59話 絶体絶命
宿屋から無理矢理兵士たちに連れ出されたアメリアは、腕を縛られたまま領主の館に連れてこられた。騒げばもしかしたら誰かが助けてくれるかもと一度声を上げてみたが、深夜の街に声が響いたきり誰も姿を現してはくれなかった。
そしてその行動により兵士を怒らせてしまい、剣を突き付けられてしまってはもはや逃げる隙もなくなり、仕方なく館へと足を進めるしかなかった。
何人かの兵士とすれ違ったが、ニヤニヤとした値踏みされるような視線を向けられ、この中の誰かが親切心で助けてくれるなんてまったく思えない。どうにもならぬまま階段を上がり、二階まで行くと煌びやかな部屋に押し入れられた。
室内はラーンの宮殿に負けず劣らず、すべてが金で装飾されており眩しいほどだった。だがなんとなくごてごてとした下品な印象があって、居心地はすこぶる悪い。
「ここで待っていろ」
腕を縛っていた紐を解いてそう言うと、兵士は部屋を出て行った。扉は鍵を掛けられてしまい、慌てて駆け寄ってみたところでびくともしない。急いで二つある窓を確認してみたが、飾り格子の目は細かく手さえ出せない状態だった。
またも幽閉されてしまったアメリアは大きな溜め息を吐いて部屋を見渡す。部屋の中央には大きな天蓋付きのベッドが置かれ、嫌でも目に入る。大きな花瓶に飾られた赤い花がそこら中に置かれ、部屋はむせ返るほど甘い匂いに満ちている。
明らかにいかがわしい雰囲気の部屋に、アメリアは無意識に両手を握り締める。ラーンの宮殿に閉じ込められた時よりも、もっと強い警鐘が頭に鳴り響く。
「どうしよう……」
ジルは助けに来てくれるだろうか。何のために自分をカルーファに連れてきたかは分からないが、これは想定内なのだろうか。
自分を餌にして今まさに何かをしているのだろうか。
(私やラーレを危険に晒してまで?)
それほどジルは冷徹な人間ではないと信じたい。食えない人物ではあるが、その根底には善意があると感じられた。だから心の底からジルを憎むことができないでいたのだ。
「サリューン……」
不安な心で名前を呼ぶと左手の薬指を見つめる。そこにはもう何もない。ラーレに指輪を渡したことに後悔はない。ラーレの命を助けるためにはあれが最善だった。けれどこれでもはや自分の居場所はサリューンには分からないだろう。
指輪には追跡の魔法を追加して掛けてくれた。この世界でどこに居ても探し出せるようにと、サリューンがしてくれたことだ。
「ごめんなさい、サリューン……」
もしかしたらまたサリューンは探していてくれているかもしれない。けれど前のように見つけることはできないだろう。自分がこのカルーファにいることすら、サリューンには分からないかもしれない。
絶望的な気持ちが胸に広がり、動揺して立っていられずそばの椅子に腰掛ける。冷静になれと自分に言い聞かせていると、扉の鍵が開く音が聞こえた。
「いやいや、待たせたな」
開いた扉から現れたのはでっぷりと太った中年の男性だった。ごてごてとした金の装飾を首や腕に着けている。頭に巻いたターバンにも赤い宝石の飾り紐が垂れ、指にはすべて大粒の宝石が着いた指輪が重そうに嵌められている。
細い目を大きく見開いた男性は、喜色をあらわにすると身体を揺らしアメリアに近付く。
「おうおう、本当に異国の娘ではないか」
しゃがれたような汚い声で嬉しそうにそう言うと、男性が手を伸ばす。アメリアはぞっとして飛び退くと、走って部屋の隅に逃げた。
「ほうほう、兎のようだな。商隊の娘とか。名はなんという?」
ニヤニヤとした気色の悪い笑みに、アメリアは寒気を覚えて自分の身体を抱き締める。男性の中でもこれは最悪の部類だと、身体中が危険を察知する。
「私を帰して下さい」
「なにを言う。儂に気に入られればお前の父はとても楽ができるのだぞ」
「どういうこと?」
「婿を探しているのだろう? 儂のところに来ればカルーファでの商売は安泰だ。お前の父も喜ぶだろう」
男性の言葉にアメリアはハッとする。それはカルーファの門衛に話した内容だったはずだ。
「あなたは、誰?」
「儂は、カルーファの領主、ラムディラ・アルマだ」
