54話 カルーファのオアシス
隊列は休むことなく進み、日が暮れてしばらくすると砂漠の向こうに街の明かりが見えだした。ラーンと同じように街は高い隔壁で囲まれているようで、大きな門の前には街へ入ろうとする者たちの列ができている。
アメリアのいる場所からは列の先頭はだいぶ遠いが、忙しく動く門衛が隊列に近付くと先頭の誰かと話しており、ほどなく列はゆっくりと前に進みだした。
「大丈夫そうですわね」
馬から降りて隣を歩くラーレが小さな声で言ってくる。門衛たちは馬が引く荷車の中を見分はしているが、だいぶ適当で詳細には見ていない。
商隊の偽装が完璧なのか、まったく疑われていないようで、通り過ぎていく男たちに門衛たちは気さくに挨拶などしている。
その様子にアメリアはホッとして肩から力を抜いた。アメリアは隊列の半ばにいたのだが、ラクダが隔壁を越えようとした時、門衛が声を掛けた。
「ちょっと待て。その輿に乗っているのは誰だ」
その声にアメリアはビクリと身体を震わせて息を飲む。
「この方はご主人様のお嬢様であられます」
「娘? 顔を見せよ」
ラーレがすぐに返答するが、門衛はラクダを止めてそばに寄ってくる。その声にはまだ柔らかい印象があって、なにかを疑っているようではない。ここでまごついてしまえば要らぬ疑いが掛かるかもしれない。
アメリアはベールを少し捲り顔を出した。
「……なにか?」
微かな声だが、できるだけ平静を装って言うと門衛は表情を変えた。
「ん? お前、この国の者ではないな」
「おやおや、うちの娘がなにか粗相をしましたかな?」
門衛が怪訝な目を向け顔を近付ける。すると慌てた様子で列の前方からでっぷりとした身体を揺らしながら中年の男が走り寄ってきた。
「この者は本当にお前の娘か? 異国の娘のように見えるが」
「それはもちろん! 私の第三夫人が東国の者ですからな。カルーファの街を見てみたいと我が儘を言いましてねぇ、仕方なく連れてきたんですよ」
「ほぉ……、なかなか美しい娘だな」
門衛はにやついた顔になりアメリアの姿を舐め回すように上から下まで見る。その下卑た視線にアメリアは顔を背ける。
「ありがとうございます。ああ、そうだ。カルーファには良い縁談などありませんかねぇ。娘も年頃ですから、できれば裕福な方に貰っていただきたいものです」
「ははは、さすがに商人だな。確かにカルーファには地位も富もあるお方が多いからな。この街に嫁がせれば良い伝手になろう。誰かおれば伝えてやろう」
「ああ、それはありがたいことです。よろしくお願いします」
アメリアはひやひやしたが会話はそれで終わり、隊列はもはや止まることなく隔壁を越えた。
そうして少しするとラクダは足を止め、ジルが顔を出した。
「上手く潜り込めたな」
「ひやひやしました」
「はは、スリリングだったろ」
手を差し出されて少し気後れしながらも掴まり輿から下りる。ずっと座ったままだったのでよろけてしまうと、ジルがすぐに肩を抱き寄せ支えてくれた。
だがその手の感触にラーレとの会話を思い出して、思わず飛び退く。その動作に驚いたジルは、空っぽになった手を下ろしてフッと笑った。
「猫のようだな」
「あ、あんまり触れないで下さい」
「ラーレになにか吹き込まれたか?」
からかうようにジルは言うと、大きな宿屋の中へ入るように促した。中に入るとカウンターがあり、宿屋の主人であろう細身の男が二階へ案内してくれる。
「ここに泊まるのですか?」
「ああ。とりあえずここに宿泊という形にして、街の中を探索する」
狭い二人部屋に入ったアメリアは、疲れからかすぐに椅子に座り込んだ。宿屋の中は商隊の者たちが慌ただしく荷物を部屋に入れる作業をしており、落ち着かない雰囲気だった。
開け放たれた扉から下働きのような格好の男が入ってくると、ジルと何事かを小さな声で話しまた出て行く。
「強行軍で疲れたであろう。今日は探索だけになるだろうから、アメリアはゆっくり休むといい」
「私になにをさせたいのですか?」
それが明らかにならないとどうにも落ち着かない。
ジルはゆっくりと隣の椅子に座ると、長い足を優雅に組んでこちらを向いた。
「なに、それほど無茶なことにはならないだろう。可能性の問題だしな」
「可能性? 意味がよく分かりません」
首を傾げて答えたアメリアに、ジルは微笑み手を伸ばす。頬に触れられそうになった指先からサッと身を引くと、さきほどと同じようにジルは笑った。
「警戒しているな」
「ジル様がお忘れのようなので、もう一度言っておきますが、私は神代です。夫がいる身です」
固い声ではっきりと説き伏せるように言うが、ジルは表情を変えない。
「相手は人ではないであろう」
「神でも、裏切れば不義になります」
「……我が国では、子を成しておらぬ妻は、まだその夫の物という訳ではない」
「は?」
ジルの言葉にアメリアは思い切り間抜けな声を上げた。ジルは楽しそうに笑うと、強引にアメリアの手を握り締める。
「子はおらぬのであろう? ならばまだ私にもチャンスはある」
「あ、ありません!!」
