劃然
「カサネちゃん! どっか行きたい場所! 言って!」
男と神の蛹を置いて遊園地に入ると、さっそくといった様子で明日香様が私の方を見る。
行きたい場所……私はどこに行きたいのだろうか?
ずっと自分の欲求と言うものを出してこなかった私には、なかなか難しい問だ。
そもそも、私は遊園地にどういった場所があるのかを知らない。
ふと、氷の迷宮なる施設が視界に入る。
暑さを紛らわすのに、ちょうど良さそうだ。
「あの、氷の迷宮という施設に興味があります」
「分かった!」
そう言うと、明日香様はずんずんと氷の迷宮を目指して歩き出した。
本当に氷の迷宮に行くのか。
希望を聞いたのだから当然なのだが、いざ自分の意見を問われ、その通りに事が進むと面食らう。
そもそも、男と神の蛹の方は良いのだろうか?
今日はあの二人をより親密にさせる事が目的だと聞いていたのだが。
そんな事を考えていると、いつの間にか明日香様を見失った。
馬鹿な、さっきまで目の前を歩いていたはずなのに。
人が多いというだけで、こんなに簡単に見失うのか?
人攫いに会いでもしたら大変だ。
私と同じ境遇にありながら前を向く彼女を失う訳にはいかない。
私はまだ、彼女の行く末を見届けていないのだ。
急いで人の波を抜け、氷の迷宮の方へと進む。
……いた、存外早く見つかったな。
氷の迷宮の前でこちらに手を振っている明日香様を見つけ、ひとまず安心する。
「明日香様、余り速く行かないで下さい」
「カサネちゃんが、おそいんだよー! ほら! 入ろ!」
明日香様は、私の方を見て楽し気に笑っている。
……危機感の薄い人だ。
私は無言で明日香様の手を掴む。
本当は手を掴む際に何か断りを入れたかったのだが、上手いこと口から言葉が出てこなかった。
あの男相手なら、そんな事も無いのだが。
「ん? 手、にぎるの?」
氷の迷宮に入ろうとしていた明日香様がこちらに振り返り、小首を傾げる。
「あの、はい。神の蛹が男を掴んでいたので、逃がさないようにする為にはこうするのが正しいのかと、思いまして……」
間違っていたのだろうか?
「ふふふ、楽しい」
明日香様は、俯いて小さく笑っている。
「そう、ですか?」
何がそんなに可笑しいのだろうか?
「うん! ふふふ、ふふ」
困惑する。
でも、とりあえず間違ってはいなかったのだと、少し安心もした。
私は、小さく笑い続ける明日香様に、どんな顔を向ければ良いのか悩みながら氷の迷宮に足を踏み入れた。
入ってすぐに、注意喚起の看板が目に入る。
すると突然、明日香様が大きな声で注意喚起を読み上げ始めた。
「ご注意! 1! 氷の迷宮の中はとても寒いので、飲み物を飲まないで下さい! 2! 具合が悪くなったら、すぐに氷の迷宮の非常口から、だっしゅつして下さい! 3! 迷宮の中では走らないで下さい! だって! カサネちゃん、分かった?」
「あ、はい」
「よし! 行くよ!」
明日香様は、私の掴んだ手をブンブン振りながら歩きはじめる。
……さっきの確認は何だったのだろう?
子供というものは、よく分からない。
私が子供の頃は、どんな風だったっけ?
注意喚起の看板を超えて扉をくぐると、一瞬にして肌が冷気に包まれる。
少し驚いたが、とても心地良い。
外が暑い分、余計にそう感じるのだろう。
「すずしい! かべ全部白いよ! すごい! 冬みたい!」
「そうですね」
明日香様の言う通り、まるで結界内に入ったかのようにガラッと景色が変わった。
これは、確かに楽しい。
あの男は特別な日でもないのに遊園地に来るなんて愚かだと言っていたが、こんなに凄い所なら誰だって来たくなるだろう。
もしかしてあの男は、この施設の事を知らないのだろうか?
……教えてあげよう。
ふふ、人に何か話せるというのは良いな。
話し相手がいる事で得られる恩恵に思いを馳せていると、キョロキョロとはしゃぎ回っていた明日香様がこちらに戻ってくる。
「ねえ! カサネちゃんは寒いのと、暑いの、どっちが好き?」
「え、あ、ええと、暑い方が好きです。ずっと座っていても、足が冷えないので……」
夏なら心地いい隙間風も、冬には体を刺す棘と化す。
神社の中は、冷えるのだ。
「私も暑いのが好き! いっしょだ!」
明日香様は、ピョンピョンと跳ねて喜びを示す。
感情表現が豊かな人だ。
これでは、私と好みが被る事がとんでもなく素晴らしい事のように、勘違いしそうになる。
こういう時、どう反応すれば良いのだろう?
