63話 帰郷
アメリアの髪の色は、サリューンたちと共に広間に向かっている間にすっかり元に戻った。不思議だったが今は理由を聞いている暇はないと広間に入る。ジルがこちらに気付くと「無事で良かった」と笑って頷いた。
館の中はすでにジルの部下によってすっかり掌握され、落ち着きを取り戻しつつある。領主が囚われてしまったことで兵士の士気は完全に失われたらしく、皆大人しくジルの部下たちの指示に従っている。
「とりあえずラムディラをラーンに連れて行かねばな」
「帰れるんですか?」
廊下を進むジルの言葉に、後ろに付いて歩いていたアメリアが声を上げる。
ジルは笑顔で頷き、サリューンを押し退けアメリアの隣に並ぶ。
「強行軍になってしまうが、父上にご報告もしなくてはならないしな」
「また嘘じゃないだろうな!?」
押し退けられたサリューンが剣呑に言い放ち、アメリアの肩を引き寄せる。
背の高い二人が睨み合っているのを見上げながら、アメリアはリオンの姿になっているサリューンが、こんな風に人の世界で自分に触れていいのか少しだけ疑問に思ったが、口を挟めそうにもなく成り行きを見守るしかない。
「さすがにもう嘘はないさ。これほど危険な目に合わせる気はなかったが、結果的にそうなってしまった。申し訳ない」
「ジル様……」
「お前は結局メルになにをさせる気だったんだ?」
「なにをという訳ではない」
「どういう意味だ?」
ジルの言葉に全員が首を傾げる。ジルは少しだけ考えてから答えた。
「アメリアをここに連れてくるということ自体が目的だったんだ」
「連れてくるだけ? 僕を助けるために魔法を使わせる気ではなかったのですか?」
「いや。アメリアはまだ見習いだろう? 魔法は当てにはしていなかった」
そうだとばかり思っていたアメリアは少し驚く。目を合わせたセスも不思議そうに肩を竦ませる。
「リュエナの神代を騙して、ただ連れてきただけだと?」
「まぁそんな顔をするな。結果としては上手くいったのだから」
「上手くいかなかったらどうするつもりだったんだ!!」
「ちょっとリオンやめて!」
今にもジルに手を出しそうな雰囲気のサリューンに、アメリアが慌てて止めに入る。
「それはないさ」
「なぜそう言い切れる!?」
「俺は予言を信じているからな」
「予言?」
「神託ではなくて?」
セスの小さな声に重なるようにフィーレンが聞いてきた。それまでずっと黙っていたフィーレンに全員が視線を送る。ジルはまっすぐにフィーレンを見つめると、ふわりと笑って頷く。
「もちろん神託も信じてはいる。だが人の予言もまた信じるに足る力だと思っている」
「人の予言……。まさか師匠の?」
セスがジルに問い掛けるがジルは返事をせず、目の前の扉を開けた。
まっすぐに入り込んできた太陽の眩しい光に全員が目を細める。
「ああ、すっかり朝だな」
ジルの呟きにアメリアは大きく呼吸をする。館から出てみれば朝の光の中、ぼろぼろになった館の全容が見えた。
館の壁も柱もだいぶ崩壊している。同じように館を囲っていた塀も壊れており、二重になった塀がよく確認できた。
「アメリアがそこら中壊してくれたお陰で、色々調べる手間が省けたな」
「もうそれは言わないで下さい……」
自分のしでかした事に申し訳なさを感じてジルに言うが、ジルは楽しげに笑うだけだ。
そうして一同が門に近付くと、遠くから走り寄ってくる女性がいた。
「アメリア様!!」
高い声に視線を向けると、ラーレが来るのが見えてアメリアは驚き自分も走り出す。
「ラーレ! 無事だったのね!!」
「アメリア様こそ、酷いことをされておりませんか?」
「私は大丈夫。頭は平気?」
頭に巻かれた包帯を見て訊ねると、ラーレは笑って頷く。
「少しぶつけた程度ですわ。アメリア様が守って下さったので」
「私が?」
「私にお貸し下さった指輪で守って下さった」
「あ……」
「魔法だと聞きました。本当ならアメリア様をお守りするための魔法を、私に……。アメリア様は命の恩人ですわ」
「そんな、気にしないで」
「少しは気にしろ」
二人の会話に割って入ったのは後ろにいたサリューンだった。
アメリアの左手を取ると、薬指に指輪を嵌める。
「あ、リオンが持ってたの?」
「ああ。その人から預かっていたんだった。忘れてたよ」
薬指に嵌った指輪を見下ろしてアメリアは笑みを浮かべる。そんな様子のアメリアにサリューンは顔を顰めると、アメリアの鼻を摘んだ。
「お前は少し反省しろ。指輪を自ら手放すなんて、俺は思いもしなかったんだぞ」
「痛い! 放してよ、リオン!」
結構強く摘まれてアメリアが抵抗すると、サリューンは少しだけもったいつけてから手を放した。
「しょうがなかったのよ。ラーレが殺されてしまうと思ったんだもの。あの時はそれしかなかったの」
痛む鼻をさすりながらアメリアは言い訳を言うが、サリューンの表情は変わらない。どうしようかと困るアメリアに助け舟を出したのはジルだった。
「まぁ、説教は帰りの道すがらで聞けばいいだろう。皆行くぞ」
「分かりました、ジル様」
ラーレがすぐに返事をし、アメリアを促す。サリューンもセスに「行きましょう」と声を掛けられると、大きく息を吐いてから歩きだした。
