9話 即位式と夜空のドレス
祈りの間は立錐の余地もないほど人で溢れ返っていた。この神殿に仕えている神官と、王族、爵位を持つ者がすべて集められており、壇上に登ったアメリアはその圧倒される光景に息を飲んだ。
アメリアは壇上の中央に立ち、教皇と国王に細い枝葉に聖水を付け振りかける。持つ手が震えてどうしようもなかったが、ちらりと教皇が視線を上げてくれて目が合うと、ギュッと握り締めていた手から少しだけ力が抜ける。
それから教皇の言葉があり、神官が聖歌を歌う。その間、アメリアはただまっすぐに前を向いて立っているだけなのだが、時間が経つ内にローブの重みがずっしりと肩に圧し掛かってきて徐々につらくなってきた。
(う……、重い……。苦しい……)
泣き言が頭を巡り集中力が切れてくる。つい視線を観衆の方へ向けると、一番後ろの扉のそばにリオンを見つけた。かなり遠いのに目が合って少し驚く。
いつも着ているシャツとズボンの格好のままで、こんな日くらいちゃんとすればいいのにと思っていると、リオンが胸の前で小さく拳を握った。そうして口がパクパクと動く。
(頑張れ……かな?)
別れ際にも言われたからたぶん合っているだろう。アメリアは口の端を上げて微笑む。
(ありがと、リオン……)
リオンとはまだ短い付き合いだが、何度励まされたか分からない。からかったり、茶化したりする言葉の中にいつも優しさがあって慰められた。本当にここに来てからの支えになっているのだ。
アメリアはもう一度背筋に力を入れると、顎を引きまっすぐ前を見据えた。
そして、最後の締めくくりにアメリアの出番が回ってくる。長い祈りの言葉だ。普通に暗唱するならまだしも、この祈りの言葉は歌のような節があり、アメリアの言葉に続くように神官たちの歌に繋がっていく。言葉も音程も絶対に間違えられない。
「黒き闇の先、冥府の門が開かれる。死者の声に応える者。其は死者の神、冥府の王サリューン」
アメリアの高い声が広い空間に響き渡る。緊張したのは出だしだけだった。あとは何も考えず歌い続けた。
「歌え。新たなる時代を祝い、かの国を守りし神を讃えよ」
この節が終わると神官たちの大合唱になった。美しい旋律に楽器も加わり、荘厳な空気が祈りの間を満たしていく。アメリアは鳥肌を立てて歌い続けた。不思議な感覚だった。天井から光が差し込んできらきらと輝き、神域の空気を感じた。
(サリューン、見ているのかしら……)
神なのだからここにいなくても、もしかしたら見ているのかもしれない。そんな風に思えた。
歌が終わるとこれで即位式は終わりだった。壇上から下り裏の部屋に入ると、どっと疲れが押し寄せる。立っていられずよろよろと椅子に座り大きく息を吐いた。
「やったな! メル! 間違えずに言えたじゃん!!」
扉がバタンと開いたと思ったらリオンが飛び込んできた。走ってきたのか息が上がっている。
「ありがと。リオンのおかげよ」
「え、俺の?」
「頑張れってやってくれたでしょ。あれですごく気合い入った」
「そ、そっか……。なら良かったよ」
照れた顔をして視線をうろつかせるリオンを笑って見上げていると、今度は教皇が部屋に入ってきた。
「素晴らしい歌だったよ、アメリア」
「ありがとうございます」
「さて、昼を挟んで少し休憩をしたら今度は神域に行きなさい」
「神域に? これから王宮で拝謁の儀ではないのですか?」
「そうなのだがね。まだ衣装が届いていないのだよ」
「届く? 神域から届くのですか?」
「そういう連絡が来ているのだがね」
「連絡……」
曖昧な教皇の言葉に首を傾げながらも、それほど時間もなくアメリアは慌ただしくローブを脱ぐと、昼食をとってから神域に出向いた。
ベールをくぐると、なぜか椅子の前でサリューンがうろうろと歩いていた。
「サリューン、なにしていらっしゃるんですか?」
「メ、メル! あ、いや、その……、即位式はどうだった? 緊張したか?」
「緊張はしましたけど、上手くできたと思います」
「そ、そうか……。それは良かった……」
今まで見たことがないほどそわそわとした様子のサリューンに、アメリアは首を傾げる。
「サリューン?」
「あれはだいぶ古い服だから、着づらかっただろう?」
「ええ、まぁ。あ、そういえばなんだか形はサリューンの着ている服に似ていますね。前袷のところとか」
「そう、そうだな……」
「サリューン、あの、ここに拝謁の儀で着る服があると言われて来たのですけど」
「あ! それ、それだな……。では、そこにしっかり立っていろ」
「え?」
驚く間もなくサリューンがアメリアに向けて指をさした。神託を書く時のように指を空中で動かすと、アメリアの身体の周りがきらきらと輝き始める。
「え!?」
目映い光に目を細めながらふわふわと揺れる光を見ていると、見る見るうちに自分の着ている服が変わっていく。
「ええ!?」
質素な黒のローブがドレスへと変化する。立ち襟の首もとからウエストまでが黒の細かいレースで覆われ、光沢のあるビロードのスカートが波のように床に広がる。
これで終わりかと思ったがそうではなかった。またサリューンが指を動かすと、ビロードのスカートの上からふわりとシフォンのような生地が重なる。そこには星空のような銀の刺繍がびっしりと縫い付けてあって、星のように輝く点を見るとすべて小さな宝石の欠片で驚く。
「サリューン、こ、これは」
「まだ動くな」
手に黒い手袋が嵌められてそこにブレスレットが現れる。ネックレス、イヤリング、指輪とアクセサリーが次々と現れアメリアの身体に付いていく。
ただアメリアは呆然としたまま立ち尽くした。目の前で起こっていることがなんなのか理解できない。
「最後はこれだな」
サリューンが両手を前に差し出すと、そこには銀のティアラが現れる。即位式で着けたシンプルなティアラとは違い、薔薇と蔦のデザインで、中央には大きな黒曜石が、縁にはぐるりとダイヤモンドが揺れている。
それを頭に乗せるとふわりとベールが現れた。
「よし。これでいい。鏡で見てみよ」
サリューンが言うそばから大きな鏡がその場に現れ、アメリアを映し出した。その姿に今度こそ本当に驚いて息が止まる。
夜空のように美しいドレスとアクセサリーのダイヤモンドが輝いている。床に付きそうな長いベールにはティアラと同じように薔薇のモチーフが使われていて、細かい刺繍に目を見張る。
「すごい……」
こんな美しいドレスは見たことがない。王族の姫君だってこれほどのドレスは持っていないだろう。
「ど、どうだ?」
サリューンがおずおずと聞いてきて、アメリアはゆっくりと顔を上げる。
「……これは魔法なのですか?」
こんな不思議なこと、そうだとしか思えない。神々は魔法を使う。おとぎ話の中でしか知らないその力を今目の前で見た。
「そうだ。で、どうなのだ? 良いのか? 悪いのか?」
「もちろん……。素敵です! 素敵すぎます!! ありがとうございます、サリューン!!」
アメリアは大きな声でそう言うと、嬉しさのあまり思わずサリューンに抱きついた。
「本当か?」
「はい! 本当に素敵です。こんなドレス、私着たことありません」
「そうか……。うん、それなら良かった……」
安堵するような声が上から聞こえて見上げると、サリューンの嬉しそうな目と合った。
「拝謁の儀はいわばお披露目のパーティーだ。楽しんでこい」
優しい言葉にアメリアは微笑むと、もう一度ギュッとサリューンを抱きしめた。