最終話 洗礼式
――春。降り積もった雪が解け始め、春の初めの花が咲き始めた頃、リュエナ王国に王子が生まれた。
待望の王太子となる男子の誕生に国民は歓喜し、誕生から10日が過ぎてもまだ祝祭が続いている。
そして今日、洗礼式が行われる。
「あー、緊張してきた」
「もうそろそろ式典にも慣れてきただろ?」
「慣れてはきたけど、緊張はするわ。それに洗礼式は初めてだもの。失敗しないか心配よ」
控えの間でアメリアはサリューンが持ってきたハーブティーを飲みながら出番を待っている。さすがに衣装には慣れてきており、ティアラから垂れる長い飾りを上手に避けながらカップに口を付ける。
「洗礼式の飾り付けは本当にあれで良かったのか? 少し地味じゃないか?」
「あれでいいのよ。王妃様のご要望通り、美しい式になると思う」
うふふと含み笑いをしながら答えるアメリアにサリューンが首を傾げる。
それからしばらくして女官が呼びに来ると、アメリアは気合いを入れて立ち上がった。
祈りの間に入ると、一斉に参列者の視線が集まる。今回は王侯貴族のみの参加だったが、それでも祈りの間が埋まるほどの人数に、緊張が増してくる。
ゆっくりと中央の通路を歩く。円柱や壁には本物の緑が飾られている。これは前日にアメリア自ら監督して飾り付けたものだ。サリューンが地味だと言うのも分かる。貴族の洗礼式は必ずこの祈りの間で行われるが、その際はもっとリボンや宝石で飾り付けられる。
王族の、ましてや王太子となる王子の洗礼式で、これだけ地味な飾り付けは前例がないとサリューンは心配していた。
(上手くいきますように……)
美しい式をと言われて、アメリアは冬から本当に色々考えていた。成功すればきっと思う通りになるはずだと、自分も期待に胸を膨らませている。
壇上には教皇と国王、そして王子を胸に抱く王妃が待っている。階段をゆっくりと上がり王妃と視線を合わせる。
「今日の良き日に、また新しい命が死者の神のご加護を受けることになりました。洗礼により王子の御霊は、死して後もその加護を失うことはないでしょう」
死者の神が誕生を祝うのはなんだか不思議だ。以前はその意味がよく分かっていなかった。けれどしっかりと教義を勉強し理解した。
死者の神は死を司る神だが、その先までも加護する存在なのだ。冥府の門をくぐった魂が、来世の扉を開くまでサリューンは見守り続ける。安らかな死と、新たな誕生までが死者の神の仕事なのだ。
「では王子をこちらへ」
王妃から王子を受け取ると、落とさないようにしっかりと腕に抱く。
中央に置かれた大きな銀の水盆の中には、指先がほんの少し浸かるほどの浅さで水が張られている。それは数日神域で清められた水だ。その水に王子をそっと下ろす。
王子はその冷たさにだろう、機嫌よくしていた顔を歪ませて大きな声で泣き始めてしまう。
「ごめんね。冷たいよね。でもちょっとだけ我慢ね」
王子にだけ聞こえるように囁くと、左手でそっと右手に触れる。そこに月の錫杖が現れると、アメリアは王子を見つめたままそっと錫杖を振った。
「神域にて清められた水により、王子は死者の神の御子となり、健やかなる成長を約束されました」
そう言うとアメリアはそっと王子を抱き上げ、黒い帯を身体に巻き付ける。
「神代より、祝いの言葉と共に、春の伊吹をお贈り致します」
国王と王妃に向けてアメリアが言うと、ふわりと祈りの間に暖かい風が吹く。そうして飾られていた緑に次々と白い花が咲き始めた。
「まあ!!」
王妃の驚きの声と共に、参列者にもざわめきが広がる。
アメリアは笑みを見せたまま、月の錫杖を掲げる。
祈りの間に甘い花の匂いが満ちる。そして柔らかい風に乗って、白い花びらが舞い始める。
「なんて美しいの……」
王妃の呟きにアメリアは笑みを深くし、階上の聖歌隊に目配せする。
誕生を祝う華やかで美しい歌声が祈りの間に響き渡る。
それから花びらの舞う中、洗礼式はつつがなく進み、アメリアは大役をしっかりとこなしたのだった。
◇◇◇
「もう本当に美しくて、夢のようでしたわ」
「恐縮です、王妃様」
興奮気味に語る王妃に、アメリアは返事をしにこりと笑う。
洗礼式が終わった後、神殿の中の応接室で国王と王妃、教皇の4人でお茶をしていたのだが、王妃の興奮はまだまだ治まりそうにない。
「あれは魔法ですわね?」
