表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼女の自殺配信を通報した後、何故か俺はその幼女に絡まれている  作者: ニドホグ
少女と羽化と卑屈

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/87

雨食

「はぁ……」


 俺は何もする気になれず、ぼんやりと月の様に浮かぶ目玉を眺めていた。

 もう、ほとんどの小蜘蛛は溶けてしまって、今は数匹の掠れた泣き声だけが虚空に響いている。


 あれで良かったのだろうか?

 いや、後悔はしていない。ただ、別の可能性に思いを馳せているだけだ。


 そう、例えば、どんな未来が、そうだな…………ああ、駄目だ。

 振ってくれと言われたら、俺は絶対に振っていた。

 結局、なるべくして今の様になったのだ。


 残り一匹になった小蜘蛛は、まだ泣いている。


 さっきまで快晴の様に真っ青だった虚空も、次第に紫がかってきた。

 無限に張り巡らされていた蜘蛛の糸も、もう随分と薄くなっている。


 この後は、夕日が沈んだ空の様に真っ暗になって、それで終わりなのだろう。


 終わったら俺は死ぬのか?

 それとも、柚子から解放されて現実に戻るのか?

 重要な事だろうし、よく考えた方が良いのだろう。

 だが、どうにもそんな気になれない。


 俺は大の字に寝転んで、泣き続けている小蜘蛛を手に乗せた。


『愛して……』

 小蜘蛛が泣く。


 ……これが、柚子の本音だったんだろうな。


「俺って、これからも大切な人に殺して欲しいって言われたら殺すのかな?」

 返事は無いと知りながら、俺は小蜘蛛に話しかける。


『愛して……』

 小蜘蛛は、泣いている。


「やっぱ、本当に相手の為を思うなら、相手の言う事を聞くしかないのかな?」

 ずっとそう思っていたけれど、分からなくなった。

 きっと、愛して欲しいというのは柚子の本音で、振って欲しいと言うのも柚子の本音なのだ。


『愛して……』

 小蜘蛛は、泣いている。


「相手が好きだから、死にたい相手に生きてくれって言うのは、やっぱりエゴだよな……」


 指先で、軽く小蜘蛛に触れる。


『愛してる』

 小蜘蛛は、泡の様に割れて溶けた。

 掌の上から、小蜘蛛だった液体がゆっくりと零れ始める。


 俺は手に唇を添え、柚子の涙を呑んだ。


 流れ込んできた柚子の心は歪だったけれど、やっぱり愛だった。


「…………愛してる……なんて」


 口に広がったのは、柑橘類の様な甘さだった。


 俺は立ち上がり、どこまでも続く虚空を眺める。


 最後の小蜘蛛が溶けたのを皮切りに、幽かに残っていた糸は一斉に途切れ始めていた。

 雲が流れるように、どんどん蜘蛛の巣が崩れ去る。


 ……もう、終わりなんだな。


 最後の糸が切れる。


 俺の体は宙を舞った。

 とても大きく見えていた目玉が、次第に小さくなっていく。

 虚空は、すっかり黒に染まったいる。


 遠くで煌びやかに輝く星々も月と同じように、近くで見たら目玉なのだろうか?

 幻想的にグロテスクな夜空を眺め、俺は落ち続ける。


 月のような目が、いよいよ本当の三日月にしか見えなくなった時、俺の落下は唐突に終わりを告げた。

 何かに受け止められたのだ。


 俺は顔を上げ、自分を受け止めた相手を確認する。

「……よう、久しぶりだな」


 俺をお姫様抱っこで受け止めるのは、上梨だった。


「そこまで久しぶりでもないでしょう。それとも、昨日遊園地に行った事も忘れてしまったの?」

 普通の声音でそう告げる彼女の表情は、暗くて良く見えない。


 昨日、か。感覚的には一週間くらい前の出来事だが、俺の脳にはしっかりと上梨の告白が記憶されている。

 柚子の死は、やっぱり飲み込めない。

 でも、上梨の好意とちゃんと向き合えるのは良かった。


 ……なんか、柚子の死に理由を付けるみたいで嫌だな。

 ただ、それ以上に俺は生きていて良かったと思えている。

 今は、それで良しとする。


「まあ、あれだよ、昨日なんて言うと全然時間が経ってないみたいに感じる。だが、よく考えてみろ。昨日お前と別れたのが午後六時、今は大体正午だろ? つまり十八時間も……うお!」


