53話 砂漠
ジルから受けるしかない取引を持ち掛けられたアメリアは、仕方なく命じられるままに新しい服に着替えて宮殿を出た。
外を見ると果てしなく続く砂漠があって、神域からもどんどん遠ざかり、もはやリュエナに帰れないのではないだろうかと、途方に暮れてしまう。
今アメリアはラクダという見たこともない動物の背に揺られている。背中にあるこぶに座席が作られ、その上に屋根を乗せて布を垂らしているので強い陽射しを遮ってくれている。
説明は受けていないが、どうやらジルは大きな商隊に成りすましてカルーファに向かっているようだった。変装したジルの姿は、街の中で見かけた青年たちと似たような姿だ。兵士だろう者たちもまったく武装しておらず、大商人の抱える小間使いのような姿で歩いている。
自分はといえばだいぶ着飾らされた。赤い薄絹と、頭から足の先まで金の装飾を着けられ、少し身動ぐだけでシャラシャラと音が鳴る。
「あまりお顔を出されては日焼け致しますわよ」
ぼんやりと外を眺めたままでいると、すぐ横から高い声が掛かった。馬に乗った女性が近付いてくる。これまでアメリアの世話を宮殿でしていた女性だ。
「のどは乾いておりませんか?」
「大丈夫。あなたも付いてきていたのね」
「アメリア様のお世話を仰せつかりました」
にこりと笑う顔に、アメリアは小さく溜め息を吐くと少しだけ笑みを作った。
「なんだかずっとお世話になっているのに名前も聞いていなかったですね。お名前は?」
「ラーレでございます。敬語はおやめ下さい。そのような身分ではございませんし、今、アメリア様はこの大商隊の主人の娘という立場ですので、使用人にそのような口調は相応しくありません」
「商人の娘?」
「はい。カルーファに入るための策でございましょう。この人数ならば、ジル様が紛れ込んでいても分かりますまい」
ラーレの言葉に自分の服を見下ろす。なるほどだからこれほど着飾られたのか。薄絹で顔も隠しているし、これならば異国の娘とも疑われずに街に入れるかもしれない。
「ラーレはこういうことに慣れているの?」
「いいえ。宮殿から外に出ることは滅多にありません」
楽しそうに笑うラーレは宮殿の中で見た時よりも、ずっと活力に満ちている気がする。
「それにしても、お気に召した方をここまでお連れするなんて、よほどジル様はアメリア様をそばに置いておきたいのですわね」
「ちょっと待って!」
ラーレの言葉に慌てて口を挟んだアメリアに、ラーレは驚いた顔をする。
色々と聞きたいことはあったが、とにかくその誤解だけは解いておこうとアメリアは口を開いた。
「その“お気に召した”ってやめてくれる?」
「え? ですが」
「私はそういうんじゃないから! 単にジル様にとって都合の良い手駒なだけよ。変な誤解をしないで」
必死にアメリアが言うと、ラーレはキョトンとした顔をしてからくすりと笑った。
「アメリア様にはその気がないのでございますね。ですが、ジル様はたぶんとてもアメリア様に興味を示されていらっしゃると思いますよ」
「それは……、ラーレの思い違いじゃないの?」
恐る恐るという風なアメリアの言葉にラーレは黙ってしまう。アメリアにしてみれば誤解されたままでも実害はないのかもしれないが、いちいちそういう目で見られるのに抵抗があった。
「だって宮殿には私よりもよっぽど美人な人がたくさんいたわ。ラーレだってすごい綺麗だし、どう考えても私に好意……を持つとは思えないわ」
「お褒め頂いて大変嬉しゅうございます。確かにアメリア様の言う通り、宮殿には見目麗しい女性が集められています。宮殿で働くためには水汲みでさえ美しくなければいけません。ですからその宮殿で暮らしているジル様にとって、女性が美しいのは当たり前なのです」
確かに理屈ではそうなのかもしれないが、なんだか随分な話だと呆れた顔をしてラーレを見る。その表情にラーレは笑って続ける。
