55話 奔走
休むことなく砂漠を走り抜けたサリューンとフィーレンは、どうにか夜半過ぎになってカルーファに辿り着いた。街に入る門は閉まってはいるが門衛の姿はあって、フィーレンは「お任せ下さい」と言い置くと、馬を降りて門衛の一人に近付いた。
「こんばんは」
「こんな時間に砂漠を渡ってきたのか?」
夜に砂漠を動く者は少ない。獰猛な獣もいるし、何より方向を定める太陽が見えないと迷う可能性が高いからだ。ラーンを朝出れば日がある内にカルーファに到着できるので、大抵の旅人はそういう計画で砂漠を越える。
夜になってしまう者は途中で問題が起こったか、急ぎの用事でどうしてもカルーファに行かなければならない理由がある場合くらいだ。
街の門は通常夜は閉められてしまうので、中へ入るためにはそれなりの尋問を受けなければならない。
「急ぎの用があるのです」
フィーレンの朗らかな返事に門衛はかなり胡散臭げに顔を歪める。サリューンはフィーレンの後ろで様子を見ていたが、フィーレンは笑顔を崩さずに右手をスッと門衛の前で振る。すると指にあった赤い指輪がぼんやりと光った。
「あなたの誠実な仕事ぶりは素晴らしいですわ。不審な者は門を通さない。夜はあなたが街を守っているのですわね」
フィーレンの唐突な賛辞に、中年の門衛は怪訝そうに眉を歪めながらも、悪い気はしないのかあやふやに小さく頷く。
そうしてもう一度フィーレンは門衛の前で右手を振る。
「急ぎの用とはなんだ」
「わたくしたちは怪しいものではありません。人を探しに来ただけです。街に危険はありません。あなたは職務を全うしています」
「なにを……。俺は……、職務を……?」
「わたくしたちを通して下さい。さぁ、門を開けて」
「分かった……。門を開ける……」
ぼんやりとした表情になった門衛は、呟くようにそう言うと振り返り門を開けていく。
「行きましょう」
「ああ」
フィーレンに促されてサリューンも馬を引くと足早に門を越えた。街はすでに寝静まっており、通りに人は見当たらない。二人は闇に紛れるように一度路地に入ると、そばの木に手綱を括りつけた。
「ちゃんと迎えにきますから、ここで待っていてね。サリューン様、アメリア様の気配はありますか?」
馬の首を撫でながら顔を向けるフィーレンにサリューンは頷く。
「それほど遠くない。街の宿屋かなにかにいるんだろう。急ごう」
「はい!」
指輪の気配は街に入ってすぐに感じられた。これならどうにかアメリアと合流できるだろうと安堵して指輪の気配を辿り路地を進むと、大きな宿屋の前に出た。
だが何かおかしい。入口の扉が半開きになっている。誰かが出入りしている様子もないのにだ。
「サリューン様?」
険しい表情になったサリューンにフィーレンが声を掛けるが、サリューンはそれを制してゆっくりと扉に近付く。
開きっぱなしの扉に手を掛け慎重に押し開ける。中は広いホールになっているが、店の者の姿はない。誰もいないのかと思った矢先、カウンターの奥で呻き声が聞こえた。
覗き込むと、床に倒れている男がいる。慌てて二人で走り寄ると男は顔を歪めて目を開けた。
「どうした!? なにがあった!!」
「いてて……。あんた方は?」
「そんなことはどうでもいい! どうしたんだ!?」
「兵士たちが突然入ってきて、上のお客さんを……」
「客!?」
ハッとしてサリューンは立ち上がる。フィーレンに男の介抱を任せると階段を駆け上がる。二階には何部屋か部屋はあったが、すぐに部屋は分かった。開いたままの部屋に飛び込むと、女が床に仰向けに倒れている。
指輪の気配を感じて右手を見れば、黒曜石の指輪がそこにあってサリューンは目を見開いた。
「おい!! 大丈夫か!!」
慌てて膝を突き女を抱き起こす。何度か声を掛けると女は目を覚ました。
何度か瞬きをすると、ハッとしてガバッと身を起こす。
「アメリア様!?」
「おい! メル……、アメリアはどこだ!?」
「あ、あなたは?」
「俺のことはどうでもいい! アメリアはどこだ!!」
