48話 リオンとジル
サリューンはリュエナでは見たこともない刀身が反った曲刀の、鈍色に輝く切れ味の良さそうな刃をちらりと見てから、それを持つ王太子を睨み付ける。
「殿下!! 剣をお引き下さい!! この人は私の知り合いです!!」
二人が睨み合っていると、アメリアが声を上げた。王太子はサリューンから視線をアメリアに移すと、探るようにじっと見つめる。
兵士もそこに居合わせた沿道の人たちも、王太子の動向に注目し沈黙が落ちる。妙な空気が少しの間流れたが、王太子がスッと剣を引いたことで、その場を支配していた緊張感が解けた。
「捕らえますか?」
「いいや。少し待て」
そばに控えていた兵士に声を掛けられた王太子は首を振ると、鞘に剣を収める。その様子にサリューンは安堵しアメリアを支えながら立ち上がった。
「知り合いとはどういうことだ? 神域から渡ったお前に知り合いなどこの土地にいるはずがなかろう」
王太子の言葉にサリューンは驚きアメリアに勢いよく顔を向ける。
「メル! 話したのか!?」
「ごめん……。どうしようもなくて……。殿下、この人は、その、リュエナの者です。怪しい者じゃありません。どうか、同行をお許しください」
「素性は?」
「冥府の神殿の者です」
「ならば人だろう。どうやってここに来た。まさかその者も神域を渡れるというのか?」
「それは……」
王太子の追及に言葉を返すことのできないアメリアが、助けを求めるようにこちらに視線を向ける。さすがに素性を明かすことなどできない。だが上手い逃げ口上も浮かばず、サリューンも答えあぐねてしまう。
「素性を明かせぬ者は信用できん」
「身元の保証は私がします!」
「お前の保証など、なんの意味もなかろう」
「神代の言葉です。嘘はありません」
「それはリュエナの流儀だ」
アメリアはだいぶ頑張っているが、一向に王太子は信用しない様子だった。サリューンは王太子を間近で見ながら、まだ20歳を越えた程度の若さでありながら、随分と威厳のある雰囲気だなと感じた。
武人らしい肉厚な筋肉と、低い声が威圧感を持たせているのだろう。態度が大きいのはもちろん王太子という立場上当たり前なのだろうが、アメリアをリュエナの神代だと分かっていてこの態度なのが気に食わない。
「神子に対しては、国を問わず敬わなくてはならない。それがこの世界の大前提なはずだ」
二人の会話にサリューンが割って入ると、ピクリと王太子の眉が動いた。
「神に国の安寧を委ねた時から、神子の存在はどの場所でも確立している」
「……神殿の者か。確かにそのようだな」
「今回、リュエナの神代が迷惑を掛けたが、偶発的なことで深慮がある訳ではない。ましてやこの国の神子のために動いたこと。そちらこそ態度を改めるべきでは?」
静かにそう告げると王太子は口を閉じ何事かを考え込む。アメリアに目を向けると心配そうな視線とぶつかった。
「リオン……」
「大丈夫だ」
アメリアの手をそっと握り小さく笑って頷く。もう一度王太子に顔を向けると、王太子はにやりと笑って目を合わせた。
「お前、名前は?」
「リオンです」
「お前の詮索はしないでおいてやろう。その代わりアメリアに頼んだことはしてもらう」
「頼んだこと?」
「アメリア、輿に乗れ」
王太子は言うが早いか自分を押し退けアメリアを抱き上げてしまう。驚いて止めようとするが、王太子はさっさと輿にアメリアを乗せた。
「おい!!」
「無駄な時間を過ごした。急ぐぞ!」
サリューンの声を無視して王太子は兵士たちに声を掛けると、白馬に騎乗し歩きだした。呆気に取られたままのサリューンに、輿から顔を出したアメリアが心配そうな顔を向けて声を掛ける。
「リオン、一緒に来て」
「どこに?」
「神域よ」
「は?」
色々と言いたいことはあったが、それよりもアメリアの言葉に驚き声を出した。アメリアは一度ちらりと前を行く王太子を窺うと手招きする。動き出した輿と並んで歩きながらアメリアに耳を近付ける。
「お師匠様がまだお戻りにならないの。それで私が名代でご神託を貰いに」
「神託を?」
妙な方向に話が転がっているなとサリューンは眉を歪める。他国の神子が、仕える神とは違う神に神託を貰いに行くなど聞いたことがない。
「これってしてはいけないことなの?」
「うん、普通ならな……。ただメルは神代だから……」
「神子はダメで神代ならいいの?」
よく意味が分からないのだろう。アメリアが重ねて聞いてくるが、サリューンは顔を前に向けて口を閉ざした。
(前代未聞のことでいまいち判然としないが……)
世界の秩序は明文化されている訳ではないが、できる事とできない事は肌で理解していると言っていい。神子は契約した神に従い、その契約の内にしかその身を保証されていないが、神代は違う。所在は神域に移され、人の身は仮初となる。
