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殺人ミステリーは、殺人者だからこそ素晴らしいものが書ける
猟奇殺人ミステリーを書いて大ブレイクした作家がいた。彼の書く斬新で残忍な物語は、人々に恐怖と娯楽を提供する。
一方で、そんな物語を生み出す人間性を批判されることもある。猟奇殺人など非人道的。書物として売り出すなど言語道断という意見も少なくない。
しかし、それらの意見はあまり強く言われない。何故ならば、批判した人間達は次々と不可解な死を迎えているのだ。
死んでしまうから、批判できなくなる。批判してしまうと、死んでしまう。
作家その人を悪く言ってはいけない。作家は、人の悪口を聞き逃さない悪魔なのだ。
そんな迷信が広がっていたのだ。
科学が発展する現代社会で悪魔など、笑い話にも程がある。そう揶揄する人間もいる。
すると決まって、全員が同じ音を聞くという。聞こえて、しまう。
ピチョン。ピチョン。
水溜まりに水滴が落ちる音。つい数分前まで水溜まりの無かった場所に、液体が溜まっていく。
その音を聞いている人間は、被害者。悪魔的な作者に刃物で刺し貫かれた、哀れな被害者なのだ。
彼は必ず、標的を即死させない。ギリギリのところで生かし、生き残ったならば何をしたいかを問う。
──お前はこのままだと、数分もしないうちに死ぬ。だが、もし死なずに生き残ったら、何か叶えたいことはあるか?──
すると被害者のほとんどは、訳が分からないながらも願望を口走る。その願いは千差万別ながらも、幸福を求めるという点では一緒だ。
好きな人に想いを伝えたい、贅沢をしてみたい、やりたいことをやりたい、お前を殺したい。
1つの願いを強く叫ぶ者もいれば、次から次へと複数の願いを口にする者もいる。
しかし、願望が叶えられはしない。
彼は静かに話を聞き続け、被害者が話もできないほど静かになるまでそっと待ち続けるのだ。
願望を聞き届けるのは、願いを代わりに叶えるためではない。命が終わる間際だからこそ垣間見える、魂の叫びを聞きたいだけなのだ。
彼は被害者の傍らに座り込み、新鮮な血溜まりに人差し指を這わせる。指先が赤く濡れ、光に反射して怪しく輝く。
魂の叫びと、魂の雫。その2つを存分に生かし、彼は画板に人差し指を走らせていく。
気持ちが高ぶるままに、気持ちが荒ぶるままに。恨み辛みが込められた叫びは優れた題材となる。そうして書き上がった原稿は、人々を魅了する最高の作品に仕上がるのだ。
人を危機へと貶める、噂話。ハッキリとした事実が知られていない、迷信。
しかしその迷信も、数が重なれば形がハッキリと浮き出てくる。
昨日悪口を言っていた人が殺された。作品を悪だと罵った人が殺された。そんな話が積み重なっていく。
すると必然、彼や作品を悪く言う人は物理的に消えていく。迷信に怯え、悪口を言う人も消えていく。
しだいに、悪評は完全に消え去った。
すると同時に、彼は新作を書かなくなった。人々を恐怖で魅了した作品が、途端に売り出されなくなった。
彼は別段、書きたくなくなった訳ではない。新作は書かないのではなく、書けなくなったのだ。
悪口を言う人がいなくなったため、誰も襲わない。魂の叫びを聞かなくなったため、書くべき内容が手に入らない。
人を殺してきたからこそ、人を魅了する猟奇殺人魅了ミステリーを書いてこられた。
彼は焦る。新作を書きたい。書きたいけれど、悪口が聞こえない。
あくまで、悪く言われない限り殺さない。恨み辛みの敵意が込められていないと、素晴らしい作品にはならないのだ。
書けないと悩む。書けないと苦しむ。そんな彼は、ついに自身の不甲斐なさを嘆く。
「人を殺さないと作品を書けないなんて、俺は最低な人間だ」
そう呟いた彼は、あることに気が付く。
あぁ、殺せる人間が1人できたじゃないか。
思い立ったように刃物を持ち、勢いよく振りかぶる。そうして彼はまた、新作を書けたのだ。
新作が完成した直後、連続殺人の容疑者として疑われた彼の家に警察が押し入ってきた。廊下を駆け、書斎の扉を荒々しく蹴破る。
そこで警察が見たものは、1人の男の死体と、血に濡れた画板だ。死亡して間もないため、今も血が滴ってピチョン、ピチョンと、音を立てている。
画板にところ狭しと巡らされている血は、言葉が連なり文章となっていた。
警官がライトで照らすと、血はまだ乾ききっておらずテラリと光を返す。
彼が生涯をかけて残した最上の猟奇殺人ミステリー。その物語が、怪しく輝いた。