 上梨が、俺の指を口に咥える。


「は……あ、お、え」


「……何?」

 上梨は俺の指を舐りながら、おぼつかない活舌で問う。


「いや、何? じゃなくてな、指を舐めるなよ」


「……貴方が、知らない相手と魂を混ぜられそうになったのよ? 来てみたら貴方は無事だったけれど、それでも少しくらいは落ち着く時間が欲しいのよ」

 そう言って、上梨は俺の指を舐め続ける。


 前に舐めてきた時は少し言えば正気に戻ったが、今回はそうも行かないようだ。


「ちょっ……と、あの、上梨さん?」


 上梨の顔が、俺の首筋に近づく。


「ねえ、貴方から柑橘系の香りがするわ……」

 俺の喉仏に沿って、上梨の舌が蠢く。


「え? あ、え、へえ、そう? か」


 上梨の舌が、俺の顎の淵をなぞる。


「……ねえ、私の事は好き?」


「ん、ああ、好きだよ」

 上梨の声音が何故か、小蜘蛛の泣き声と重なった。


「友達として、好きなの?」

 首筋から顔を離した上梨が、軽く俺の指を噛む。


 本当の所、好きとか、嫌いとか、愛とか、そういうのが最近は良く分からない。だが、俺までそんな事を言い出したら、上梨はもっと迷うだろう。


 俺は小さく頷いて、上梨の言葉を肯定した。


「…………そ」


 上梨は小さくそう言うと、ようやく俺を降ろした。

 そこで初めて、俺達が木の上に立っていたのだと気が付く。


 風も吹いていないのに、ざわりと葉が音を鳴らした。


 上梨が、ゆっくりと顔を近づけてくる。

 ゆっくり、じわじわと、視界に上梨の顔が広がる。


 上梨と俺の顔の距離が縮むにつれ、上梨が先ほどのように俺の首筋ではなく、顔そのものを目指している事を理解する。


 近づいて、近づいて、目と目が触れ合う程に近づいた。

 その時、暗くて良く見えなかった上梨の瞳がハッキリと見えた。


 瞳孔が、異常な程に開いている。

 次の瞬間、花が開くように上梨の上半身が開いた。

 以前見た時と同じように、肉紐と花弁の様な大顎にはズラリと棘が並んでいる。


 上梨は人になっていなかったのだと、俺は理解した。


 俺の上半身が、上梨の生暖かい肉紐と顎に包まれる。

 今度は指ではなく、上半身を口に含まれたのだ。

 上梨の唾液が俺の背中を濡らす。


 咽かえるような、甘い臭気が鼻を刺した。

 昔、梨を腐らせた時にも同じような臭いがしたのを覚えている。


 じわじわと、上半身が締め付けられているのを感じる。

 喰われるとは、こういう感覚なのか。

 あれだけ沢山あった棘は、どれも俺をかみ砕くのではなく、皮膚をゆっくりと裂く事に使われていた。


 ジンジンとした鈍い痛みが、俺の鼓動に合わせて全身を回る。


 痛みに小さく喘いでいると、口内に上梨の唾液が入ってきた。

 そういえば明日香が以前、貴志は上梨さんとキスするんだ、とか言ってたっけ?

 舌を舐るのがディープキスなら、上半身を舐られるのもキスの内だろう。

 つまり、見事に明日香の願い通りになった訳だ。


 上梨の唾液を嚥下すると、上梨の心が流れ込んでくる。

 俺の脳を満たした心は思っていたよりも純粋で、純情だ。

 少し、意外だったな。

 だが、納得感もある。


 こいつも、寂しいんだ。


 だんだんと頭が熱くなってくる。

 魂が混ざる感覚、柚子の時と同じだ。


 もしかして、消化されるってこういう事なのだろうか?

 ぼんやりとした今の頭では、良く考えられない。


 自分の肉が潰れる感覚に身を任せ、俺はゆっくりと上梨を撫で続ける。


 ……眠い。


 俺は目を瞑り、呼吸に身をまかせ、体の力を抜く。

 そのまま肋が蠢くような違和感を無視して、俺は意識を手放した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