7話 新しい生活
新しい生活が始まって20日ほどが経った。
起床の鐘が鳴って起き上がるとベッドを整えてから身支度に取り掛かる。黒いローブを着て髪を整える。最初はもたもたと時間ばかりが掛かったが、今ではどうにかできるようになった。
生まれてからずっとメイドに囲まれて育ったアメリアは、身支度を整えるのもすべてメイド任せだった。それが突然自分でやることになり最初は戸惑ったが、コルセットも凝った髪型も必要ない格好は、時間もかからず楽なこともありだいぶ慣れた。
「おはよ、メル。寝坊してるか?」
「してないわ。おはよう、リオン」
ノックの音がして扉を開けると、リオンが朝食を持ってきた。そのまま室内に招き入れる。
「そろそろ寝坊すると俺は予想してるんだけどなぁ」
「なんでリオンは私を寝坊させたいの?」
小さなテーブルに座ると向かい側にリオンも座る。朝はリオンと二人で食事をする。ニ日目の朝に「俺も一緒に食べていい?」と言われてアメリアは快諾した。リオンは軽口ばかり言うけれど、一緒にいると楽しいしここでの生活ではとても頼りになった。
「だってその方が面白いだろ?」
「面白くなんてないわ。私が怒られるだけじゃない」
「それが面白いんじゃないか」
カゴからテーブルに朝食を広げていると、揃わない内からリオンがパンを口にする。行儀の悪さにアメリアが顔を顰めると、リオンは悪びれず笑った。
「あなたが神官じゃないの、納得だわ」
「なんでだよ」
「だって、そんな性格じゃお勤めは絶対無理だわ。戒律なんて守る気全然ないでしょ」
きれいにテーブルに料理を並べると、アメリアも短く祈りを済ませ食事を始める。二人の食事はいつも賑やかに会話が続いた。
食事が終わるとリオンは仕事があるらしく食器を持って部屋を出て行く。アメリアはそれを見送ってから神域に足を運ぶ。週に一度の神託を持っていく日はそのままお使いの仕事があるが、そうではない日は朝の挨拶だけだ。
今日は何もない日なので気軽な気持ちでベールを越えるとサリューンを探した。いつも大抵は石の椅子に座っているが、たまに森の方にいたりするので決まりはないのだろう。
木の陰から顔を出すとサリューンは椅子に座っていた。
「おはようございます、サリューン」
「おはよう、メル」
背凭れに小鳥が二匹止まっている。あ、と思ったがすぐに飛んでいってしまった。
「今、背凭れに小鳥がいましたよ」
「え、本当か?」
「ええ。今日も髪を梳かしますか?」
「ああ、頼む」
サリューンとの関係はとても穏やかなものだった。最初は緊張もあって近寄りがたいと思ったが、今では本当の祖父のように感じてしまうほど親しみを覚えている。口調は少し命令系で厳しく感じることはあるが、本当はとても優しい心の持ち主で、いつもアメリアを気遣ってくれている。なぜか少し自信がないのも可愛らしく思えた。
「この大きな木にはたくさんの鳥たちがいるんですね」
「あぁ。上の方で巣を作っているんだろう。朝はいつもうるさいくらい賑やかだな」
「可愛いじゃないですか。さっきいた鳥は空のように青い鳥でしたよ」
「そうか……。メルは、特技はあるのか?」
唐突に話が変わってアメリアは髪を梳かしていた手を止める。前もあったがたぶんサリューンは会話が苦手なのかもしれない。社交界でもそういう男性はいた。突然黙ってしまったり、まったく違う話になってしまったり。
それでも会話を続けようとする健気なところにアメリアは笑みを浮かべると答える。
「高いところが得意……、です」
明るく答えたつもりだったが、言葉尻が小さく消える。それに気付いたサリューンが顔を向けた。
「どうした?」
「あ……、いえ、レディが高いところが得意でも仕方ないですよね」
つい婚約破棄のことを思い出してしまい暗い気持ちになってしまう。サリューンは不思議そうに首を傾げて言った。
「そうか? 特技は特技であろう。この木に登れば見晴らしも良く美しい景色が見られるぞ。今度登ってみるといい」
真面目な顔のサリューンにそれが慰めで言った言葉なのか判然としない。少し天然なことを言う人だから本気なのかもしれない。アメリアはくすっと笑うと頷いた。
「そうですね。では今度登ってみましょう」
「あぁ、そうするといい」
暗く沈んだ心が少しだけ浮上してアメリアはまた手を動かした。物慣れないサリューンの優しさは、己の悲しい運命を少しは慰めるものだった。
髪を梳かし終わると今日はそれで終わりだった。神域を出ると、今度は教皇の部屋に向かう。
「失礼致します、教皇様」
「どうぞ」
室内に入ると小さな机の上に教皇が本を数冊置いているところだった。
「おはようございます、教皇様」
「あぁ、おはよう。アメリア。サリューン様の朝のご様子はどうだった?」
「変わりありません。今日も髪を梳かしてさしあげました」
「そうか」
アメリアは椅子に座ると机の上の本に手を伸ばす。
「今日はなんのお勉強ですか?」
「今日は礼典と儀式の勉強だね」
なるほどとペラペラとページを捲る。こうやってアメリアは昼の大半を勉強に費やす。サリューンとのことは基本的に決まり事がないのだが、神殿の方では覚えることが山のようにある。この国の歴史に始まり、世界にいる他の神々のこと。礼典や祭儀などアメリアがまったく触れてこなかったすべてを教皇から教わるのだ。
「それと明日行われる神殿での即位式と、王宮で行われる拝謁の儀の内容と進行を覚えてもらうよ」
「……明日?」
「あぁ。かなり長丁場になると思うがしっかりと」
「ちょっと待って下さい!」
アメリアは教皇の言葉を遮ると、慌てて立ち上がる。
「明日って明日ですか!? 即位式? 王宮で……拝謁?」
「そうだ。やっと決まった。ばたばたしていたが本来はこちらが先だったんだ。日取りが悪くて実務が先に来てしまったがね」
教皇はそう言うとアメリアを手招きして続き間になっている隣の部屋に促す。そこには黒いローブが飾られていた。
「これは……」
「即位式で着るそなたのローブだ。歴代の神子様が着られた由緒正しいものだな」
その黒いローブは不思議な形をしていた。今アメリアが着ているシンプルな神官服とは違い、ドレスに近いような雰囲気だった。前袷のある上衣に背中で大きく結われた太い帯、長い裾が広がりを持って床に落ちている。それらすべてが黒色だが、銀糸で美しい刺繍がされていて自らきらきらと輝いてみえた。
「すごい刺繍……」
「それは本当に銀で縫われているらしい。袖や帯の先に付いている宝石はダイヤモンドだな。かなり重いから大変だぞ」
アメリアはただ呆然とローブを見つめる。これを着た自分がまったく想像できない。
「とにかく今日は覚えることが多い。さあ、そろそろ始めようか」
「は、はい!」
教皇の言葉にアメリアは上擦った声で返事をすると、慌てて元の部屋に戻った。