親子
「ふう、こんなものですかね」
できあがった魔法陣を眺め、私は小さくため息を吐く。
とりあえず、一区切りついた。後は明日にでも、外部から干渉できないよう封印を弄れば完成だ。
明日香ちゃんは、喜んでくれるだろうか?
脳裏に、明日香ちゃんの嬉しそうな笑顔が浮かぶ。
「……うん、大丈夫だ」
あの男が私の父でなくなるのは少し寂しいけれど……。
私は、あの母が私の母だって諦めたんだ。
明日香ちゃんが頑張って見出したあの男を横取りするなんて事はできない。
それに、あの男も私を娘だと思っていないのだ。今と何も変わらない。
ただ、私があの男を明日香ちゃんの父だと認めるだけだ。
……そろそろ日が沈む、明日香ちゃんと料理をしに戻らないと。
出っ張った木の根を避けながら、今晩の献立について思考を巡らせる。
明日香ちゃんでも作れるものが良いな。
おひたしなんて、どうだろうか?
うん、そんなに作るのに時間はかからないし、良い気がする。
それで、時間が余ったら味噌汁の具を切ってもらおう。
味噌汁の具は……そういえば、前にあの男が魚を欲しがっていたな。
魚、好きなのだろうか?
数日前に明日香ちゃんが捕まえた鮭があるし、あれを味噌汁に使おう。
私は献立を頭の中でまとめ、靴を脱いで本殿に上がる。
台所では、既に明日香ちゃんが待っていた。
「お待たせしました。では、さっそく始めましょうか」
「うん! 何すれば良い?」
「手を洗いましょう」
「分かった!」
明日香ちゃんの手に、ひしゃくで水をかける。
「えへぇ、なんか楽しい」
「もっと、水をかけましょうか?」
「えへへ、大丈夫!」
「そうですか……では、次は野菜を洗って下さい。私は鮭をさばくので、何か分からない事があれば言って下さい」
「はーい!」
明日香ちゃんは、出しておいた野菜を洗いはじめる。
随分と丁寧に洗っているな。
まあ、鮭をさばくのにもそこそこ時間がかかるし、ちょうど良いか。
しばらくお互いに無言で作業を続けていると、男が寄ってくる。
「お……」
帰って行った。
「……なんなんですか」
「たかし、血とか苦手だから。魚見てびっくりしたんだと思う」
「なさけない奴ですね」
首を落としていたとはいえ、ただの魚なのに。
「たかしってねー、おしゃべり以外、全部ダメダメなんだよ」
「そうなんですか……」
「うん! ゲームも下手だし、めんどくさがりだし」
そう言う明日香ちゃんは、しかし満面の笑みを浮かべていた。
「その割に、嬉しそうですね」
「私がダメダメでも、たかしは許してくれるから」
「明日香ちゃんは、あの男が好きなんですね」
「うん! 大好き! カサネちゃんも、たぶん好きになるよ!」
「私は……止めておきます」
あの男は、明日香ちゃんの父だから。
少しでも好きになったら、諦めきれなくなってしまう。
「あ、もう洗い終わりましたね。では、おひたしにするのでチンゲン菜を切って下さい」
「はーい!」
私が神と人との恋路を繋いで、明日香ちゃんの理想を叶えるのだ。
+++++
旦那様が、鮭を咀嚼している。
嚥下した。旦那様が、噛み潰して細かくなった鮭を嚥下した。
旦那様の喉が伸縮し喉仏が上下する様は、実に色っぽい。
「おお、美味いな。味噌汁に入ってる鮭って味薄いイメージあったけど、ちゃんと塩の味がついてる」
「たかし! この、おひたし食べて!」
旦那様が視線をおひたしに向ける。
旦那様の眼球が小さく位置を変え、今まで見えていなかった血管が姿を現した。
白目の上を這う無数の紅い線は、まるで雪の中でも色を失わない幻花の様じゃ。
「美味いな、しょうゆ以外にも魚の出汁っぽい味がついてる。これ、明日香が作ったのか?」
