49話 謁見
輿の中にいる時、サリューンの声がしてまさかと思った。そんなこと絶対にないと、不安な心が空耳を聞いたのだと思った。けれど本当にサリューンは助けに来てくれた。
神域に戻ればどうにかなると不安を押し殺していたけれど、リオンの顔を見てどっと身体から力が抜けた。
「絶対に俺から離れるなよ」
「うん、分かった」
神域のベールのある小部屋の扉を押し開けるのと同時に、サリューンに囁かれてアメリアは頷く。サリューンが隣にいてくれるだけで、どこまでも安心できる。
いつの間にかリオンへと姿を変えた横顔を見つめて、アメリアは微笑んだ。
「アメリア、神託はいただけたか?」
「はい、もちろん。どうぞお納めください」
「いや、それは困る」
「え?」
アメリアとしてはこの場でジルに神託を渡せば、仕事は終わりだと思っていた。これ以上ラーン王国に深入りするなとサリューンに釘を刺されていたし、セスのことはもちろん心配だがすぐにでも神域に戻るつもりだったのだ。
だがジルは差し出す神託を受け取ってはくれなかった。
「神託はさすがの私でも触れることは許されない。国王陛下に直接渡してくれ」
「は? え? そんな……」
思わずサリューンの顔を見るが、サリューンは小さく首を振るだけだ。
「陛下とはすぐ謁見できるように手はずは整えてある」
「……リオンも一緒に行っていいですか?」
「もちろんだ。帰りも安全に送り届けるゆえ、安心してくれ」
真剣な顔で返答するジルを見上げ、アメリアは少し考えたが小さく頷いた。
サリューンが共にいてくれるのなら、何か問題が起こってもきっと大丈夫だろうと自分を納得させる。
そうしてまた輿に乗ると、来た道を引き返し、一行は宮殿へと戻ったのだった。
◇◇◇
煌びやかな宮殿の中に入ると、隣を歩くサリューンがきょろきょろと辺りを見回し目を見張っている。
「すごい宮殿だな。どこもかしこも金ぴかじゃないか」
「私も初めて見た時、驚いたわ」
ジルが先導する後ろで二人並んで話しながら進む。緊張感は少なからずあったものの、一度来たことがある場所だからか、昨日よりは余裕があった。
宮殿の奥へ進む内に、徐々に人の数が減っていくことに気付いた。それも男性の姿が消えて、通り過ぎていくのが女性ばかりになるのを不思議に思っていると、ジルが兵士が守る大きな扉の前で足を止めた。
「ここから先はお前は入れん。ここで待っていろ」
「は? なんでだよ」
ジルがサリューンにそう言うと、明らかに機嫌の悪い声を出してサリューンが前に出る。
「この先は後宮だ。国王の居宮で、男は入れない」
「だけど」
「神託を渡せばすぐ出てくるんだ。大人しく待っていろ」
「リオン、私行ってくる。すぐ戻ってくるから、ここで待ってて」
「メル……」
心配だと顔に書いてあるサリューンに顔を向けて笑顔を見せる。国王の私的な空間は、基本的に一般の人間が入れるものではない。リオンを入れろとここで駄々を捏ねたところで、無理が通るはずがないのは分かり切っている。
不安ではあったがここはジルに従うしかない。
「お前をここまで通しただけでもありがたいと思えよ。待っている間、冷たい飲み物でも出してやるから、大人しくしていろ」
睨み付けるサリューンにジルはそう言うと、アメリアの肩を掴んで歩き出す。アメリアはちらりとサリューンを振り返り、小さく頷いて見せた。
兵士が守る大きな扉を抜け奥へ進む。広い空間は回廊になっており、中央には緑が植えられ水が流れている。小さなオアシスのようなそこには、美しい蝶がひらひらと舞っている。
兵士や女官の姿はなく、静かな空間に遠く子供のはしゃぐ声が漏れ聞こえてくる。
「子供の声がしますね」
「ああ。私の弟や妹たちだな」
今までとは違う柔らかな声音で答えるジルは、穏やかに笑みを浮かべている。やはりどれほど厳しい人だろうが、兄弟たちには優しくなるものなのだろう。
いまいち捉えどころのないジルの人間らしい感情を見られてアメリアは少しホッとした。
「何人兄弟なのですか?」
「弟が8人。妹が5人だな」
「は!?」
「そういえば来月あたりもう1人増える予定だな」
ジルの言葉にアメリアは目を白黒させながらジルを見上げる。
「王妃様は14人もお産みになったのですか!?」
「なにを馬鹿な。母上は私一人しか産んでおらん。後は側室の子供だ」
「側室?」
「ああ、そうか。リュエナ王国は一夫一婦制か。我が国は一夫多妻制だからな。父上には側室が9人いるのだ」
「9人!?」
「歴代の王にしては少ないが、政務が忙しくてあまり後宮にもいられないから仕方ないだろう」
(一夫多妻って奥さんがいっぱいいるってこと……?)
