58話 セスの気持ち
階段を下りてきたラムディラは鉄格子の前に立つと、セスを見下ろし口を開いた。
「やあ、少しやつれたのではないか? 食事は良い物を出しているつもりだが、口に合わなかったかね?」
にやつく顔でそう言われ、セスは顔を顰める。ここに捕らえられてから、ラムディラは必ず一日に一度はここに顔を出している。きっとまた昨日と同じことを言われるのだろうとうんざりする。
「そろそろ良い返事を貰えると良いのだが。どうです? 儂の元で働く気になりましたか」
「なにをされても僕はお前の元でなど働かない。神に仕える神子を懐柔できると本気で思っているのか?」
呆れながらそう言うが、ラムディラはまったく意に介さない様子で太い指で顎髭をしごくと、膝を折って目線を合わせてくる。
「今の国王は神を軽んじている。軍事を優先して神託を無視していると聞く。また領主たちの意見にも耳を貸さない。これではラーンはいつまで経っても平和にはならん。王太子は人気はあるが、国政には向かん性格だ。他の領主からの意見を集めれば、儂が国王になった方がこの国は良い方へ行く」
恐ろしく自信に満ちた言葉と表情に、セスは深い溜め息を吐く。何度も聞かされ続けていると、本当にそうなんじゃないだろうかと思えてくるから不思議だ。
とはいえそれがどれほど幼稚な妄想かは理解しているので、流されて頷くことなどはないのだが、さすがに毎日聞かされているとうんざりしてくる。
「儂に力を貸せば、神殿を優遇してやる。今よりも高い地位が欲しいだろう?」
「王は神が決めるものだ。簒奪者などを神が王と認めると思うか? 結局は神の裁きを受けることになるだけだ」
「過去に愚王はいくらでもいた。これが簒奪というのならそれでも良いが、即位した後に善政を敷けば帳消しになるだろう」
「神の目は確かだ。国を滅ぼす者に、長命は与えない」
冷酷に告げると、さすがにラムディラは口を閉ざした。言い分は分かる。確かに過去には決して賢王とは程遠い王は何人もいた。けれど能力はどうあれ、それが善意によるものなのかが非常に大切なのだとセスは勝手に思っている。
フィーレンがどういう風に国王を決めているのかは分からない。けれど歴史を勉強した限り、結局悪人か善人かによるところが大きいのではないかと感じた。
その結論が確かならば、決してラムディラは王にはなれない。なれたとしてもその命はすぐに奪われるだろう。神の残酷な力によって。
「意地になるのは良いが、あまり儂を待たせんことだ。魔法を使えぬ子供を殺すのは、簡単なことだからな」
「僕を懐柔したいのなら、僕を国王にするくらい言ってほしいものだね」
セスが口の端を上げて言うと、ラムディラは初めて顔を歪めた。
ラムディラが自分を殺すことはしばらくはないだろう。こうして捕らえて懐柔しようとしているということは、神子という立場か、魔法使いを手元に欲しがっているということだ。この国で魔法使いはただ二人、師匠と自分しかいない。
国王に忠誠を誓っている師匠が、他者に膝を折ることは決してない。となればこの状況で安易に自分を殺すことはまずないだろう。それに呪具を持っていたラムディラならば、魔法の力を過大に評価している可能性が高い。
とはいえあまりにも長いこと睨み合いを続けていれば、しまいには殺されてしまうかもしれない。
その前にここを逃げる手立てを考えなくてはいけない。
「あまり大きな口をきかない方が身のためですよ。これから長い付き合いになるのですからね」
ラムディラは慇懃無礼な態度でそう言うと、立ち上がり階段を上がって行った。
セスは身体から力を抜き壁に背を預ける。このままずっとここで捕らえられていたとして、どうなるだろうかと考える。
師匠が助けに来てくれるだろうか。今は国外に出ていて、戻ってくるには相当時間が掛かるだろう。神子の救出のために、国王はそれを命じてくれるだろうか。
ラムディラの言った通り、国王はあまり神子という存在を重要視していない。神子は神託のために必ず必要な存在だが、神子になる者は特別な者ではない。その国の者という大前提はあるが、その他になにか特別な力は必要ない。
セスはたまたま魔法使いという素養があったが、前任者は普通の男性だったという。歴代の神子に魔法使いはいたらしいが、それも遥か過去の話で、大抵は普通の民だった。
(国王は僕を切り捨てるかな……)
替わりはすぐに見つかる。神子が死ねば7日以内に選定が行われ、新しい神子が立つ。ただそれだけの話だ。
魔法使いとしてはまだ国王からは認められていない。今回の仕事を上手くこなしていればどうにか評価されていたと思うが、この体たらくでは鼻で笑われて終わりだろう。
(フィーレン様もそう思うのかな……)
自分が死んで悲しむだろうか。けれど7日後には新しい神子を選んで、その人とまた仲良く過ごすのだろうか。
そんな埒もない考えが浮かび胸が痛んだ。フィーレンが誰かと笑顔で話している姿を想像した時、なぜか死者の神の顔が思い浮かんだ。
すらりとした背はフィーレンよりももちろん高く、黒髪の美丈夫で、フィーレンと並び立つと恐ろしいくらい美しかったし、似合っていた。
フィーレンが親しそうに話していたのに驚き、そして腹が立った。それから少しだけ羨ましかった。
