66話 閑話
あれからアメリアの生活は落ち着きを取り戻し、忙しくも平穏な日々が続いている。魔法修業はオルハのアドバイスもあり順調に進んでいる。制御に関してはどうにか自分の意思でできるようになり、少しは安心して生活できるようになった。
「それで? 月の女神と神子の関係はどうなったの?」
これまでの経緯を聞いていたエリザベートは興味深そうに先を進める。視線は手元に落ちていてせっせと手を動かしている。
「うーん、前よりは仲良くなったと思う。お師匠様もよくフィーレン様に笑顔を向けているし、フィーレン様も嬉しそうだし」
「じゃあ、騒動がきっかけで二人の距離が近付いたということね」
「そうだと思う。私が捕まっている間になにかあったらしいけど、サリューンに聞いてもそういうことはよく分からないと言うし」
結局あれ以来フィーレンはセスのことについて何か頼み事をすることはなかった。一度、二人きりの時に役に立たなかったことを謝罪して、その後どうなったかを聞いてみたが、「もう焦らないことにした」と満足した笑みでフィーレンは答えた。
二人の気持ちが通じ合ったかということはアメリアにはよく分からない。だが今回のことで自分がやはりこういうことが不得意だということは十分に分かったので、これからはあまり安請け合いしないようにしようと自分に誓ったのだった。
「あなたたち夫婦も大概不器用だと思うけど、神様ってみんな不器用な人たちばっかりなのかしらね」
「そうかもしれないわね」
呆れたように言ったエリザベートにアメリアは苦笑して肩を竦める。
「さ、これでいいわ。ちょっと見てみて」
「早い! もうできたの?」
アメリアは驚いてエリザベートが差し出す布を受け取る。そこには美しい刺繍が刺されていて、まじまじと見つめると感心して溜め息を吐いた。
「うわあ、綺麗……。全然歪みがない」
「これは簡単な模様だから、このお手本通りにやればアメリアだってできるわよ。もっと細かくしたいなら、ここに模様を付け足すようにすれば、見栄えもよくなるし、難しくないわ」
「うん……。頑張ってみる」
エリザベートの説明にどうにか自分でもできるかもと気合いを入れる。その様子を見ながらエリザベートはくすっと笑いながら、アメリアの肩に手を置く。
「旦那様にプレゼントしたいの?」
「フィーレン様がすごく綺麗な刺繍を縫っていたの。それをお師匠様が額に巻いていて。それがなんだか羨ましくて……」
「なるほど……。刺繍が最も苦手なあなたが、突然教えてほしいなんて言うからなにかと思ったけど、そういうことだったのね」
合点がいったエリザベートはポンポンと肩を叩く。
「結婚しているとはいえ、そんなに綺麗な月の女神がそばにいちゃ、気が気じゃないわよね」
茶化すような言葉にアメリアは苦笑するしかない。
誤解は解けたとはいえ、やはり気持ちは落ち着かないのだ。自分で作った物を持っていてほしい。そうすれば少しは気が楽になる気がする。
「まぁ、そういうことならいくらでも手助けするわ。ほら、これもあなたに持ってきたのよ」
エリザベートはそう言うと、持ってきた袋の中から数枚の布を取り出した。
テーブルに広げられた黒い布には、美しい刺繍がびっしりと縫い込まれている。
「これは付け襟ね。こっちは腰のサッシュ。それからこれは袖に縫い付ければそのまま使えるからね」
「わああ、綺麗……」
「光沢の違う糸を使っているから、同じ黒でも刺繍が映えるでしょ? で、これはレースね」
最後に出した黒いレースは細かい花柄のレース編みで、アメリアはそれを手に取ると両手で広げてみた。
「エリザベートは本当に刺繍もレース編みも上手よね。なんでこんなに細かく作れるの?」
「私なんてそれほど大したことないわ。あなたは子供の時からそんなに真面目にやってこなかったでしょ。だから言ったじゃない。好きな人ができた時に困るわよって」
まだ幼い頃、よく先生とエリザベートに怒られたことを思い出す。大人になってから自分が困るわよと事あるごとに言われたものだ。
あの頃は刺繍になどまったく興味を持てなかったから話半分に聞いていたが、今なら十分分かる。
「もう言わないでよ。私だって反省してるんだから。あなたまで反省文を要求しないでよ」
「ああ、そういえば陛下と教皇様に反省文を書かされたんだっけ。大変だったわね」
「本当よ。すっごくたくさん書かされたんだから」
エリザベートは笑いながらアメリアの手からレースを取ると、立ち上がりアメリアの背後に立つ。そうして結った髪にレースを結ぶ。
「私も、謹慎している間、反省文を書いたわ」
「ええ? お父様に言われて?」
「いいえ。母に書きなさいって言われたの。でもそんなに上手く行かなくて、何度も書き直しを言われて……」
「お母様に?」
「いいえ」
アメリアは振り返ろうとするが、エリザベートはその顔を前に戻させて髪をいじり続ける。
「本当に何度も反省文を書き直させて、私のなにがいけなかったのかを毎日お説教されて……。あなたに謝りに行こうと思ったのも、それがあったからなの」
アメリアはエリザベートと会えるのはもっとずっと先かと思っていた。エリザベートのプライドの高さからして、もしかしたらそれこそ何年も先になってしまうかとも思っていた。
「あなたにそこまでできる人が、ご両親以外でいるなんて驚きだわ。誰なの?」
「……まぁ、それはまた今度話すわ。さ、できたわよ。これならリボンをしていてもあまり派手に見えないでしょ?」
言葉を濁したエリザベートを振り返って見上げると、困った顔で首を傾げてみせる。その表情にアメリアはまだ聞かないでおいてあげようと思うと、机の引き出しから手鏡を取り出し髪を確認する。
「可愛い……」
「気に入ったならまた作るわ。春物のローブにも刺繍を付けてあげるから、好みの柄があるなら先に言ってね」
「エリザベート……、ありがとう」
アメリアはエリザベートにギュッと抱きつく。こんなにも早く幼い頃のような関係に戻れると思わなかった。
それが嬉しくて噛み締めるように名前を呼ぶ。エリザベートもアメリアをギュッと抱き締めると、嬉しそうに「どういたしまして」と答えた。