「とにかくジル様は美しい者にあまり興味がありません。たぶんみんな同じ顔に見えているんでしょう。それよりジル様が興味を持つのは、面白いと感じた者です」
「面白い?」
「ええ。今までジル様が興味を引かれる者を見つけると、“面白い奴がいた”と言って目を輝かせていました」
ラーレの言葉にアメリアは何度かジルに『面白い』と言われたことを思い出す。事あるごとにそう言われて、自分はそれほど面白いことを言ったつもりはないのだけれどと勘違いしていた。
「ジル様はとにかく面白いと感じた者をそばに置きたがるのですが、やはり身分のことで国王陛下にも王妃様にもお叱りを受けられて、今のところ女性とはまったく上手くいったことがありません」
「そ、そうなの?」
「ええ。私が覚えている限りでは、街のパン屋の娘、盗賊の下働きの娘、兵士見習いの娘などなど、とにかく貴賤を問わずという感じで、さすがに王太子妃にはできないと宮殿に連れてきても、追い返されてしまうんです」
王太子としての立場上、その妃となる者が身分を問われるのは理解できる。リュエナでも身分はとても重要で、身分違いで結婚など到底できない。それでも話を聞いているとなんだか気の毒になってしまう。
「それでもジル様は好きになった娘を捨てておけず、今でも陰から支援しているのですよ」
「へえ……」
奔放に振る舞っているように見えて、意外にも義理堅いことにアメリアは感心した。それにしてもラーレはまったく悪意はないのだろうが、自分の容姿は弁えているつもりでも、なんだかその『面白い』という枠の中に入ったのが落ち込むというか、腑に落ちない気持ちが湧いてくる。
自分がフィーレンほどの美人だったらジルの興味を引かなかったのだろうかと、意味のないことまで考えてしまう。
「アメリア様のことをお世話するように言われた時、ジル様はそれはそれは楽しそうなお顔をしておりました。私としてはまた同じようなことになってしまうかと心配しておりましたが、アメリア様は国王陛下に謁見も済まされたようですし、ついに王太子妃になられる方が現れたと思っておりました」
「王太子妃……」
なんという大それた誤解だとアメリアが絶句していると、ラーレは楽しそうに笑みを見せた。
「それにしてもジル様に恋をしない方に初めてお会いしました」
「ええ?」
「こう言ってはなんですが、ジル様は見目麗しく武勇に優れ学識も高く、性格も情熱的な方ですから、声を掛けられた娘はあっという間に恋に落ちてしまうのですよ」
「まぁ……、分からなくもないけど……」
「ですからジル様は恋を成就されたことはありませんが、振られたことはないのです」
「はぁ……」
アメリアは思わず呆れたような溜め息を吐いた。確かにジルは誰が見ても美しい顔立ちをしているだろう。リュエナ王国にもし訪れることがあれば、貴族の娘たちはこぞって声を掛けるに違いない。
(でもサリューンの方が素敵よね……)
惚れた欲目なのかもしれないが、サリューンの方が何倍も素敵に見える。もし自分が未婚であったとしても、ジルに恋はしない気がする。
「なんだかごめんね、ラーレ」
「いいえ。アメリア様がそういう気がないのは少し残念ですが、ジル様が振られるところも見てみたいので大丈夫です」
ラーレの言葉に少し驚いてその顔をついじっと見てしまうと、ラーレはクスクスと笑って肩を竦める。
「これは内密にお願いしますね」
「ラーレったら……」
ラーレはジルにただ従順にかしずいてきただけではないのだろう。どこか姉のようなその言い様に、ジルを見守る穏やかな優しさを感じ、アメリアは同じように笑みを見せる。
「カルーファには夜には着きますが、もうしばらくご辛抱下さい」
「分かったわ」
アメリアは小さく頷くと、まだまだ続く砂漠の景色を見つめた。