……そういえば、母が父のどこが好きなのかを延々と語っていたな。
「明日香様は何故、暑い方が好きなのですか?」
「えっとね、暑い時より寒い時の方が、悲しいのがおっきくなるでしょ? だから、暑い方が良いの」
「なるほど、そうですね」
口からは肯定の言葉が出たが、本当の所、私にはよく分からなかった。
私は悲しくなる前に諦めてしまったから。
悲しくなれる明日香様は、やはり強いのだろう。
クルクルと楽しそうにしている明日香様が、随分と眩く感じる。
この眩しさは、あの男には感じなかった。
きっと私は、あの妙な男を舐めているのだ。
そういう空気が、あの男にはある。
「……あ! シロクマだ!」
明日香様の言葉に反応し、前を見る。
確かに、そこには白い熊の置物が置かれていた。
写実的な造形だが、妙に上を見ている目のせいで間抜けな印象を受ける。
少し可愛い。
「ね! ね! 写真とろ! こっち来て!」
「あ、はい。これで良いですか?」
熊の隣に行く。
近くで見ると、思っていた以上に大きい。
やっぱり、少し怖いかもしれない。
少し離れた位置に立っていた私に、明日香様はスッと近づき、スマートフォンを構えて操作する。
パシャッという、なんとも小気味いい音が響く。
「とれた! 見て!」
見せられた画面には、私と明日香様に挟まれた熊が、間抜けな顔を晒している。
「ふふふ、カサネちゃん、真顔だ」
「そうですね」
……なるほど、確かに明日香様はニッコリと笑顔を浮かべている。
恐らくこれが写真を撮る際の基本なのだろう。
「ですが、あの男も私と同じ様になると思いますよ」
「ふふふ、たしかに! たかしは、たぶんそう。あとねえ、かみなしさんは、ふつうの顔しようとするけど、ちょっと笑ってる気がする!」
神の蛹は、そうなのか。
「ずいぶんと彼らとは仲が良いのですね」
私の言葉に、明日香様は嬉しそうに笑みを深める。
「えへ、仲良くね、なったの」
「……なるほど」
少し、羨ましい。
神の蛹も、あの男も、明日香様も、父も、誰かから好かれている。
もしかすると、誰からも好かれていなかった私や母の方が稀だったのだろうか?
もしそうなら、私達の方が稀な事を母は知っていたのだろうか?
群れから少し外れた所に置かれている鳥の置物を見ながら、ふと、そんな事を考える。
……少し、寒いな。
そのまま、明日香様の気にいる絵や置物がある度に写真を撮りつつ氷の迷宮を進んでいると、あっさりと出口に辿り着いた。
迷宮という割に一本道だったな。
まあ、あれで十分楽しめたのだ。
きっと分かれ道など蛇足でしかないという事なのだろう。
「わー! 暑い! 次は、どこいく?」
明日香様が、辺りをキョロキョロと見渡しながら私に問う。
「あ、あの、男と神の蛹の方は良いのですか?」
今日の目的は、あの二人の関係性を進める事の筈だ。
「良いの! 今日はカサネちゃんと仲良くなる会だから!」
「え? あの、え、どういう事ですか?」
思考が止まる。
上手く言葉を飲み込めない。
私と仲良くなる会?
誰が私みたいな他人に興味も無い、流されるばかりの怠惰な存在と仲良くなるのだ。
私が自体をイマイチ把握できていない様子を見て、明日香様は悪戯が上手くいったとでも言いたげに、楽しそうに笑っている。
「ふふー! カサネちゃん、ずっとつまんなそうにしてたけど、昨日の勉強会、楽しそうだなーって思ってたでしょ? だから、仲良くなる会! たかしも、かみなしさんも、ちょっと仲良くなりにくいでしょ? だから、最初は私と友達になって、次にみんなと友達になって、いっしょに遊んだら楽しいと、思った!」
「と、友達ですか?」
「うん!」
明日香様は、まるで親しい人に向けた様な笑顔を私に向けている。
それを見て、私はただ口を開閉する事しかできなかった。
なんという事だ、私に友達ができるかもしれない。
つまり、明日香様はそういう事を言ったのだ。
つい数日前は、私は最期まで母以外の存在と関わる事など無いと思っていたのに。
話を聞くと言われただけで、あの男への興味が尽きなかったというのに。
私に、友達ができるかもしれない。
お互いに興味を持って、助け合う。昔なにかの本で読んだような、そんな存在が私にもできるかもしれない。
そう思うと、とたんに氷の迷宮での記憶が、どれも眩しく輝いている様に思える。
友達、友達になるには、何をする?
私は数秒考え、これだ、と思った答えを出す。
「あ、あの、私、行きたい所ではないんですけど、その、明日香様の事を明日香ちゃんって呼んで良いですか?」
言った後、すぐに後悔が襲ってくる。
私達は、まだ友達ではないのだ。
それなのに神の蛹が呼んでいたから、つい自分も呼びたくなってしまった。
引かれてしまっただろうか?
少し緊張しながら、明日香様の顔を伺う。
「うん!」
男や、神の蛹に向けられた様な笑顔が、私に向いていた。
これは、凄い事だ。
「あ、明日香ちゃん」
私は、探るように、恐る恐る、彼女の名を口にする。
「うん!」
返事と共に、やはり男や神の蛹に向けていた笑顔が私に向いていた。
なんだか、もう友達になっているのではないかと錯覚しそうになる。
それからは、なんだかずっと心が浮いてしまったかのようだった。
コーヒーカップも、観覧車も、お化け屋敷も、どれもこれも楽しくて仕方が無いのだ。
これは本当に、凄い事だ。
結局、私達は男から電話で戻ってくるよう連絡があるまで、ずっと遊び回っていた。