「ええ、そうです」
「もうだいぶ制御できるようになったのですか?」
「はい、陛下」
国王に訊ねられ頷いたアメリアは、そっと月の指輪に指先を触れる。
「ラーンの神子様に教えてもらって、制御はだいぶ安定してきました。魔法自体はまだまだこれからなのですけれど」
「素晴らしいことです」
「神代様は毎日神殿のお勤めもあって大変ですが、頑張っていますよ」
教皇からも褒められてアメリアは嬉しそうに笑う。そうして穏やかな時間を過ごしていると、廊下から声が掛かった。扉を開けて姿を現したのは国王の執事のレスターだった。
珍しく焦ったような表情をしており、全員が視線を向ける。
「おくつろぎ中、大変申し訳ありません」
「どうした? レスター」
「それが、突然ラーン王国から使者が参りまして」
「ラーンから!?」
アメリアは驚き声を上げる。レスターは大きく頷きアメリアと視線を合わせると続けた。
「ぜひ神代様にもお越し頂ければと。神代様のお知り合いという方もおられまして」
「私の!?」
全員が腰を上げ、レスターの先導で城に向かうと、謁見の大広間ではなく正門へと誘導される。
疑問に思いながらもそちらに行くと、広い正門前の広場に山のような荷物と数人の旅装の者たちがいた。
アメリアたちが姿を現すと、ラーンの使者たちが膝を突く。
「お目通りをお許し頂き、恐悦至極に存じます。ラーン王国国王より使者として参りました、ラーレと申します」
「ラーレ? ラーレ!!」
国王の背後に控えていたアメリアはその名前に驚き、つい声を上げてしまう。
伏せていた顔を上げてにこりと笑ったその顔は確かにラーレで、思わず走りだすとラーレに抱きついた。
「なんで!? どうしてここに!?」
「アメリア様。お久しぶりにございます」
ラーレは嬉しそうに微笑みながらそっとアメリアを引き剥がすと、もう一度国王に向き直る。
「だいぶ時間は掛かりましたが、お詫びの品と、お祝いの品をお持ち致しました。お納め下さいませ」
「お詫びというと、以前の?」
「はい。我が王においては、神代様、ひいてはリュエナ王国に多大なご迷惑をお掛けし、なんとしてもお詫びの品をお贈りしたいと申しまして。また新たな御子の誕生にも大層喜ばれ、その祝いもまたしたいということで、勝手ながら使者を立たせて頂きました」
「ではこの品々は……」
「はい。すべて贈り物でございます」
国王は驚き王妃と目を合わせる。満足げに笑ったラーレは、今度はアメリアに向かって口を開いた。
「アメリア様にもぜひお受け取り頂きたい物がございます」
「え、私?」
ラーレはそう言うと、持っていた美しい箱を差し出す。
受け取ったアメリアがそっと箱を開くと、中には大きな琥珀の付いたネックレスやイヤリングが入っていた。
「こ、これ……」
「これはジル様からの贈り物でございます。ジル様は大層アメリア様の琥珀の瞳がお気に入りだったようで。リュエナ王国に行くことが決まった時、私も共に行きこれを直接お渡しするように命じられました」
「そんな……、貰えません」
「そう言わず、ぜひお納め下さい。ジル様が直々にお命じになって、アメリア様の衣装に合う装飾品をお作りになったのですよ」
驚いてそれ以上声も出ないアメリアに、国王が隣に並び立った。
「大変な道のりであっただろう。遥か遠きリュエナに、よくもこれだけの品を届けてくれた。ありがたく頂戴する。神代様もそれでよろしいか?」
「は、はい」
国王に促されて、アメリアは小さく頷く。
ラーレは立ち上がると、王宮を見上げそれから周囲に首を巡らせる。
「なんと美しい国でしょう。深き緑と美しい街並み、高き城。何もかもラーンとは違う。アメリア様の住む国はこんな国だったのですね」
「ラーレ」
「ジル様が私を使者に推薦して下さったのです。ジル様は言われました。自分の代わりに世界を見てこいと。リュエナがどんな国か。アメリア様がどんな生活をしているか」
ラーレは満足そうに笑みを作りアメリアの手を握る。
「ラーンから出たことのない私にこの機会を与えて下さり、本当にありがとうございます。アメリア様」
「私はそんな……。でも、ラーレが来てくれて嬉しい。本当に嬉しい」
アメリアも両手でラーレの手を握る。間近のラーレの視線が少し逸れて、アメリアも視線の先を見ると騒ぎを聞きつけたのだろうサリューンが走ってくる。
