50話 取引
意識が浮上して薄く目を開けたアメリアは、何度か瞬きを繰り返しながら視界に入る景色をぼんやりと見つめた。ベッドの天蓋から落ちる薄いベールの隙間から覗く壁面の金の装飾が眩しい。
その見たことがある景色にハッとすると飛び起きた。
「ここは……」
ベールを捲り外を見れば、そこは昨日ジルに閉じ込められた客室だった。どうしてまたここにいて、眠っていたのか意味が分からない。
(私、どうしてここで眠っていたのかしら……。確か国王にご神託を届けたあと……)
ワインを飲んで突然眠くなったことを思い出して顔を顰めた。どう考えてもあのワインに眠り薬のようなものが入っていたのだ。
国王に勧められたからといって軽率に飲まなければ良かった。ジルには警戒していたけれど、まさか国王にもこんなことをされるなんて思ってもみなかった。
自分の迂闊さと、ジルたちに対する恨みも重なり、ものすごく腹が立ってくる。そうしてふとサリューンのことを思い出した。
「サリューン……、サリューンはどうしたのかしら……」
後宮の手前の扉の前で別れてしまった。あの後、どうなったのだろうか。
自分がここにまたいるということは、無事でいる気がしない。
慌ててベッドから下りると、裸足のままで扉に走り寄る。開けようとドアを押してみるが、案の定扉には鍵が掛かっていた。
「やっぱり閉じ込められたんだわ」
それでもサリューンのことが心配で、ここでじっとしていることなんてできない。
ガチャガチャと扉を揺らし、声を上げようと息を吸い込んだ途端、扉の外から声が掛かった。
「今扉を開けるゆえ、そう暴れるな」
ジルの声にアメリアは顔を険しくしたまま、扉から数歩離れる。すぐに扉が開くと、ジルは穏やかに笑みを浮かべたまま入ってきた。
「起き抜けの割に元気だな」
「お陰様で。無理矢理ですがよく眠りましたので」
怒りの感情のまま嫌味を言うと、ジルは楽しげに笑う。その笑みまでも腹立たしくてアメリアは肩をいからせて口を開いた。
「どういうつもりです!? 私をリュエナに帰すというのは嘘だったのですか!? サリュ……、リオンはどこです!? まさか傷付けていないでしょうね!?」
ジルを睨み付けたまま捲し立てると、ジルは更に笑みを深くする。
「ジル様!!」
「まぁそう腹を立てるな。寝起きでのどが渇いているだろう。こちらに来い」
まったく意に介さないジルの態度にアメリアはじりじりとしたが、話をしない限りどうにもならないと仕方なくジルからは少し距離を空けて腰を下ろした。
「お前には悪いとは思ったがもう少し付き合ってもらうことになった」
「どういうことですか?」
「セスを取り戻すにはお前の力が必要だ」
ワインの入ったグラスを差し出すジルを睨み付ける。そのままグラスを受け取らずにいると、ジルは肩を竦めて笑った。
「もうなにも入れてはおらん。飲め」
「リオンは無事ですよね?」
「ああ。牢に閉じ込めている」
「牢に……」
「あやつは無事だ。それよりこれからアメリアには私と一緒にカルーファに行ってもらう」
「は!?」
アメリアは驚き声を上げた。カルーファで戦いがあるかもしれないとフィーレンに言われたが、まさかその渦中に自分が飛び込むとは思いもしなかった。
「セス様を助けに行くのなら兵士に任せればよいでしょう? 私が行ったところでなんの役にも立ちません」
「まぁ、そう言わず話を聞け。元々カルーファのオアシスの水が干上がり始めたのがきっかけなんだ」
「オアシスの水?」
「砂漠の国にとって水はなによりも大切なものだ。そこに暮らす民が生きるか死ぬかが決まるからな」
それまで軽薄そうに浮かべていた笑みを消し真面目な表情になったジルに、アメリアは言い足りない気持ちを仕方なく抑えて口を閉じた。
