57話 セスの油断
地下牢のぼんやりとした明かりに反射して、壁に掛かっているネックレスが鈍く輝いている。
セスはその目の形を模した飾りのついたネックレスを憎々しげに見つめる。
(捕まってもう5日か……)
5日前のことを思い出し、セスは大きな溜め息を吐いた。
◇◇◇
朝からカルーファの街に入ったセスは、昼中街中を調査し、夜になるとまっすぐ領主の館に向かった。
館をぐるりと囲む壁の前には歩哨がいたが、それほどの人数ではない。ラーンとは違い高い塀なので、それほど人数を配置しなくても守りに自信があるのだろう。とはいえどれほどの高さがあろうと、魔法があるセスに意味はない。
一度周囲を見渡し、誰もいないことを確認すると、魔法を使い身体を浮き上がらせる。ふわりと塀を越え音もなく地に足を着ける。視界の中だけでも数人の兵士が見えて、慌てて木の陰に隠れた。
(物々しいな……)
夜の警備にしても人数が多すぎる。何かに警戒しているような様子だ。
セスは兵士の視線から外れるように壁沿いを移動しながら周囲を探索する。オアシスの水量は確かに激減しており、これでは街の民に十分に行き渡らないだろう。領主は心配ないと国王に返答を寄越していたが、どう考えても虚偽の報告だ。
水に対する税も数か月で倍になっているようで、聞き込みをした住民たちは、皆口々に生活の不安を訴えていた。
オアシスに潜って調べてみると、水底に一抱えほどもする太い管を見つけた。先を辿ったがすぐに地に潜ってしまいどこへ繋がっているのかは確認できなかった。
(まぁ、たぶん領主の館に繋がっているんだろうが……)
それを確認するために領主の館に潜り込んだのだが、少し歩いたくらいでは見つけられないようだ。
塀に沿って歩きながら館の配置を考える。オアシスから水を抜いていたとして、それをどこかに貯水しているはずだ。水量から考えても樽などに溜めておくのは現実的ではない。
普通に考えて人口池などを作って水を流し込んでいるのだろうと推測したが、どうにもそれらしいものは見当たらない。
規模から考えればそれなりの大きさになるだろうが、すでに館の半周は回ってしまっている。それでも見つけられないということは、もっと別の方法なのかもしれない。
(まさか地下に溜め込んでいるのか?)
そう考える先でさすがにそれは無理があるだろうと自分の考えを否定する。館をそのままに地下にそれほど大規模な空洞を作れば、建物はすぐに崩壊してしまうだろう。
ならばあの大量の水はどこへ流れて行っているのか。考えながら塀を進むと、ふと小さな門が遠目に見えた。門衛が一人立っている。一瞬、街への通用門かと思ったがそれにしては街の裏手側だし、ひっそりとし過ぎている気がする。
しばらく考えたセスは、やはり確認しておこうと塀を見上げた。遠目に兵士はいるが、この暗がりなら塀を越えても見つからないだろう。そう判断し、魔法をまた行使したセスは、塀の向こう側の景色に目を見開いた。
着地しようとしていた足元が水だった。気付いた時にはすでに足先は水に触れていた。小さな水音を鳴らして水へ落ちたセスは、慌てて周囲を警戒する。
(誰もいないか……)
ぐるりと見渡してみるが、兵士の姿はない。安堵して息を吐くと、今度は大きく息を吸い込んで水へ潜った。魔法のぼんやりとした明かりを頼りに水底を探ると、ほどなく太いパイプを見つける。
息が続かなくなったところで浮上し水面に顔を出し息を整える。
(オアシスの水をここに引き込んでいるということで間違いないな。子供だましだが、よく考え付いたものだ)
館を囲む塀の内側にもう一つまったく同じ装飾の塀を作り、その塀と塀の間に水を溜め込んでいたということだ。塀より高い建物は領主の館以外はこのカルーファには存在しないので、街の人間が見つけることはないし、客として領主の館に入ったとしても、自由に動ける場所を街に面した表側だけに限定してしまえば、発覚することもないだろう。
実際、少し前にセスも公式にカルーファを訪れたことがあったが、この仕掛けにまったく気付かなかった。
街に面している塀はそのままにして、裏手に向かう途中から二重になっているのだろう。裏手側だけとはいえ、塀は相当の距離がある。それを考えればかなりの量の水を溜めておけるだろう。