女は部屋の中を見渡して顔を歪めると、右手の指に嵌った指輪を見下ろした。
「兵士が……、カルーファの兵士が押し入ってきてアメリア様を連れ去ってしまった……」
「なぜお前が指輪をしているんだ!?」
「アメリア様が私に嵌めたのです。兵士たちが私を殺そうとして、そうしたら指輪を私に……。不思議なことに私は傷付くことがなくて……」
女の言葉にサリューンは深く溜め息を吐く。アメリアのやりそうなことだ。自分の身よりも目の前の女を守ることを咄嗟に優先したんだろう。
人に優しいことはアメリアの最大の美徳ではあるが、時と場合にもよるだろう。前回の事件で少しは懲りたと思っていたが、やはり気質はそう簡単に変わる訳がない。
「なんのために魔法を掛けてやったと思っているんだ……」
つい愚痴をこぼすと、女は不思議そうな顔でサリューンを見つめる。
「お前、名前は?」
「ラーレです。アメリア様の身の回りのお世話をしておりました」
「そうか……。世話になったようだな」
溜め息混じりに会話を交わしている間に、階段を上がってくる音がする。フィーレンが来たのかと顔をそちらに向けたサリューンは、姿を見せたジルに眉を吊り上げた。
「貴様……」
「お前、なぜここに」
驚くジルにサリューンは飛び掛かると襟元を捻り上げる。
「貴様が連れて来なければメルは……!!」
「おい!! なにをしている!! 殿下を放せ!!」
廊下にいた男が見咎めてサリューンを剥がしにかかる。だがサリューンは怒りに任せて手の力を強めジルに顔を近付ける。
「許されると思っているのか!? メルを騙してこんなところまで連れて来て!!」
「お前はどうやって牢を出たんだ」
「そんなことはどうでもいい!!」
冷静なジルの声に苛立って声を荒げる。だいたいこうなってしまった最大の要因はこの男なのだ。王太子という立場から、サリューンも少なからず信じてしまったのだが、それがまた腹立たしくて怒りは収まらない。
「メルになにかあったら絶対にお前を許さないからな!!」
「なんなんだお前はいったい。アメリアとどういう関係なんだ」
鬱陶しそうな声に怒りは頂点だった。
「メルは俺の妻だ!!」
叫んだ瞬間ハッとした。思わず手を放してジルの顔を窺う。キョトンとした表情でサリューンを見たジルは、少しの間の後、声を上げて笑い出した。
「なにを言うかと思えば、お前がアメリアの夫だというなら、お前が死者の神になってしまうではないか」
楽しげに笑いながらジルはそう言うと、襟を正して近くの椅子に足を組んで座る。
つい口から出てしまったが、どうやらジルは信じなかったようでサリューンはホッとすると、少しだけ冷静になってジルに向き合った。
「あんたは落ち着いているようだが、もしかしてメルの居場所が分かっているのか?」
「ああ。アメリアは領主の館に連れて行かれたのだろう」
「領主の?」
「街中で聞き込みをして分かったのだが、街の兵士たちは領主に賄賂を渡すことが常態化しているらしい。領主のラムディラは好色な男だからな。門衛の隊長はラムディラが気に入りそうな女性を見つけると、館に連れて行っているようだ」
「じゃ、じゃあメルは……」
「献上品として選ばれたのだろうな」
ジルの言葉に青褪め言葉を失くしたサリューンの様子をジルは感情のない目で見ると、廊下から近付いてくる足音に顔を向けた。
「アメリア様はご無事なのですか?」
「フィー……」
部屋に入ってきたフィーレンの名前を呼ぼうとして言葉を止める。気まずそうに口を閉ざしたサリューンにジルは片眉を上げると、フィーレンに向かって口を開いた。
「随分と美人の同行者だな」
「わたくしもアメリア様を助けに参りましたのよ」
上品な口調を怪訝に思ったのかジルは一瞬じっとフィーレンを見つめたが、面白そうに笑うとパチリと指を鳴らした。
「どうやら役者は揃ったようだな」
不敵な笑みを見せてジルはそう言うと、サリューンとフィーレンを楽しげに見つめた。