「ラーンでは水を管理するのが領主の最も大事な仕事の一つだ。オアシスが干上がらぬようにし、平等に水を分け与える。カルーファのオアシスは他のオアシスよりもずっと水量が豊かであったのだが、それが徐々に減り始めたと噂が流れてきた」
「自然に減り始めたのですか?」
「カルーファの領主はラムディラ・アルマというのだが、ラムディラに問い合わせてみたが、水の減りは自然なものだし、それほど憂慮すべき量ではないと返答が来た」
「あ、では、セス様はそれを調べに?」
「そうだ。ラムディラは食えない男だからな。なにか裏があるかもしれないと探りに行かせたのだ。そしてセスは戻らず、先に行かせた密偵も戻らない」
深刻な状況なのは十分に理解した。そして余計に自分が首を突っ込む話ではないし、力にもなれないと感じた。サリューンにも咎められたが、他国の政治に関わるようなことはすべきではないことくらい、自分でも十分心得ている。
「話は分かりましたが、私では役に立ちません。神代とはいってもなんの知恵も力もない者です」
「セスはこれまでこういった仕事はすでに何度もこなしている」
「ジル様」
「魔法使いであるセスが捕えられた可能性がある。その意味が分かるか?」
アメリアの言葉を聞き流したジルに問われて、アメリアは小さく溜め息を吐くと答える。
「相手も魔法使いかもしれないということですか?」
「そう。それもある。新たな魔法使いがラムディラの配下に着いたということも考えられる。だがそれは随分と可能性の低い話だ」
「では他にあるのですか?」
「セスがへまをしたということもあるだろうが、魔法を使えない、若しくは魔法に対抗する力を使われて囚われたということも考えられる」
「魔法を使えない状況……」
「そこで、アメリアだ」
「私?」
きょとんとするアメリアにジルは頷き手を伸ばす。アメリアの手をギュッと握ると、にこりと笑う。
「魔法には魔法だ」
「無理です!!」
「なぜだ? お前も魔法使いだろう?」
「まだ見習いです! 言ったでしょう!? やっとセス様の弟子にして貰ったばかりで、なんの魔法も使えません!!」
ジルの過度な期待に驚きアメリアは声を上げる。けれどジルは穏やかに笑みを浮かべたまま首を緩く振った。
「私はアメリアならできると思っている」
「なにを言って……」
なにを根拠にそんな自信に満ちた目で言い切っているのだろう。それになにが“できる”というのだろうか。
「私は見る目があるんだよ」
「無理です……」
弱い声で首を振るアメリアに、ジルはじっと目を見つめてくる。サファイアのような青い瞳にどぎまぎしてしまい視線を逸らすと、ジルは楽しげに笑って手を離した。
「お前がなんと言おうと、カルーファに連れていく」
「私は行きません」
「では、こう言えばいいか?」
ジルはゆっくりと立ち上がり、笑みの消えた目でアメリアを見下ろす。
「無断で我が国に侵入した罪に問われたくなくば、命に従え」
「それは、ご神託をお届けしたことで十分贖えたと思っています」
「……なるほど」
アメリアが固い声で答えると、ジルは少し驚いた顔をする。だがすぐに口元を緩めると、笑って言った。
「ならば言い換える。リオンをどうにかされたくなくば、命に従え」
「卑怯です!」
「それが取引というものだろう」
反射的に立ち上がり叫んだアメリアにジルは肩を竦める。
アメリアは両手を握り締めて睨み付けるが、ジルは気にすることもなく背を向けて扉に向かう。
「すぐに出発する。支度しろ」
開いた扉から入ってきた女性と入れ違いに出て行ったジルは、こちらを見ずにそう言い姿を消した。
「お着替えでございます」
昨日も世話をしてくれた女性の朗らかな声に目をやるとにこりと微笑まれる。その笑顔に力が抜けてしまうと、アメリアは深い溜め息を吐いて仕方なく着替えを始めたのだった。