◇◇◇
帰りの道中は大きな輿にラーレと二人で乗り、ゆらゆらと揺られている内に眠ってしまい、起きた頃にはもうラーンの街に入る寸前だった。
外に顔を出すと馬に乗ったサリューンと目が合った。
「よく眠ってたな。身体は痛くないか?」
「平気よ。もうラーンに着くのね」
「ああ。このままこの隊は宮殿に行く予定だが、俺たちは門を越えたら神域に向かう」
「すぐ?」
「当たり前だ。これ以上この国に振り回されてたまるか」
「でも説明とか」
「それは後でもいいだろ。とにかくリュエナに一度戻るんだ。シモン様が絶対に心配してる。無断で姿を消しているんだ。もしかしたらおおごとになってるかもしれないぞ」
「あ、そっか……」
サリューンに言われてすっかり状況を忘れていたことに気付く。確かに何も言わずこちらにいるのだ。教皇も神殿の者も心配しているだろう。
隊が大門を越えて一度停止すると、アメリアは輿を降りた。
「アメリア様」
「ラーレ、ここでお別れよ」
「またお会いできますわよね?」
「うん。きっとね」
ラーレと別れの挨拶を交わしていると、ジルが先頭から馬に乗ったまま近付いてきた。
「行くのか?」
「悪いがそうさせてもらう。あんた方に利用されるのはもうこりごりだ」
サリューンの悪態にジルは声を上げて笑う。
「死者の神はなかなかに口が悪いな」
笑いながら言ったジルの言葉に、アメリアは驚いてサリューンを見る。
眉を歪めて決まり悪そうに目を逸らしたサリューンに、ジルは続ける。
「今回は本当に悪かった。国として正式に詫びたいと思っている。お前たちが良ければ、近い内にまた宮殿に来てもらいたい」
「分かった」
真摯な眼差しでそう言うジルに、サリューンは静かに頷くとアメリアの手を握り歩き出す。
「また会おう、アメリア」
笑顔で手を振るジルにアメリアは振り返り頷く。色々と酷いことをされたけれど、なぜか芯から憎めない人だった。
「俺は二度と会いたくないけどな」
「サリューンったら」
ぼそっと言ったサリューンの言葉に笑いながら、ふと疑問が沸き上がってアメリアは首を傾げる。
「ねぇ、サリューン。どうしてジル様があなたのことを死者の神って呼んだの? まさか正体を教えたの?」
「そ、それは……、色々あって」
「色々って?」
説明しないサリューンに益々聞きたくなって顔を見上げるが、サリューンは顔をあからさまに逸らして足を速める。
「もういいから行くぞ!」
「あ、ちょっと! 引っ張らないで!」
そうして人混みを歩き神域のある小さな祠に着くと、そのまま神域に入った。
ベールをくぐると、先に戻ると言ってカルーファで別れたフィーレンが出迎えてくれた。
「アメリア様」
「フィーレン様」
もう美しい神の姿に戻っているフィーレンがそっとアメリアを抱き寄せた。
甘い白百合の匂いにホッとして目を閉じる。
「本当に申し訳ありませんでした」
「もう言わないで下さい。色々あったけどこうして無事戻れたんですから」
顔を上げてアメリアは笑顔を見せる。フィーレンは小さく頷くと、サリューンに顔を向けた。
「サリューン様、本当に申し訳ありませんでした」
「もういい。そう何度も謝るな。お前も自分の落ち度は十分わかっているだろう。今回は目を瞑る。次はないぞ」
「はい、ありがとうございます」
両手を胸に合わせて深く反省している表情を見せるフィーレンにサリューンは口元を緩めると、その頭にポンと手を置いた。
「まぁ、今回はお前も良い経験になっただろう」
「サリューン様……」
優しい声音にフィーレンが微笑みを浮かべる。二人のそんな様子からアメリアは何となく視線を逸らす。
あまりにごたごたしていて忘れていたが、やはりアメリアは二人の気心の知れた雰囲気が気になった。
「さて、行くか」
「あ、うん」
サリューンに促されてリュエナの神域に戻る間、アメリアは黙って歩き続けた。
サリューンはフィーレンのことをどう考えているのだろう。あんなに美しいフィーレンのことを何とも思わない人なんているだろうか。
神のことなんてやっぱりまだよく分からないけれど、人よりも人らしい感情を持つ神が普通に恋愛関係になるのは当たり前のような気がする。
二人がそういう関係であったらと考えてしまい、アメリアは一人落ち込んでしまう。
「あぁ、やっと戻ったな」
サリューンの言葉にハッと顔を上げると、そこは冥府の神域だった。いつの間にかガラスの橋を渡り、濃い緑が鮮やかな森が間近にある。
「とにかく着替えて、それからすぐに外に出ろ。白の間にシモン様がいる」
「え、本当!?」
「心配で待っているんだろう。早く行ってやれ」
アメリアは慌てて走ると、いつもの黒のローブに着替えてベールをくぐり走り出た。
「教皇様!」
「アメリア! ああ、良かった!!」
白の間で立ち尽くしていた教皇がアメリアの姿を見ると、声を上げてアメリアを抱き締める。
「三日も姿が見えず、なにかあったのかと心配していた。どうしていたのだ?」
「ごめんなさい」
ギュッと抱き締めてくれる教皇の温もりに、アメリアは心配を掛けたと申し訳なく思いながらも、やっと帰ってこられたのだと実感できた。