水の在処は分かったので、これで役目は十分果たしただろうと、水から上がろうとした瞬間、ヒュッと耳元を何かが掠った。
「侵入者だ!!」
男の大声に目を向けると、兵士が門の前で弓を構えている。兵士の声に塀の向こう側から複数の足と声が近付いてくる。まずいと咄嗟に魔法を使おうとするが、撃ちかけられる矢に集中を乱される。セスは仕方なく水に潜ると、兵士から遠ざかるように泳いだ。
すぐに塀に手が触れ、街に逃げ込んでしまおうと、矢を避けながらもどうにか魔法を使い水から浮上する。
セスにとって魔法を実戦で使うことはこれが初めてだ。だが上手く立ち回れると思っていた。魔法を使えば偵察など造作もないことだと高を括っていた。
けれど塀を越えて着地しようとしたその足元に剣を抜いた兵士を見つけて、セスは自分の浅はかさを呪った。
「捕まえろ!!」
街の方へと塀を越えるつもりが、間違えて館の中へとまた足を踏み込んでしまったセスは、兵士に取り囲まれて慌てて魔法を放った。弱い衝撃波に怯む兵士の横を走り抜ける。大きな魔法を使えればいいのだが、集中する時間もないため、とにかく今は足で距離を稼ごうと人影のない方へと足を向ける。
兵士たちの怒号が飛び交う中、逃げ道を探して走り回る。とにかく塀を越えて街に逃げ込まなくてはと塀に近付こうとするが、かなりの数が庭に出てきており、近付くどころかどんどん遠ざかってしまう。
追い込まれるような形で館の中に仕方なく逃げ込んだセスは、もはや逃げるネズミのようにちょろちょろと回廊を走り回るしかなかった。背後からは激しい足音と兵士の声が近付いてくる。焦りが募る中、回廊から横道に逸れようと角を曲がった途端、廊下の先にでっぷりと太った男と目が合った。
(ラムディラ!)
領主であるラムディラに偶然にも出会ってしまい、驚きに一瞬足が止まってしまう。ラムディラの背後には兵士が二人いて、セスからラムディラを守るように身構える。まずいと踵を返そうとしたが、振り返った回廊の先にはもうすでに複数の兵士の姿が見えた。
万事休すかと思う中、それでもこの数秒で集中すれば魔法が使えると判断し、大きな魔法の構成を頭に描く。
「領主様!! 危険ですのでお下がり下さい!!」
背後から近付く兵士の声が聞こえる。だがその距離から考えて魔法の発動は間に合うはずだ。殺傷はあまり気乗りしないが、もはやこの状況でそんなことは言っていられない。この辺りを吹き飛ばして、その爆発の混乱に乗じて逃げようと魔法を放った。
だが、周囲になにも変化は起こらない。
「な……」
セスには何が起こったかまったく分からなかった。激しい動揺の中、追いついた兵士が腕を掴み捻り上げる。膝を折られてラムディラの前で跪くと、不敵な笑みを浮かべたラムディラが近付いてきた。
「侵入者だと聞いたが、まさかセス様とは」
「ラムディラ……」
「国の神子ともあろう方が密偵の真似事など、王宮はよほど人材不足と見える」
セスはラムディラを睨み付けながら、どうして魔法が発動しなかったかを考える。魔法が不発に終わることなどない。魔法が失敗したという感覚もなかった。ならば魔法が消失したと考えるべきだろう。
(魔法が消失する原因……)
座学で学んだことを思い出す。そして目の前のラムディラを上から下まで観察し、その胸にあったネックレスに目を止めた。
目の形を施した金のネックレスから、微かに魔力を感じる。
「探られるようなことをした覚えはないが」
「よくもそんなことが言えたな。オアシスの水はラーンの民の物だ。等しく与えられた神の恵みを、お前の富を肥やすために利用するなどあってはならない」
「なるほど神子らしい答えですな。だが我が領土のことを干渉されるのはあまり面白くない話だ」
「国王陛下はラーンの長だ。悪政を強いる領主を断罪する権利はある」
正論をぶつけるが、ラムディラは顔色を変えることなくネックレスに指を添わせる。
セスはもう一度だけ魔法を使ってみようと、簡単な風の魔法を発動させる。けれどやはりそよ風ひとつ吹かず、確信した。
「そのネックレスは、魔法の呪具だな?」
