62話 黒の魔法
強い風と舞い散る花に視界を奪われ、アメリアはどこに向かって進んでいるのか分からずに、ただ闇雲に前に進んだ。
魔法の威力はまったく衰えず周囲の壁や柱を破壊している。駆け付ける兵士たちも目の当たりにする惨状に躊躇し近付く者はそれほどいない。
歩きながらもどうにか魔法を止められないか試し続ける。ただ魔法を使っている自覚がないため、止めるということがどういう風にすればいいのかまったく分からない。
(サリューン、助けて……)
先ほどまでの強い気持ちが萎えて弱気になってしまうと、途端にサリューンが恋しくなった。
ここに来られないのは分かっている。自分でどうにかしないといけないのは分かっている。それでも名前を呼ばずにはいられない。
「サリューン……」
涙が溢れ重くなった足でゆっくりと階段を下り広い空間を抜けると、突然視界が開けた。真っ暗な空と星が見えてアメリアはホッとする。
建物すべてを壊してしまう可能性がなくなって安堵し庭に入る。けれど裏庭らしいそこには兵士たちが多数集まっていてアメリアは叫んだ。
「みんな逃げて!」
「何者だ!? なんだこの風は!?」
外を守る兵士たちは状況を理解しておらず、アメリアを取り囲もうとする。けれどそれを察したかのように風は強まり、兵士たちを吹き飛ばした。
「ああ! ダメ!!」
まるで自分の意志でそうしているように風が攻撃的に動く。アメリアは慌てて兵士たちから距離を取ろうと庭の隅に走った。
その瞬間、風が塀を破壊した。館の周囲を囲む塀が瓦礫となって崩れ落ちると、そこに水面が見えた。
「水?」
風に煽られて水が波を立てている。その光景にアメリアはジルの話を思い出す。
激減したオアシスの水。その行き先はここなんじゃないだろうか。
「領主が独り占めしていたの?」
眉を歪めて呟く。砂漠を越えた短い旅の中、それだけでも水が大切だと実感した。水が無ければ人は生きていけない。
それを自分の利益だけのために利用するなんて許せない。
その怒りに反応するように風が強さを増した。
「え?」
風が塀を軒並み壊していく。このままでは溜められた水が流れ出てしまうかもしれない。
それは絶対にだめだと思うけれど、また館に入る訳にもいかない。アメリアは行き場を失って立ち尽くすしかなかった。
(どうしたらいいの? このままじゃ全部壊しちゃう……)
止まない嵐に頭が混乱してくる。
「サリューン……、サリューン……、サリューン!!」
「メル!!」
もうどうにもならなくて泣きながら叫んだ瞬間、頭上から返事が来た。聞き間違えるはずのない声に驚いて顔を上げる。視線をさ迷わせると、ぼろぼろの館のバルコニーにリオンの姿が見えて目を見開く。
「リ……オン? 嘘……、サリューン!!」
「メル!!」
「助けて! サリューン!! 魔法が止まらないの!!」
強い風に負けないように叫ぶ。サリューンは険しい表情のまま周囲を見渡し叫んだ。
「その力は使うな!!」
「力!? なに!?」
訳が分からず聞き返すが、サリューンは首を振るとバルコニーから飛び降りた。
サリューンまでも傷つけてしまうと焦ったが、サリューンは抵抗なくまっすぐアメリアに近付くと走る勢いのまま抱き締めた。
「メル!!」
「サリューン!!」
「錫杖から手を離すんだ!」
「離れないのよ!」
泣きながら訴える。するとサリューンは怪訝な顔をして、それからアメリアが両手で握り締めていた月の錫杖をいとも簡単に引き抜いた。
その瞬間、身体の中から何かが抜けるような感覚があった。そうしてゆっくりと風が治まっていく。
荒い呼吸のまま呆然とサリューンを見上げる。
「止まった……」
「だいぶ暴れたな」
安堵したような笑顔を向けられてやっと実感が湧いてくる。
目の前にサリューンがいる。
「サリューン……、こわ……、怖かった……」
涙がまた溢れてサリューンの胸に額を押し付ける。ギュッと抱きつくと、優しく背中をさすってくれた。
「一人でよく頑張ったな。無事で良かった」
「うん……」
ぐずぐずと鼻を鳴らして頷く。
少しの間、そうして二人で抱きしめ合っていると、近付く足音があった。
「サリューン様!!」
倒れ込む兵士たちを避けて走り寄ってきたのはセスと綺麗な女性だった。手を繋いで来る二人に、アメリアはピンと来る。
「まさか、フィーレン様!?」
「そのまさかさ」
アメリアの声に楽しげに答えたサリューンは、足を止めた二人に顔を向ける。
「サリューン様、アメリア様もご無事のようで安心しましたわ」
「お前たちもな」
「ああ、水が減り始めていますね」
「え!?」
セスが水の方を向いて言うので、アメリアは驚いて水を見た。確かにさきほどよりも随分水面の高さが低くなっている。
「どこかに漏れてしまっているの!?」
「いや、たぶんオアシスと繋がっているパイプが、あの風の衝撃で壊れたかなにかしたんだろう。今頃涸れたオアシスに水が戻り始めているさ」
セスはそう言うとまじまじとアメリアを見た。
「お前、アメリアか?」
「え? もちろん、そうだけど」
「ああ、髪がボサボサで分からなかったか」
セスとの会話を遮ってサリューンが髪を撫でた。今しなくても思ったけれど、確かに風に飛ばされて髪はすっかりボサボサになっている。
そんなに酷いのかと自分も髪を手に取って驚いた。
「ええ!? なんで黒いの!?」
纏めようと手にした髪はなぜか黒かった。闇に溶けるような黒髪に、思わずサリューンを見上げる。
サリューンは笑ってアメリアの頭を撫でた。
「すぐに戻る。心配するな」
「サリューン?」
アメリアと同じように怪訝な様子で首を捻るセスはフィーレンを見るが、フィーレンも穏やかに笑うだけで答えはしない。
「まぁ、とりあえずジル様と合流しましょうか」
「あちらは?」
「もちろん、上手くいきましたよ」
「ふん……」
セスの答えにサリューンはなんだか面白くなさそうな顔をする。アメリアはそのやり取りを見ながら、どうやらすべてが終わったのだと大きく安堵の息を吐いた。




