56話 作戦
「落ち着いてる場合か!? メルが連れて行かれたのが、女好きの領主のところなら、すぐに助けに行かないと!!」
腰を落ち着けて何事かを考えているジルにサリューンが詰め寄る。反応のないジルにいらつきまた手を出しそうになると、フィーレンがそっとその手を掴んだ。
「あなたにはなにか考えがあるのですわね」
フィーレンの言葉に顔を向けたジルは興味深そうな目で二人を見る。
「お前もリュエナの者か?」
「いいえ。わたくしはラーンの者ですわ」
「ラーンの? お前ほどの美人を私が知らないとは驚きだ」
「世界は広いですわよ。それよりどうするおつもり? アメリア様のことは一刻の余地もないと思いますが。まさかお見捨てになるなどとは言わないですわね?」
ジルはそう言われ立ち上がると、窓に寄り外を見つめる。真っ暗な街の先に明かりが見える。ジルの視線を追うようにサリューンもその明かりを見た。
「あの明かりはラムディラの館の明かりだ。館はぐるりと高い塀に囲まれている。ラーンの美しいだけの柵ではない。戦いに備えた高さのある堅固な塀だ」
「侵入は無理だと言いたいのか?」
「セスは、このオアシスの水にまつわる調査をしていた。確かに水量は激減している。それに付随して税が相当高くなっている」
今は悠長に話をしている場合ではないと、口を開こうとするがジルはそれを目で制止させる。
「オアシスは領主が管理しているのだが、どうやらそのオアシス自体になにか仕掛けがあるようだ」
「仕掛け?」
「水底になにかがあるようなのだ。この暗がりではどうにも確認できないがな。セスはそれに気付いたのかもしれない」
すっかり忘れていたが、もともとはセスが帰ってこないというところから、このごたごたが始まったのだ。
フィーレンの顔を見ると、心配そうに眉を寄せている。
「私の隊の者は優秀だ。セスの居所も目星はついた」
「本当ですか!?」
フィーレンの声にジルは少し驚いた顔をして、それから軽く頷く。
「館の地下にある牢に囚われているらしい。大人しく捕まっているということは魔法を封じられたな」
「魔法を? どうやって?」
「さあ? だが出てこない理由はそれ以外には考えられない。もし死んでいるのなら月の女神が分かるだろうしな」
確かに神子の死亡は神ならばその瞬間に分かる。その点を考えれば、セスは現状生きていることは確実だろう。
「それで? どうするつもりだ?」
「塀を越えるのは現実的ではないな。歩哨も立てている。闇夜に紛れて入れたとしても、中は結構な兵士が守っている。セスの元に辿り着く前に捕まるか、殺されるかが関の山だろうな」
手詰まりを説明されてサリューンは顔を顰める。本当にジルはアメリアのことを何とも思っていないのではないだろうか。今まさに貞操の危機が迫っているかもしれないのに。
アメリアがそんなことになってしまったらと思うと、サリューンは胸が抉られるように痛んだ。
「セスを、アメリア様をお助け下さいますわね。ジル」
穏やかな声が背後から聞こえて振り返る。フィーレンが静かな瞳をジルに向けている。ジルはその瞳を受け止めてしばらく無言が続いた。
そうして口元を緩めると、ふわりと笑った。
「もちろんだ。私が来たのだ。そうなるだろう」
自信に満ちた言葉にフィーレンもにこりと笑う。サリューンはまだ半信半疑ではあったが、その言葉を信じるしかないと頷いた。
「こういう場合、裏をかくより堂々と正面からぶつかった方が勝算はある」
「正面?」
「兵士を連れて正面から館に入る」
「そんな簡単に行くか?」
「入るだけならそう難しくはないだろう。これでも私はラーンの王太子だからな。急に来訪したとしても、門前払いなどできるはずがない」
「で、中に入れたとして、それから?」
サリューンが促すと、ジルはまた少し考えてから口を開く。
「一番の目的は、オアシスの水がどうなっているかを確認することだ」
「メルとセスはどうするんだ」
「お二人は、わたくしたちが助けます」
フィーレンはそう言うとジルの前に立って真剣な目で続けた。
「わたくしたちにお任せ下さい」
「なにか手があるのか?」
「いいえ。ですが、きっと助け出してみせます」
決然と言うフィーレンにジルはサリューンを見た。
「お前はどうなんだ」
そう問われて、サリューンは押し黙る。
二人だけで上手くいくだろうか。こちらには多少なりとも魔法がある。守りと幻惑だけだが、上手くやればセスを牢から出せるかもしれない。
周りに他の者がいれば、こちらが使う魔法に気付かれてしまうだろう。そうなると余計な面倒事が増えるだけだ。それならば二人で行動して、アメリアとセスの元まで行く方が早いかもしれない。
「牢の位置を教えて貰えるか」
「助け出せる自信はあるのか?」
「……できなければ、ここに来た意味がない」
サリューンが低い声でそれだけ言うと、ジルは納得したのか小さく二度ほど頷き廊下に出た。
廊下には直属の部下だろう男が二人いたが、ジルが姿を現すと膝を突く。
「すぐに兵を戻らせろ。ラムディラの館に行く」
「ハッ!」
兵士は厳しい顔で廊下を走り階段を駆け下りて行く。ジルは部屋に戻ると、ベッドに腰掛けて静かに話を聞いていたラーレに視線を向けた。
「平気か、ラーレ」
「はい。アメリア様をお守りできず、申し訳ありません」
「いや、いい。お前が無事で良かった」
ラーレはジルの前に膝を突こうとするが、それを止めてジルは答える。
「お前は大人しくここで待っておれ」
「行かれるのですか?」
「まぁ、朝には戻ってこられるだろう」
ジルの言葉にラーレは頷くと、サリューンに歩み寄って右手を差し出した。黒曜石の指輪を受け取り握り締める。
「お返ししておきます。どうか、アメリア様をよろしくお願いいたします」
「分かった……」
サリューンは静かに頷きながら、指輪をポケットにしまう。
アメリアが神子になった最初の日から、一度も外されることのなかった結婚指輪。サリューンの想いが詰まったこの指輪がアメリアの薬指にないことが、こんなにもつらいとは思わなかった。
「お前がもし本当の神なのだとしたら、神は無力だな」
ポツリと言ったジルの言葉にサリューンは眉を歪める。
「人の世界は、人のものだ」
低くそれだけを言うと、ジルは面白そうに笑う。
「まさに、その通りだ」
ジルの満足げな返答に、サリューンは小さく溜め息を吐いた。




