5話 神託
二人並んで柱廊を進むと何度も神官に頭を下げられ、その度にアメリアは頭を下げ返した。朝の神殿はどこか活気があるように感じる。昨日よりもずっと人の数が多くて、明るい表情の神官たちを見ると親しみが感じられた。
リオンは律儀に頭を下げるアメリアをからかいながら進み、大きな扉の前で足を止めると躊躇なくノックした。
「おはようございます、シモン様」
「ああ、お入り」
元気な挨拶に返事が来てリオンが扉を開けると、中には教皇がいた。広い室内の壁際には本棚があり、そこにはびっしりと本が並んでいる。正面に大きな机があって、教皇はそこで眼鏡をかけて書物に目を落としている。
「おはようございます。神子様を連れてきましたよ」
「ああ、ご苦労だったね。おはようございます、神子様」
たぶん自分に向けて言われたのだろうと戸惑いながらも挨拶を返すと、教皇は笑って「こちらへ」と促す。
「今日からそなたは様々な人から“神子様”と呼ばれるようになる。覚えておくように」
「神子……。あの、教皇様も神子様と呼ぶのですか?」
「おかしいかね?」
「なんだかむずむずしてしまいます」
率直に思ったことを言ってみると教皇は声を上げて笑った。
「そうか、むずむずするか。なるほど面白い。では私はアメリアと呼ぶことにしよう。それでいいかな?」
「はい。そうして頂けると嬉しいです」
「いいんですか、戒律違反ですよ」
隣にいたリオンがそう言うと、教皇は楽しそうに目を細めて頷く。
「お前の口から戒律違反などという言葉が出るとは驚きだ。3人の秘密にすればよいであろう」
「俺には戒律を破るなっていつもうるさいくせに」
「まぁ、いいではないか。アメリアはまだここに来たばかりだ。これから色々と学んでいく内に分かっていくだろう」
そのやり取りはとても自然でアメリアには二人が親子のように思えた。妻帯者ではない教皇にそんなはずはないけれど、二人の親しみのあるやり取りからは本当に穏やかな愛情を感じる。
「さて、サリューン様からご神託は受け取ったね?」
「はい、ここに」
手に持っていた羊皮紙を見せると、教皇は机の上にあった美しい筒を持ってきた。黒い円筒状の入れ物は美しい文様と宝石で彩られている。
「これに入れて持っていきなさい。陛下には中身だけ渡すように。いいね?」
「はい、分かりました」
「王宮の入口まではリオンが送る。その先は案内がいるから安心しなさい」
「国王陛下に……、私が直接お渡しするのですか?」
今まで一度も話したことはない。父と共に王宮に挨拶に行ったことはあるが、玉座にいる国王までは遠く、顔ははっきりとは分からなかった。それがこんなに唐突に国王に会うことになるなんて思いもよらなかった。
昨日は神様で今日は国王で、自分の心臓は緊張で破裂してしまうんじゃないかと、子供のようなことを考えてしまう。
「なに、緊張することはない。序列で言えばそなたは陛下より上だ」
「は!?」
教皇の言葉に思わず大きな声を上げてしまうと、リオンが笑いだし教皇も続けて声を上げて笑った。
◇◇◇
神殿を出てもまだリオンは笑いを引きずっていた。
「ちょっと、いい加減笑うのやめてよ」
「だってさぁ、あの間抜けな顔が頭から離れないんだよ。あー、面白かった」
「失礼な人ね、リオンって。しょうがないじゃない、あんなこと言われたら誰だってああなるわ」
「メルってちょっと変わってるよな」
「そうかしら……」
そんなことを言われたことは今まで一度もない。おてんばだとか元気だと言われたことはあるが、“変わっている”なんて評価はされたことがない。ここに来てからなんだか調子が狂うことばかりで、“レディらしく”なんてやっている余裕がないのだ。
リオンと話している内に、あっという間に神殿から王宮の入口に到着してしまった。緊張を感じている暇もなくて少し驚く。