自分はまだ14歳で、ただの子供だ。この1年で随分背が伸びたけれど、まだアメリアと同じくらいだ。フィーレンの顔を見上げるのが嫌で、あまり近くに立つのも嫌だった。
そんな中で死者の神が現れて、その並び立った姿に自分がいかにフィーレンとは似つかわしくないかを思い知った。
「フィーレン様……」
ポツリと呟いた時、階上で誰かの話し声が聞こえた。何事かと聞き耳を立てていると、階段を下りてくる音がする。
「当たりだな」
姿を現した青年が笑顔を向けて言う。見知らぬ黒髪の青年が背後に首を向けると、もう一人フードを被った細身の者が下りてくる。
「セス!!」
高い声で名前を呼ぶと鉄格子の前に走り寄る。目の前に来た顔を見て、それがとても美しい女性だと分かってセスは目を見開いた。
「誰だ?」
「無事で良かった。助けに来たぞ」
快活そうな笑顔の青年はセスを知っているようで、親しげに話すと牢の扉を揺さぶった。
「鍵がどこだか分かるか? 上の兵士は持っていなかったんだが」
「鍵?」
なぜこの見ず知らずの明らかに兵士でもなさそうな外見の二人が、自分を助け出そうとしているのかと戸惑っていると、青年が壁にあるネックレスに目を止めた。
「なんだこれ。すごい古い魔法だな」
「魔法が分かるのか!?」
驚いて声を上げるが、青年はこちらを一瞥するだけでネックレスを手に取る。見分するようにじっくりと見つめると、突然壁に叩きつけた。
セスがビクリと身体を震わせ、女性が「キャッ!」と声を上げる。青年はそんな事はお構いなしに、床に膝を突くと粉々に砕け散った目玉の欠片を手に取った。
「魔法の発動を阻止する魔法か。懐かしいな」
「魔法の発動を?」
「これでもう魔法は使えるはずだ。鍵開けくらいできるだろ?」
聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず促されるまま開錠の魔法を使ってみる。するとカチリと小さな音を立てて鍵が開いた。
あっさりと魔法が使えたことに安堵しつつ、牢から出ると突然女性が抱きついてきた。
「セス! やっと会えた!!」
嬉しそうにそう言う女性に戸惑い離れようと身動ぐが、思いの外強い力で抱きしめられていて離れられない。少し恥ずかしい気持ちになってどうしようかと思っていると、ふわりと百合の香りが鼻を擽った。
(この匂い……、まさか……)
あまりにも嗅ぎ慣れた匂いに、まさかと思いながらも聞かずにはいられなかった。
「まさか……、フィーレン様?」
「ええ! そうよ!! 助けに来たの!!」
パッと身体を離して顔を覗き込んだフィーレンは満面の笑みで答える。まじまじと見るその顔は確かにフィーレンの面影がある。あえて言うならフィーレンに似た人間の女性という感じだ。
ただ銀の瞳はそのままだった。間近でじっと見つめると不思議な輝きがあって、吸い込まれるような感覚になる。その瞳にこの目の前の女性がフィーレン本人なのだと納得できた。
「怪我もなくて本当に良かった」
「フィーレン様……」
また首に腕を絡めて抱きついてくるフィーレンを、セスはそっと抱きしめ返した。こんなに密着したことなどなかったが、甘い百合の匂いと温かい身体に先ほどの動揺は消え去りホッと息を吐く。
「そろそろいいか?」
青年の声にハッとし回していた腕を放すと、フィーレンもゆっくりと手を下ろす。
青年は階上を気にしながら話し始めた。
「俺たちはジルと一緒にお前を助けに来たんだ」
「ジル様と!?」
「ああ。どういう作戦だったかは知らないが、探索中にメルがこの領主の館に拉致されてな。追い掛けてきた俺たちと合流して、正面突破で行くことになった」
「え? ちょっと待って下さい。メル? アメリアが? 正面突破ってどういうことです?」
「今ジルは、正面から堂々と館に現れて領主との謁見を申し出ている。立場上領主も無下に追い返すことはできないからな。その隙に俺たちでお前とメルを助け出す作戦になった」
セスの困惑をよそに話を進める青年に、セスは焦って手を上げた。
「アメリアが捕らえられたんですか? なぜ?」
「メルはジルに無理矢理連れて来られたんだ。あいつの不手際でメルが領主の貢物になってしまったらしい。だからここでぐずぐずしている暇はないんだ。メルの居場所はお前の魔法に懸かっている」
「まさか賄賂に使われたんですか!? ならぐずぐずしてる暇はない!! ラムディラは館に来た女性はすぐに手を出すことで有名なんですよ!!」
セスの言葉に青年の顔が青褪める。セスは慌てて階上を見透かすように睨み付け、探索の魔法を発動させると、床に光り輝く線が現れ階上へと伸び始める。
「あなたはサリューン様ですよね!?」
「ああ、そうだ!」
フィーレンと共に来たということと発言から、きっとそうであろうと訊ねると青年ははっきりと頷く。
「僕とフィーレン様はジル様を助けに行きます! あの方を失うことがあってはならない! アメリアのことはお任せします!!」
「分かった!!」
サリューンによく似た青年はしっかりと頷くと、一目散に階段を駆け上がって行った。
それを見送ったセスはフィーレンと目を合わせる。
「助けに来てくれてありがとう。ここからは僕が守る。決して手を放さないで下さい!」
差し出す左手を見下ろしたフィーレンは、少し驚いた顔をした後、嬉しそうな笑みを見せて頷き、ギュッと手を握り締めた。