ラムディラの言葉に声を無くして眉を歪める。ゆっくりと近付いてくるラムディラから距離を取るようにじりじりと壁に沿って動く。
「心配することはない。この館にはお前くらいの娘はたくさんおる。寂しいこともなかろう。一生食うに困ることもなし、安心して儂の物になれ」
赤らんだ顔でそう言われ、またアメリアはゾッとした。門衛ならこの街に入るすべての人間を見分できる立場だ。ラムディラへの貢物を探すには最もよい仕事場だろう。
ラムディラの言うことが本当なら、連れて来られた娘は無理矢理この男の物にされ、一生をここで過ごさなくてはならなくなるのだろう。身内にはそれなりの金でも渡して納得させているのかもしれない。
これほどあからさまに賄賂が横行しているのだとしたら、この街の政治はもはや腐敗し切っている。政治はまだ勉強中のアメリアでもそれくらいは分かる。
人を見た目で判断するのはいけないことだとは思うが、ラムディラのこのごてごてとした金に塗れた下品な姿は、どう考えても善政を敷いている者ではないだろう。
「私はあなたの物じゃない! こんなことをして許されると思っているの!?」
「領主の儂にそれを言うのか。面白い娘だ。それ、そんな壁にかじりついておらんで、こちらに来い」
ベッドに目を向けたラムディラは楽しげに言い、またアメリアに近付く。物でも投げてやろうかと思うけれど、ざっと視線を流したところで、手ごろな物などどこにもない。
「お前がそんな態度では父が悲しむぞ。カルーファで商売ができなくなってもいいのか?」
「そうやって権力に物を言わせて、身内を人質にして娘たちを無理矢理自分の物にしてきたのね! 最低よ!! 人の弱みに付け込むしかできない者が領主なんて聞いて呆れるわ!!」
怒りに任せて思わず叫ぶと、ラムディラの顔色が変わった。冷徹な視線でアメリアを睨み付けると、突然歩を詰めてくる。驚いて飛び退こうとしたが、背後にあったテーブルに腰がぶつかり一瞬動きが止まった。
その隙を突かれてラムディラに腕を掴まれた。
「放して!!」
腕を振って振り解こうとするが、痛むほど強い力で掴まれてまったく振り解けない。ラムディラはアメリアを引き摺りベッドまで連れてくると押し倒した。
赤い顔が近付くと、酷い酒の匂いがしてアメリアは顔を背ける。
「小娘風情が儂に意見するなぞ百年早いわ。優しくしてやろうと思ったが気が変わった」
「いや!! 放して!!」
身体をまさぐられて震えが走る。がむしゃらに手足をばたつかせるが、上に圧し掛かられてびくともしない。
恐怖で歯が鳴る。涙が溢れて視界が歪む。それでも暴れるのをやめてしまったら、もうすべてが終わってしまうと、心を奮い立たせてラムディラから逃げようともがく。
「ほおほお! お前の瞳、琥珀色だと思ったが、なにやら宝石のように輝いておるな」
「いやあ!!」
顎を掴まれて目を覗き込まれる。顔が近付き半ばパニックになって叫ぶと、ラムディラはいかにも楽しそうににやりと笑い言った。
「誰も助けになぞ来ぬぞ。そろそろ諦めよ」
ラムディラの言葉にアメリアはわななく唇を噛み締める。そう言われてしまうと、心が挫けそうだった。
アメリアの抵抗が一瞬止んだ隙に、ラムディラが露わになった足に手を触れる。その気色の悪い感触にハッと意識を取り戻す。
「やめて!!」
「領主様!! 大変です!!」
アメリアの叫び声に重なるように、突然扉を叩く激しい音と共に、兵士だろう声が響いた。
「何事だ?」
不機嫌な声を上げて手を止めたラムディラが返答すると、扉が開き兵士が入ってきた。
「申し訳ありません!」
駆け寄った兵士は強張った表情のまま、ラムディラに耳打ちをする。するとラムディラは眉間に深い皺を寄せてのっそりと起き上がった。
「どういうことだ? なぜ突然」
「分かりません。ただ公式の訪問だと言い張っておりまして」
「公式だと? そんな連絡はない!」
アメリアはラムディラの動向を注意深く窺いながら、さっと起き上がると乱れた衣服を震える手でどうにか直した。
ラムディラは不機嫌を丸出しにした顔をそのままに、ちらりとアメリアの顔を見る。
(なに? なにが起こったの?)