簡単に言えば神子の仕事をしている神という存在だ。人の世で生きる神と言う方が近い表現だろう。だからアメリアの行動に制限はない。神代という立場は神から見ても特異な立ち位置をしており、非常に自由な立ち回りができる存在なのだ。
だから今回のことは、たぶん世界の秩序を乱すことはないだろう。
「リオン?」
「ああ、うん。神代なら大丈夫だ。大抵のことは許される」
「そうなの?」
「まぁな」
不思議そうに首を傾げるアメリアに笑顔を見せる。そうしてしばらくすると神域のベールがある小さな建物に到着した。
輿が下ろされアメリアは外に出ると、王太子に歩み寄る。
「では行って参ります」
「この中には神子以外入れない。よろしく頼む」
「お任せを。リオン」
「この者も連れて行くのか?」
王太子の言葉にアメリアは無言で頷く。王太子は一度サリューンに目を向けたが、何も言わず目で行けと促した。
サリューンが扉を開けて中に入り、アメリアもそれに続く。そうして扉を閉めてしまうと、やっと大きく息を吐いた。
隣に立つアメリアも安堵したのか、胸に手を当て息を吐き肩から力を抜いた。
「メル、大丈夫か?」
「サリューン……」
訊ねると、アメリアは抱きついてくる。その身体を抱き締めて本当にホッとした。
「どうなることかと思ったぞ」
「ごめんなさい……」
「とにかく事情はフィーレンのところで聞く。一晩経ってしまってフィーレンも心配しているだろう」
「そうね。行きましょ」
アメリアの手を握りベールをくぐる。リオンから元の姿に戻り白百合の花畑を抜け神殿の扉を開けると、月の形の椅子の前にぺたりと座り込み、座面に頭を乗せていたフィーレンが顔を上げた。
「サリューン様! アメリア様!!」
「フィーレン様!」
立ち上がり駆け寄るフィーレンにアメリアが手を差し伸べる。二人は両手を取り合い再会を喜んでいる。
サリューンはそれを横目に通り過ぎるとソファにドサリと座った。
「すまないがあまり時間がない。話を聞きたいから二人ともこちらに来い」
「ええ、分かったわ」
アメリアが頷きフィーレンの手を取って歩き出す。二人して並んで座るのを見てから続きを話し出す。
「フィーレン、お前が知る限りのことを話せ。どうしてこんなことになった?」
「それは……」
フィーレンが事情を説明した後、アメリアから今までどうしていたかを聞いた。怪我がなくて何よりだったが、他国の問題にだいぶ首を突っ込んだことになり、さすがに許容できる範囲を超えている。
「メル、無事で良かったが、こういうことはあまり良いことではない。今回の行動は軽率に過ぎるぞ」
「はい……」
「フィーレンも、自国の問題を他国の者に関与させるべきではない」
「はい……」
サリューンがそれぞれに向かって言うと、二人ともまったく同じように項垂れて返事をする。
「セスのことは心配だろうが、お前がどうにかするしかない。分かるか?」
「はい。承知しております」
「でもサリューン、ご神託は……」
「分かっている。王太子との約束を違えることはできない。メルは神託を持っていけ。ただし、これきりだ。神託を渡したら、まっすぐリュエナに戻るぞ。いいな?」
「うん……」
セスやフィーレンが心配なのだろう。少し不本意そうな表情だったが、アメリアは小さく頷いた。
「フィーレン、神託を書いてみろ」
「分かりました」
サリューンに促されフィーレンが宙に指先を滑らせる。羊皮紙がふわりと現れフィーレンの手に収まると、サリューンはそれを取って中身を確認した。
「“流れ落ちる星を、止めることはできない”」
神託の中身は他国の神が読んだところで意味は理解できない。「星……」と呟くフィーレンは少しの間考えてから口を開いた。
「どうやらカルーファで一悶着ありそうですね」
「お師匠様が偵察に行っている街ですか?」
「そうです。星はラーンではそれぞれの領主を指すのです。それが流れ落ちるのであれば、戦いによって落ちるのか、それとも……」
「この神託を持っていけば、国王は動くだろうな」
サリューンの発した言葉にフィーレンの眉間の皺が深くなる。アメリアが心配そうにフィーレンの肩に触れこちらに物言いたげな視線を送るが、それを黙殺してサリューンは立ち上がる。
「メル、神託を持て。リュエナにはなにも話していないのだ。皆、心配している。早く戻らねば」
「でも、お師匠様が……」
「アメリア様。神託をお持ち頂けるだけでありがたいことです。これでセスのこともどうにかなるやもしれませんし」
フィーレンは弱く首を振りアメリアにそう言うと、手にしていた神託をアメリアに託した。受け取ったアメリアは大切そうに神託を胸に抱き締め頷く。
「行ってきます」
「よろしくお願い致します」
また神域を出ることは相当不本意ではあるが仕方ないと諦めると、サリューンはアメリアと共にもう一度ベールをくぐり、ラーンの街へ戻った。