「やはり魔法使いですな。これは旅の行商人が持ってきたものでしてな。魔法を封じ込めるネックレスだと売りつけてきたのですよ。まぁ、眉唾だとは思いましたがね、もし本当ならば面白いと思ってこうして身に着けていましたが、どうやら本物だったようだ」
「魔法を封じ込める……」
本には確かに遥か昔、そんな物があったという記録はある。だがまさかラムディラごときが持っているなど予想だにしなかった。
「なかなか高い金を支払ったが、まさか神子を捕まえられるとは思いませんでしたよ」
「僕をどうするつもりだ」
「儂はそれほど野蛮ではありませんからな。地下牢にご足労願いましょうか」
兵士に無理矢理立たせられると、ラムディラも地下牢まで付いてきた。鉄格子の中に押し込められ振り返ると、ラムディラは首からネックレスを外し壁に掛けた。
「僕が帰らなければすぐに陛下は異変に気付く。どうするつもりだ」
「我が領土に他領の兵士は決して入れない。ましてやこの館の中にはな」
「悪事が露呈しないとでも思っているのか」
「儂が国王より格上なら、それも可能だと思わないかね?」
不遜なことを言うラムディラに鼻で笑うと、ラムディラもまた余裕の笑みを見せて階段を上がって行った。
静かになった牢屋の中で、セスはどさりとその場に座り込み拳を床に振り下ろした。
◇◇◇
この5日間はただただ自分の未熟さを猛省するしかなかった。師匠ならばこんな情けない失態などしないだろう。魔法を過信するなと毎日のように言われ、分かったつもりでいた。けれど実際に戦いの中で魔法を使うというのが、どれほど難しいことか痛感した。
魔法を使えず牢屋に入れられてしまった以上、もはやセスに打つ手はない。ラーンからの救援を待つしかないのだが、ラムディラの言う通りそう簡単にラーンの兵士はカルーファには入れないだろう。国王とはいえ理由もなく他領に押し入る権限はない。だが神子である自分がラーンに戻ってこないとなれば、国王も何か手を打つはずだ。
(見捨てられる可能性もあるが……)
神子の立場を思うのと同時、アメリアのことを思い出した。遠い東の地から神域を通ってやってきた神代。死者の神の神子が神代になったとフィーレンから聞かされた。リュエナでは神子の地位は国王よりも上で、さらに神代になりその立場は神と同等になったのだという。
ラーンでは神子の立場はそれほど高くはない。神官の中では高位ではあるが、国王にとっては臣下の一人に過ぎない。神託にまつわる重要な役目はあるが、神子が死ねばまた新たに選出されるだけだ。ラーンにとってはそれだけの価値しかない。
(アメリアもフィーレン様も心配しているかな……)
魔法の修業の約束をした日は疾うに過ぎている。神託を受け取る日も過ぎてしまっているので、フィーレンも異変に気付いただろう。
脳裏にフィーレンの顔が思い浮かんで、顔を顰める。
一年前、13歳で神子に選ばれ初めてフィーレンに会った時、あまりの美しさに驚いた。13年間生きてきた中で、最も美しい女性だと思った。長く美しい銀の髪も、透き通るほど白い肌も、宝石のような瞳も、本当に人にはない美しさで、月そのもののように見えた。
思い描いたままの神々しい姿に、こんなにも美しい神に仕えられる嬉しさで心が躍った。それから毎日会うようになってフィーレンのことが徐々に解ってくると、その性格がとてもおっとりとしたものだと感じるようになった。いつも穏やかに微笑んでいて、何があっても慌てる様子を見せない。そのくせ子供のようにはしゃいだり、落ち込んだりする。
見た目に反してどこか幼い性格に思えると、そこからはとても親近感が湧いた。そそっかしいところもあって、躓いたり、物を落としたりすることの多いフィーレンを助けている内に、なんだか放っておけないような気になった。
(朝の挨拶に行かなかったのは初めてだな……)
挨拶に行くと、いつも笑顔で出迎えてくれた。自分に向けられる真っ直ぐな瞳を、この頃は少し受け止め切れなくなっていた。それがどういうことか、自分でも分かっている。
こんな不甲斐ない自分では顔向けできないなと、自嘲ぎみに笑みを浮かべる。
そうして魔法以外での脱出方法を考えていると、ラムディラが姿を現した。