「さ、着いたぜ。ここからはあのおっさんが連れていってくれるから」
リオンが指差す先には小さな扉があり、その前に中年の男性が立っていてこちらを見つめている。
「おっと、忘れるとこだった」
そう言うとリオンはアメリアが着ていた黒いマントのフードを上げて目深に被らせた。
「神殿の敷地内はいいけど、基本的に外歩く時はフードしてろよ」
「そういう戒律?」
「そ、戒律」
肩を竦めるリオンにアメリアはクスッと笑うと、一度大きく深呼吸をした。よしっと気合いを入れる。
「行ってくるわ」
「おう。頑張れよ」
気軽な応援にしっかり頷き歩きだす。扉の前にいた男性はアメリアがそばに寄ると何も言わずに扉を開けた。中に入ると装飾のない質素な狭い廊下が続いている。
静かに扉を閉めた男性がゆっくりと歩きだすので、アメリアはちらちらと周囲を見ながら付いて行った。また扉があってそこを抜けると広い廊下に出た。今までいたところとは違い、金と青とで煌びやかに装飾された様子に、そこが表側なのだと窺い知れる。
階段を上がりまた進む中で、アメリアはこんな美しい建物の中で真っ黒の自分がとても恥ずかしく思えて悲しくなった。色が悪いわけじゃない。ただ幼い頃の自分が怯えた者になってしまったことが悲しかった。
「国王陛下、神子様をお連れ致しました」
男性の声に意識を戻すと、美しい装飾のされた大きな扉の前だった。呼び声にここが国王陛下の部屋なんだわと緊張が一気に増す。中から返答はないが男性は扉を開けアメリアを見た。
中へ入れということなのだろうと理解しておずおずと室内に入る。広い室内には机とソファセットが置かれており、教皇の部屋と同じように壁にはたくさんの本があった。国王はソファにゆったりと座っており、アメリアを見ると笑顔を見せて立ち上がった。
「初めてお目にかかります、神子様」
国王が敬語を使ったことにアメリアは驚き固まる。国王は確か今年30歳を迎えるはずだ。父が今年は誕生パーティーが盛大に開かれるだろうと楽し気に言っていたのを覚えている。それにしても年齢よりもずっと若く見える。少し伸ばした濃い金髪に緑の瞳が印象的で、がっしりとした体躯は力強さを感じ、どこか武人を思わせるものだった。
「神子様?」
「あ、はい! お目にかかれて恐悦至極に存じます」
思わずドレスを着ている時のように腰を落とすと、国王は笑って頷く。
「イグリット伯のご息女だそうですね。大変なお役目ですが、国のためにどうかお力をお貸しください」
「……はい。精一杯務めさせていただきます」
「では初仕事を」
国王の笑顔になんだか笑われているようにも感じたが、アメリアは動揺する気持ちを振り払って神託を取り出し国王に差し出した。
受け取った国王は丸まった羊皮紙を広げると、真剣な顔で紙面に視線を落とす。
「神子様、ありがとうございました。退出して頂いて結構です」
「分かりました。では失礼致します」
少しの間があって顔を上げた国王がそう言うので、アメリアは内心でホッとしつつ挨拶をし、少しだけ早足で部屋を出る。扉を音を立てないようにそっと閉めると大きく息を吐いた。
(あー、緊張した……)
なんだかサリューンと会った時よりずっと緊張した。威圧感というのだろうか。サリューンは優しそうなおじい様という感じだからか、それほどの酷い緊張ではなかった気がする。
立ち尽くしたまま国王とサリューンの違いについて考えていると、近くで咳払いが聞こえた。
ハッとして顔を上げると扉を守っているのだろう近衛兵の男性と目が合う。
「あ……、ご、ごきげんよう!」
恥ずかしいところを見られたと、アメリアは顔を真っ赤にして慌ててその場を足早に去った。
来た時とは逆の方へと。
そして数分後、アメリアはすっかり迷子になっていたのだった。