「ああ、旦那様もやはりおられるのですね」
「ラーレ、それは内緒よ」
ラーレの耳に顔を近付けて、ひそひそと囁く。
二人はそうして微笑み合うと、ギュッと手を握り合った。
◇◇◇
「まさかラーンから旅してくるなんて思いもよらなかったな」
「本当に驚いたわ。贈り物の目録を見せてもらったけど、すごい品ばかりだったわよ。宝石なんて山みたいにあったわ」
「さすがに太っ腹だな」
ベッドに寝転がって話すサリューンに、アメリアは髪を梳かしながら答える。
洗礼式後に行われたパーティーは、急遽ラーン王国の使者の歓迎も兼ねて行われた。アメリアは出ない予定だったのだが、ラーンの使者もいるということで出席することになった。
パーティーが終わり神域に戻ったのは夜半過ぎで、待ちくたびれたサリューンはベッドでうたた寝をしていた。
「ラーレはしばらく滞在してから国に戻るって言ってたから、街を案内する約束をしたの」
「ラーレに琥珀を持たせるなんて、ジルのやつ、よく分かってるよな」
「どういうこと?」
「ジルからのプレゼント、それも宝石なんてメルはそう簡単に受け取らないだろうけど、ラーレから手渡されたんじゃ断れないだろ?」
「ああ、なるほど……」
最もな意見にアメリアは納得すると、ふと自分の髪を見下ろして押し黙った。
「メル?」
「そういえば、カルーファで魔法を使った時、どうして私の髪は黒くなったの?」
あれ以来すっかり聞くタイミングを逃していたが、ずっと疑問に思っていた。
「神の力を使ったからだ」
「神の力を使うと、髪が黒くなるの?」
「そうだと思う」
「だと思う?」
「前例があまりないからな。よくは分からん。メルは嫌か?」
そう訊ねられて黒髪の自分を想像してみるが、どうにもぴんとこない。
ただ、嫌かそうじゃないかを問われれば、答えは簡単だった。
「いいえ。サリューンと同じ色なら大歓迎よ」
アメリアの言葉にサリューンは嬉しそうに笑う。その笑みに引かれるように立ち上がると、ベッドのそばに寄り、寝転がっているサリューンの隣に座った。
「洗礼式、どうだった?」
「ああ、綺麗だった。まさか魔法を使うとはな」
「私の今使える魔法って、あれくらいだもの。せっかく春だしと思って」
「メルらしい良い洗礼式だった」
感心したようなサリューンの顔と言葉に、アメリアは満足して笑う。
「王子が生まれて、リュエナは安泰だな」
「死者の神の恩恵があればこそです」
「神代の努力の賜物だな」
お互いがお互いを称えて、顔を見合わせるとプッとふき出す。
しばらくくつくつと笑い合った後、サリューンはゆっくり起き上がりアメリアの肩を抱き寄せた。
「ジルの奴は気に食わないが、まぁ、あの琥珀はメルにぴったりだったな」
「ホントにサリューンはジル様のこと嫌いなのね」
「当たり前だろ。こんな遠くにいるのに、まだメルのこと諦めてないんだぞ。本当にしつこい男だ」
嫉妬を露わにするサリューンに、アメリアは宥めるように頭を寄せる。
「ジルもオルハも、見目の良い奴は嫌いだ。なんでラーンはあんなに顔の良い男がごろごろしてるんだ」
「あら、リュエナだって素敵な人はたくさんいるじゃない」
「顔だけじゃない」
「他にもあるの?」
不思議に思って訊ねると、サリューンは眉間に深い皺を寄せて低い声で言った。
「俺より背が高いのが一番気に食わない」
ぽつりと呟いた言葉に、アメリアは笑い出しそうになったけれどそれをぐっと堪えて飲み込む。
そうしてサリューンの首に腕を回しギュッと抱きついた。
「大丈夫。私が大好きなのはサリューンだけよ」
「メル……」
「私もいつか、王子様みたいな可愛い赤ちゃんが欲しいな」
洗礼式で何となく思ったことを口にしてみると返事が来ない。不思議に思ってサリューンの顔を見ると、耳まで真っ赤なサリューンが固まっていた。
そのまま後ろにバタンと倒れてしまうので、アメリアはクスクスと笑いながら追い掛ける。
「愛してるわ、サリューン」
そっと額にキスを落として囁く。
「俺も、愛してる」
真っ赤な顔で答えたサリューンはアメリアを抱き寄せると、優しく唇にキスをした。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
引き続き番外編を投稿致します。ぜひそちらもお読み下さい。