アメリアは手の甲にキスをされて驚き飛び退る。キスされてしまった手をかばうようにもう片方の手で握り締めると、きつい眼差しをジルに向ける。
「ラーンではそういう法律かもしれませんが、リュエナでは違います! 夫は一人ですし、子がいるいないは関係ありません!!」
「ラーンの地を踏んでいる者がそんなことを喚いても、あまり意味はないと思うがな」
「では言い換えます! 私はサリューン以外と心を通わせる気はありません!!」
わなわなと肩を震わせて断言する。何を言っても引いてくれないジルに焦ってつい怒鳴ってしまったが、ジルはやはり顔色を変えることはなかった。
「やはりお前は相当面白いな」
そう小さな声でジルは呟くと立ち上がる。
「ラーレと二人でゆっくり休め。私も探索に出るゆえ、街に興味があっても外に遊びに行くなよ」
子供に言うような優しい言い方に、アメリアは何となく顔を顰めてしまうと、ジルは声を上げて笑いながら部屋を出て行った。
そうしてジルと入れ違いで入ってきたラーレと共に、その日は休むことにした。
◇◇◇
深夜になり疲れからぐっすりと眠っていたアメリアは、階下から聞こえた激しい足音に目を覚ました。隣のベッドで眠っていたラーレも起き出している。
「何事でしょうか?」
ラーレが訝しんでベッドから出ると扉に向かう。複数の足音がバタバタと階段を上がってくる音がする。そしてラーレが扉に手を伸ばしたと同時、バタンと激しく扉が押し開けられた。
そこに立っていたのは兵士の格好をした男たちだった。一瞬アメリアはジルの部下たちかと思ったが、ラーレが険しい表情をして飛び退いたことで、飛び起きる。
「あなた方、こんな夜更けになんの用です!?」
「この娘か?」
「ああ、間違いない」
ラーレの厳しい声を無視するように男たちはどかどかと部屋に入ってくるとアメリアを見た。アメリアは身の危険を感じてベッドから飛び降りると、部屋の隅に身を寄せる。
とはいえ狭い部屋に4人も男が入ってくれば、逃げ場などどこにもない。唯一の逃げ場である窓は扉に近く、走り寄ったところで掴まってしまうだろう。
「なかなか美しいじゃないか。異国の娘なら領主様もお気に召すだろう」
「こちらの女はどうします?」
「召使いの女など連れて行っても仕方なかろう。殺せ」
冷徹な男の言葉にアメリアはぞっとした。すぐに腰の剣を引き抜く男に、ラーレが悲鳴を上げる。アメリアは躊躇なく走るとラーレを抱き締めた。
剣が弾かれる激しい音が耳のそばで鳴りハッと見上げると、振り下ろされることなく剣を持ったままの男が戸惑った表情を見せている。
「なんだ今のは!?」
他の兵士が声を上げ、険しい表情で次々に剣を引き抜く。
(守りの魔法だわ……)
少し前にサリューンが指輪に魔法を掛けたのを思い出す。その時サリューンは、「身体を傷つけられそうになった時、その盾になる魔法が発動する」と説明していた。
これがある以上、自分は傷つけられることはないだろう。けれどそれではラーレが危険になってしまう。
「なにをしている! 早く娘を捕らえろ!」
「はっ!!」
その声に兵士がまたアメリアに手を伸ばす。アメリアは慌ててラーレを引っ張ると、ベッドの向こう側に逃げた。
「アメリア様!!」
「頭を上げないで!!」
アメリアのことを庇おうとするラーレに声を上げて、ラーレの身体に覆い被さる。
「異国の娘は傷つけるなよ!!」
兵士の声にアメリアはハッとする。兵士たちは剣を振り下ろす度に、見えない盾に阻まれてよろけている。その隙に、アメリアは急いで薬指から指輪を外すと、ラーレの指に嵌めた。
「ラーレ、絶対に指輪を外さないでね」
「え? アメリア様?」
ラーレの耳のそばで兵士たちに聞こえないように囁くと、ぐいっと右腕を引っ張られた。
「アメリア様!!」
ラーレの身体から引き剥がされた途端、兵士の太い腕に羽交い絞めにされる。ラーレが悲痛な声を上げて手を伸ばしたが、その間に兵士が割って入る。
振り下ろされた剣を見てぞっとしたが、また剣は弾かれてラーレはまったく無傷で立っている。
「なんだ!? どういうことだ!?」
兵士3人がラーレを囲んで次々剣をふるう。だがことごとく傷を負わせられない。何が起こっているのか分かっていないのはラーレも同じだった。戸惑った顔のまま、それでもアメリアに近付こうと動くが、再度兵士が剣を振り下ろす。
3人が同時に振り下ろした剣を魔法が弾いた。その激しい衝撃にラーレの身体が跳ね飛ばされ壁に激突する。
「ラーレ!!」
何度名前を呼んでも床に倒れたラーレはピクリとも動かない。兵士の一人が恐る恐る手を伸ばしラーレの肩に触れようとしたが、アメリアを捕まえていた男がそれを止めた。
「よせ。なにやら恐ろしい力があるのやもしれん。気を失っているのなら放っておいた方がいい」
「ですが、このままで大丈夫でしょうか」
「どうせ朝になれば領主様から商人には説明が行くだろう。この娘さえ連れて行けばいいのだ。行くぞ」
兵士が強い力でアメリアを部屋の外へ連れ出す。どういうことなのかまったく状況が分からなかったが、これ以上は為す術がないと、アメリアは兵士に半ば引きずられるように宿屋を出て行った。




