8話 神子のローブ
次の日、夜明け前にリオンに起こされたアメリアは、少しの朝食をとってから祈りの間に近い部屋に案内された。
室内に入ると女官が待っており、昨日見た黒いローブも準備されている。
「おはようございます、神子様」
「おはようございます」
「この人が着替えを手伝ってくれるからさ」
一緒に部屋に入ったリオンはそう言うと、衝立の向こうに姿を消す。
「俺はここにいるから、なんか頼みたいこととかあったら言えよ」
「分かったわ」
「神子様、着付けには少々お時間が掛かりますので、すぐに始めてしまってもよろしいでしょうか」
「あ、はい! よろしくお願い……ね」
敬語が出てしまいそうになって語尾を飲み込むと、女官は笑顔で頷き早速着替えの準備に取り掛かった。
着ているローブを脱ぐと下着まで用意されていることに驚く。
「こ、これ、着なくちゃダメ?」
「もちろんでございます」
アメリアは小さなケースに入れられた下着を手に取ってみる。シルクの滑るような肌触りは素晴らしいのだが、色がどうしても気になる。
(黒の下着はさすがに恥ずかしいかも……)
黒い下着など初めて見た。ローブも黒なのだからなんとなく納得できる気もするが、抵抗を感じてしまう。
「どういたしました?」
「いいえ、なんでもないわ……」
不思議そうな女官にぎこちなく返事をすると、アメリアは勇気を出して黒い下着に着替えた。
そこからは女官にすべて任せるしかなかった。なにせまったく着方が分からない服だったので、アメリアはただ腕を広げたり下ろしたりを指示通り繰り返すだけだった。
「く、苦しいんだけど……」
太い帯をぐいぐいと絞るように腰に巻かれ呼吸が止まりそうになる。コルセットに慣れているアメリアだが、久しぶりのせいかどうにも耐えられない。
「少し我慢して下さいませ。しっかり巻き付けてから結びませんと、先端に付いている飾りの重みで落ちてきてしまいますので」
女官も額に汗を浮かせながら長い帯に悪戦苦闘しているようだった。その一生懸命な姿になにも言えなくなり、仕方なく素直に頷く。
リオンが持ってきた朝食がいつもの半分以下だったのはこれを見越してのことだろう。あれ以上食べていたらすでに吐いていたかもしれない。
「この飾り紐が終わりましたら、次は髪を結いますので」
「分かった……」
かなりふらふらだったがどうにか着付けが終わり椅子に座ると、薄化粧をし手際よく髪が結われた。
頭の後ろで纏められた髪にかんざしを挿し最後に頭に乗せた銀のティアラは、サリューンの王冠とデザインが似ており、同じように黒曜石が嵌まっていた。
「さあ、これで完成です。姿見の前にどうぞ」
女官に言われ立ち上がるとずしりと重みがきて上手く歩けない。それでもどうにか歩くと大きな姿見の前に立った。
「これが……私……?」
「とてもお綺麗です」
鏡に映っていたのは異国の姫のようで、まるで自分とは思えない。黒一色の装いだが陰鬱な様子はなく、どこか威厳のようなものが感じられる。
「やっと終わった?」
リオンが大きなあくびをしながら衝立から顔を出すと目が合った。そのままなぜか動きを止めて固まってしまうリオンに首を傾げる。
「リオン? ちょっと、どうしたの? なにか変なところある?」
「……あ、いや……。うん。いいんじゃない?」
「そう? ならいいけど」
リオンが慌てて視線を逸らすのを少し変に思いながら、アメリアはまた自分を見る。あまり好きになれなかった黒という色がやっと好きになれそうな気がした。
女官が片付けをしている間休んでいると、教皇が部屋を訪れた。
「ああ、素晴らしいですね」
「教皇様。おかしくないでしょうか」
「立派なものですよ」
教皇は女官を下がらせるとアメリアの正面に座る。