アメリアが窺うような目を向けると、ラムディラは繕うような笑みを見せる。
「すぐに戻ってくるゆえ、少し待っておれ」
猫なで声を出したラムディラは兵士を連れて足早に部屋を出て行く。扉が閉まりガチャリと鍵が閉められる音がして、しばらくしてようやくアメリアは大きく息を吐いた。
身体中が震えてまだ動けそうにない。恐怖が身体から抜けず、どうにか呼吸だけを繰り返す。頭の中が真っ白だったが、時間が経ってくると思考力が戻ってきたのか、扉の外で慌ただしく足音が行き交っているのに気付いた。
「なにかあったんだわ」
もしかしたらジルが助けに来たんだろうか。そう考えると少しだけ希望が見えてくる。けれど自分がここに捕らえられていては、足枷にしかならないだろう。本来はセスを助け、街の問題を解決しに来たのだから。
それにジルの助けを待っている間にラムディラが戻ってきたら、今度こそ自分は汚されてしまうかもしれない。
「逃げなくちゃ……」
待っているだけではだめだと立ち上がる。まだ足は震えていたが、萎えた足に気合いを入れるように何度か両手で叩くと視線を上げた。
(捕らえられたのは初めてじゃない。大丈夫。私は逃げ出せたじゃない)
祈るように両手を胸で合わせる。リュエナの王宮の塔に捕らえられた時のことは、あまり思い出したくなくてずっと胸にしまっていた。
けれど今、あの時に奮い立たせた勇気と、成し遂げた自分を思い出す。
(大丈夫。大丈夫よ……)
何度も自分にそう言い聞かせる。そうして指先に触れた指輪を見下ろした。
「月の指輪……」
(そうだわ。この指輪は取られていなかった……)
ラーレに嵌められた他の指輪もあったが、その中には元々嵌めていた月の指輪があった。
そっと左手を添わせると、錫杖が現れる。それを両手で握り締めじっと見つめる。
(今、私の武器はこれだけ……)
この追い詰められた状況の中で、縋ることができるのは魔法だけだ。
まだ魔法らしい魔法は使えないけれど、もし上手くいけば扉くらい開けられるかもしれない。
アメリアはそう考えると、ゆっくりと扉の前まで移動した。
「扉を開ける」
呪文なんて知らない。だから言葉にしてみる。ギュッと錫杖を握り目を閉じる。
意識を集中する。セスに教えられた言葉を思い出す。
(グラスを割った時はどうしたっけ……)
確かリボンを思い出したのだ。それまでのセスの教えとは違う、ゲルトルーデの残した魔法書の言葉通りにしたらグラスは割れた。
(身体の中に巡る魔力を一つに束ね、胸の中心でリボン結びにすること……)
意識を集中すると身体の中に確かに魔力を感じる。指先まで温かくなるような、不思議な流れが身体中を巡っているような感覚。
それはたくさんの色とりどりのリボン。風に揺れる、美しいリボン。
(あの時はエリザベートの青いリボンを思い浮かべたんだわ)
それを思い出し、また青いリボンを思い浮かべようとしたが、ふと魔法書の言葉も思い出した。
「黒は最後に取っておいて……」
なぜ黒は最後なのだろうか。黒はサリューンの色だ。冥府の色。闇の色。
(今では私の色……)
そう思った時だった。
月の錫杖が恐ろしく熱く感じた。驚いて目を見開く。
その瞬間、自分の中から溢れた魔力が花と風に姿を変えて、扉を吹き飛ばした。
激しい音とともに吹き飛んだのは扉だけではなく、その周辺の壁もだった。砕け散った扉や壁の破片がそこら中に飛び散っている。その瓦礫の下に扉を守っていた兵士が倒れているのが見えた。
アメリアは驚いて魔法を止めようと思ったが、どうやって止めていいかが分からない。錫杖を持たなければいいかもと手を放そうとするが、ビリビリとした感覚が伝わる錫杖はなぜか自分の意思で離すことができない。
アメリアを中心に生まれる強い風と花は嵐のように吹き荒れ、無事であった壁を瞬く間に壊していく。
「貴様! なにをしている!?」
音を聞きつけてやってきた兵士が、廊下の角を曲がり大声で怒鳴ってくる。
その声にアメリアは咄嗟に声を上げた。
「来ないで!」
近付いては怪我をさせてしまう。そう思って叫んだが、兵士は聞き入れることもなく走り寄ってくる。剣を引き抜き近付いてきた兵士は、けれど一際強く吹き付けた風に身体が浮き上がり壁に叩きつけられた。
「ああ!」
床に崩れ落ちた兵士を見てアメリアは声を上げる。
こんなはずじゃなかった。扉を開けて逃げ出すだけのはずだった。人に怪我をさせるなんて思ってもみなかった。
これ以上自分の魔法で人を傷つけてはいけない。そう咄嗟に思った。
(人のいないところに行かなくちゃ!)
魔法が止められないなら、自分が誰もいないところに行くしかない。そうアメリアは思うと、足を動かしだす。
自分を取り巻くような風が歩くたびに周囲の壁を破壊していく。その惨状を眉を歪めて見つめながら、それでも歩き続ける。
「なにをしている! 止まれ!」
騒動を聞きつけて続々と兵士が集まってくる。誰もが得体の知れない力に恐怖と戸惑いを見せている。その視線を受け止め切れずアメリアは首を振る。
「来ちゃだめ! お願いだからそばに来ないで!!」
アメリアにはもうそう言うしかない。吹き荒れる花の嵐によって視界は悪く、唐突に現れたように見える兵士は、その瞬間に吹き飛ばされていく。
お願いだから死なないでと祈りながら、廊下をさ迷う。どこに行けば人がいないのかなんて分からない。
アメリアは自分の力を恐ろしく思いながら、それでも前へ進み続けた。