「にんじん! 星形に切った!」
「え、お前、包丁使ったの?」
「うん! あと、ゆでるのもやった!」
「ちゃんと料理やってんじゃん、すげえな……」
おひたしを飲み込み、旦那様はその唇を動かして言葉を紡ぐ。
まるで鹿威しのように朗々と響く旦那様の声が、耳に心地良い。
叶うのなら、永遠に聴いていたいのお。
「あとね! あとね! カサネちゃんに、みそ汁の美味しい作り方もならったから! 次は、みそ汁も作る!」
「へえ、今度俺と味噌汁対決しようぜ」
「え! たかしって味噌汁作れたの!」
「まあ、お湯入れるだけだし」
「インスタントは! ズルでしょ!」
「いや、ちゃんと俺流の作り方があるから。知ってるか? アレって既定の量ピッタリにお湯を入れると、ちょうどいい味になるんだぞ」
「それ、インスタントのやつ作った会社の人がすごいんじゃん!」
「その理論だと明日香が味噌汁を作っても、そのレシピを作ったカサネが凄い事になるだろ? でも、そうじゃない。すごいのは、お前とカサネだ。つまり、俺がインスタント味噌汁を作れば、俺と会社の人が凄いって事になるんだよ。実際、多くの人間が適当にお湯を注ぐ中、俺はレシピに忠実に作っている訳だしな」
「た、たしかに……!」
旦那様の友人が、目を丸くして納得している。
……やはり、こやつじゃな。
「のう、お主」
「ん? 私?」
「そうじゃ。お主、妾と旦那さまの子供になるつもりはないか?」
「え? え? どうやって?」
「ああ、気づいておらんかったのか。ほれ、その器に妾の娘の魂を保管しておる。それを、お主の魂と混ぜたら、晴れてお主は妾と旦那様の子じゃ」
「器……? え、え、それって、カサネちゃんのこと?」
「そうじゃ! ほとんど劣化しておらん。すごいじゃろう? 旦那様が息子を欲しがっておったから、魂をとっておいて本当に良かった。楽しそうに話しておったし、こやつなら旦那様も子供にしても文句は無いじゃろう?」
褒めてくれることを期待して、旦那様を見る。
「え? あ、は? いや、待て。カサネは、お前の娘だろ?」
旦那様は随分と驚いている。
どうやら、妾との子供が得られるとは思っておらんかったようじゃな。
「ふふん! それは娘ではないのじゃ。生前に妾の肉体を器に改造しての、幽鬼と化してすぐに娘の魂を器に収めたのじゃ! 魂も劣化しておらんし、凄いじゃろ!」
旦那様は言葉も出ない程驚いておる。
まあ、並大抵の技術で出来る事ではないからの!
旦那様の愛らしい反応に満足していると、旦那様の友人が吼えた。
「カサネちゃんは! カサネちゃんはどうなるの! 魂って、感情とか、思い出とか、全部のやつなんでしょ! ゆずちゃんの子どもの魂が入ってるなら! ゆずちゃんの! 子どもでしょ!」
「なんじゃ、急に大きな声を出して……確かに現象として感情は芽生えるかもしれんが、所詮は人形じゃよ? それに、お主も旦那様の子に成りたがっておったろ? なら、そんなに気にする事でもないじゃろう?」
「人形とか! 器とか! 言わないで! カサネちゃんは、カサネちゃんでしょ!」
「なんじゃ、面倒くさいのう」
旦那様の子に成る事ができれば、こんな些細な事どうでも良くなるじゃろう。
妾は術を発動させようと、軽く手を合わせる。
「……む?」
もう一度手を合わせる。
しかし、術は発動しなかった。
器がユラリと立ち上がる。
「……無駄ですよ。もう封印内の魔力は、私が完全に乗っ取っています」
「な、なんじゃ? どういう事じゃ?」
「明日香ちゃんの父はその男ですが、母は大蜘蛛様ではありません」
魂の器が、パンッと掌を打ち合わせる。
「大蜘蛛様、貴方の魂を混ぜて、その男を神にします」