「リオン、そんな端にいないでこちらに来なさい」
部屋の壁に背を預けて立っていたリオンにそう声を掛けるが、リオンは顔を顰めるだけだ。
「なんだ。照れているのか?」
「て!? 照れてなんていない!!」
「そうか? その割に顔が赤いようだが」
「は? なに言ってんだよ!」
楽しげに言った教皇にリオンは反論すると、そのまま部屋を出て行ってしまう。教皇は肩を竦めると扉から視線を戻しアメリアに向き合った。
「あんな風なリオンは初めて見たな」
「良いのですか? なんだか怒ってしまったみたいですが」
「放っておきなさい。それよりどうです? 着てみた感想は」
「……とても重いです。でも黒がとてもきれいですごく素敵です」
率直な感想を口にすると、教皇は小さく頷き笑う。
「出番まではまだしばらく時間がある。折角だから少し勉強をしようか」
「はい」
「今アメリアが着ている服はすべて黒だが、なぜ黒なのか分かるかい?」
「なぜ黒なのか……」
教皇の質問に頭を巡らせる。すぐに思い浮かんだのはサリューンだった。彼は髪も目も黒い。着ている服も黒だ。
「黒がサリューンの色なのですか?」
「ああ。だいぶ正解に近いね。黒は死者を現す色なのだ。葬儀に出席したことは?」
「幼い頃に一度」
「その時、葬儀の参列者は白を、亡くなった者は黒い服を着ていただろう? あれは死者の国に行くために黒い服を着せているのだ。黒は冥府そのものを指す。そしてそれはとても尊い色で、生者は決して着てはならない」
今まで不思議にも思っていなかったが、そう言われてみれば確かに普段黒を着ている人を見たことはない。
「教皇は紫紺が許されている。黒にだいぶ近い色だね。そして下に行くほど黒から遠ざかる。色を見ればだいたいのランクが分かるということだ」
なるほどとアメリアは思った。確かに下級神官は灰色でそれより上になっていくと徐々に色が濃くなっていく。これはそういうことだったのか。
「そしてこの国で黒を着ていいのはアメリア、そなた一人だけだ」
「私がサリューンの妻、だからですか?」
「そうだ。神と同等の存在である妻は、冥府の王の代理として神殿に立つ。人と神を繋ぐ者として、我らを導く存在だ」
ここの生活に少しだけ慣れてきて、穏やかな気持ちを持てるようになってきたアメリアだったが、教皇の言葉に唇を引き結ぶ。自分は思っている以上に大それた立場になったのではないかと怖くなる。
「なに、怖がることはない。祈りの言葉さえ間違えなければ威厳は保てるよ」
教皇の言葉にアメリアは一瞬で緊張が戻ってきてしまう。昨日覚えた長い祈りの言葉が頭をぐるぐるし始める。
「教皇様! 私練習してもいいですか!?」
「ああ、残念だが時間切れのようだ」
慌ててアメリアが言った言葉にノックの音が重なる。笑ったまま教皇は立ち上がると扉を開ける。
「そろそろ、時間だってよ」
リオンがぶっきらぼうに言うと、教皇は頷きアメリアに手を差し伸べる。
「行こうか」
「は、はい!」
裏返った声で返事をするとどうにか立ち上がる。長い裾を押し上げるように歩くと廊下に出た。
「すげぇ顔してるな」
「今声掛けないで」
せめて歩きながらでも練習しようと顔を顰めて返事をすると、リオンがグラスを差し出した。
「飲んどけよ。本番でのどカラカラだったらまずいだろ」
「あ、ありがと……」
少し頬の赤いリオンの顔を見上げてグラスを受け取る。一口飲んでみるとそれは冷たいハーブティーだった。爽やかな味がのどを潤して、なんだか少しだけ緊張が和らぐ。
「さぁ、行きましょう。神子様」
「はい!」
教皇の言葉に大きく息を吐くとリオンにグラスを返す。
「頑張ってこいよ!」
「うん!!」
リオンの激励にしっかり返事をすると、アメリアは歩きだした。