかし、以前に着た時よりも蝉の声がまばらになっており、もう夏も終わりなのだと実感させられる。
「さて、これからどうする?」
「たかしは、どこが良い?」
やはり、明日香は俺にそう問い返してきた。
「あー、帰ってゲームしようぜ」
そう言って歩き始めた俺に並ぶように、明日香とカサネが付いてきた。
日が少し傾いて、しかし夕日は遠いこの時間が、なんとも言えない気だるさを演出する。
「……なあ、明日香」
「なに?」
「お前が何に悩んでるのか全然分からんけどさ、今日はちゃんと楽しかったぞ」
「あ……うん」
俺は正面を向いているから、少し後ろにいる明日香の表情は見えない。
「あと、なんというか……お前にゲームで負かされるのも結構好きというか、いや、じゃなくて、友達とゲームをするのか好き、みたいな」
「うん」
明日香の声音から、すこし緊張の色が減った気がする。
「で、まあ、あれだ。お前は俺の初めての友達だし、もう少し自信持っても良いと思うぞ」
「……分かった」
押し殺したような明日香の声からは、感情が読めない。
俺の言いたい事は、伝わったのだろうか?
明日香の表情を見るか、アスファルトを踏みしめながら何度も迷う。
結局、俺は正面を見て帰路を歩き続けた。
タタッと足音が聞こえ、明日香がピッタリと横に並ぶ。
「私、たかしのこと、大好きだからね……」
「へっ……」
少し照れて、変な声が出た。
「えへぇ」
明日香も変な声を出したから、まあ、おあいこだな。
きっと明日香の悩みは何も解決していないけれど、俺の気持ちは少しだけでも伝わったのなら、とりあえずはそれで良い。
その後は何となく手を繋いで、上梨の話をしながら帰った。
明日香は少しだけ、嬉しそうだった。