世界にはそういう制度のある国が存在することは文献で知っている。けれどまったく想像もできず、アメリアは首を傾げて考え込む。
そしてハッとするとジルの顔を見上げた。
「もしかして殿下にも奥方様がたくさんいらっしゃるんですか!?」
王族の王子は結婚が早い。王太子ともなれば成人すればすぐに結婚となることも普通にある。
アメリアの顔を見下ろしたジルは、にこりと笑い掴んだままのアメリアの肩をぐいっと力強く抱き寄せた。
「私はまだ結婚をしておらぬ」
「え? あ、そうなのですか?」
「そうだ。父上にはそろそろ妻帯しろとは言われているが、なかなか良い娘に出会えなくてな」
なんだか妙に嬉しそうに話すジルが顔を近付けてくるので、アメリアは逃げようとするが強い力からは逃げられそうにない。
熱のこもった視線から目を逸らし身を縮こまらせると、ジルは笑ってさらに顔を近付ける。
「ち、近いです……、殿下……」
「もう知らぬ仲でもないのだ。ジルと呼んでくれ」
「恐れ多いことです……」
(うう……、なんで殿下はこんなにべたべたするのかしら……)
最初はそういうタイプの人なのだと思っていたけれど、なんだか他意があるような気がしてきた。
まさか自分に気があるのかしらと一瞬思うけれど、そんなはずはないと内心で首を振る。
「……殿下はどんな方を奥方にとお思いなのですか?」
「私の好みか? そうだな……。美人もいいが、面白い娘がよいな」
「面白い? それはどういう?」
「美人なだけでは3日で飽きるであろう。父上のようにたくさん側室を持つのもいいが、面白い娘と一緒になれば、日々面白おかしく過ごせるだろう?」
なんだか不思議な理屈のような気もするが、ジルはただ一人を愛したいと言っているように思えて、少しだけ納得できる気がした。
「殿下」
「ジルでよい」
「……ジル様、そろそろ参りましょう」
「そうだな」
この話題はあまり長くすべきじゃないと感じたアメリアは、おずおずとジルを促す。ジルは笑って頷きやっと肩から手を離すと前を歩きだした。
長い回廊を歩き着いた先は広い空間だった。吹き抜けの天井から光が差し込む先に壇上があり、その上に大きなクッションのような椅子が置かれていた。
そこにたっぷりとした髭を蓄え、ジルと同じ赤い髪に白いターバンと飾りを付けた男性が座っていた。頑強そうな肉体に眼光も鋭く、武人然とした姿はジル以上の威圧感があり、アメリアは畏怖を感じずにはいられなかった。
ジルが膝を突くのでアメリアもそれに倣って膝を突く。
「陛下、リュエナ王国の神代様が、月の女神の神託を持って参りました」
「ああ、待っておったぞ。顔を上げよ」
低い声にアメリアはごくりと息を飲み込み顔を上げる。
「リュエナ王国、死者の神に仕える神代でございます。お目にかかれて恐悦至極に存じます」
「ああ、遠い地よりよく参りましたな、神代殿」
「この度は正しい手順を踏まず、国内へ足を踏み入れたこと、お許しください」
「いやいや、我が国の落ち度により他国の神代殿にとんだお手間を取らせた。緊急とはいえ神託を持ってきて頂くことを無理に頼んだこちらこそ許して頂きたい」
「とんでもない。微力ながらもお助けできたのなら幸いです。月の女神よりご神託をお預かりして参りました。どうぞ、お納め下さい」
アメリアは立ち上がり階段を上がる。国王に近付くと、厳しい目をより間近で見て神託を持つ手に力が入る。
目前で膝を突き、神託を捧げるように前に差し出すと、国王は羊皮紙を受け取り中身に目を通した。
国王は納得したようになるほどと小さく頷き、アメリアを見る。
「確と受け取った。よくやってくれた、神代殿」
アメリアはゆっくり立ち上がり階段を下りながらホッと息を吐いた。
まさかラーン王国の国王とまで会うことになるとは思ってもみなかった。それでも大役を果たし、やっとリュエナに帰れると思うと心から安堵した。
「ありがとう、アメリア」
「セス様のことは心配ですが、私が出る幕ではないでしょう。無事を祈っております」
ジルと目が合いそう言うと、ジルは真面目な顔でしっかりと頷いてみせる。
「ああ、任せておけ。それより緊張してのどが渇いただろう? あちらに飲み物を用意した」
「え、いえ……、お気遣いは無用です。早くリュエナに戻らなくてはいけませんし」
「神代殿。お礼もせぬ内に帰す訳にはいかぬ。のどを潤している間に用意させよう。しばし待たれよ」
国王にそう言われてしまっては、断ることは失礼だと感じ仕方なく頷くと、続きの間に通され絨毯の上に腰を下ろした。
隣に座ったジルが女官の用意したグラスを二つ手に取る。
「とっておきのワインだ。美味いぞ」
差し出されるグラスを受け取る。昨日も食事に出されて飲んでみたが、酔うほどではなかった。
確かに緊張から解放されて少しのどが渇いていたアメリアは、ひんやりとしたグラスの感触に誘われてワインを一口飲み込んだ。
のどに滑り落ちていく冷たさに思わずホッと息を吐く。
「美味いか?」
「はい。とっても……美味しい…………」
ジルの笑顔を見返して答えたアメリアは、ふいに目蓋が重く感じて言葉を途切らせた。
(なにかしら……突然……眠く……)
身体から力が抜けてグラスを持っていられない。手から滑り落ちたグラスが割れる音が遠くに聞こえる。
霞む視界の中でジルが穏やかに笑っているのが見えたが、それ以上目を開けていることができず、アメリアは意識を手放した。




