46話 アメリアの不在
アメリアがジルに連れられて宮殿の客室に閉じ込められた頃、リオンとして神殿の仕事を終えたサリューンは神域内の部屋にアメリアが戻っていないことに気付いた。
無人の室内に首を傾げる。
「メル?」
もう風呂に入っているのかと浴室を覗いてみたが使われた形跡もない。この頃は熱心に魔法修業をしていて遅くなることもあったが、サリューンが仕事を終わらせ戻ってくる時間に部屋にいないことは一度もなかった。
少し心配になり部屋の管理を任せている侍女を呼ぶと、何もない空間から黒のローブを着た精霊がふわりと現れる。
「メルを見たか?」
「いいえ、奥方様はお戻りになっておりません」
「戻っていない? 一度も?」
「はい」
抑揚のない声で答えた精霊に手を振ると、現れた時と同様にふっとその身体は掻き消える。サリューンは部屋をゆっくりと見渡しながら眉を歪める。
ただフィーレンのところで長居しているだけだろうか。そう思う先で、嫌な予感が胸に広がる。
サリューンは足早に部屋を出ると、月の神殿に渡る橋に向かう。欄干に手を置くと、目を閉じる。すぐに見えたのは橋を渡るアメリアの姿だった。
「行ってはいるが……、戻ってはいないな……」
橋の記憶を見る限り、アメリアが橋を渡って戻ってきていないのは確実だった。
逸る気持ちに背中を押されるように半ば走って橋を渡る。白百合の草原に着く頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
扉をノックすると、すぐにバタンと扉が開いて焦ったような表情のフィーレンが飛び出してきた。
「アメリア様!?」
「フィーレン、どうした?」
見たこともないほど取り乱しているフィーレンの様子に驚く。言葉を掛けるとフィーレンはサリューンの腕を掴んできた。
「サリューン様! アメリア様が! わたくしどうしたらいいか……」
「メル!? メルがどうしたんだ!? ちゃんと説明しろ!!」
目に涙をためて唇を震わせるフィーレンを落ち着かせるために、肩を抱くと部屋に戻らせる。ソファに座るとフィーレンは涙を細い指で拭って大きく息を吐いた。
「ごめんなさい、取り乱してしまって……」
「いい。それよりどうしたのだ。メルはどこにいる」
「アメリア様は……、ラーンの街におります……」
「ラーン? ラーンの街だと? まさか神域を出たのか!?」
思いもしない答えに驚き声を荒げてしまうと、フィーレンはビクリと身体を竦ませる。
「わたくしのせいなのです……。セスが4日も姿を見せず心配で……」
「4日も? 神託は?」
「本来なら昨日がその日だったのですが……」
「それでなぜメルが街に出てしまったんだ?」
問い質すと、フィーレンはまた涙をこぼして俯いたまま答える。
「セスのことがどうしても心配で……、そうしたらアメリア様が様子を見てきてくれると……」
「それで外に?」
「すぐに戻ってくると言っていたのです。わたくしも神殿の者に話を聞けば、すぐに分かるかと思ってお願いしてしまいました……」
サリューンは言葉を失くして押し黙る。フィーレンの心配は分かるが、アメリアの軽率な行動に溜め息が漏れる。
行ったこともない遠い異国の地に、何の情報もなく飛び出していくなど無謀にもほどがある。
(たぶんフィーレンに同情したんだろうが……)
誰にでも優しさを見せるアメリアのそういうところは大好きだが、少し迂闊なところがあって、後先考えず突っ込んでいってしまうのはどうにかしてもらいたい。
「いつ頃ここを出た」
「午後すぐです……」
フィーレンの言葉に眉間の皺を深くする。
それならばすでに6時間以上は経っていることになる。何かあったのは確かだろう。
サリューンは慰めるようにフィーレンの肩をポンと叩くと立ち上がる。
「俺が見てくる」
「え!?」
「この時間まで戻らないのなら、神殿でなにかあったのだろう。アメリアの気配ならあちらでも追えるから、すぐ見つけられる」
「本当ですか!?」
「ああ、大丈夫だ」
やっと顔を上げたフィーレンにしっかり頷くと、部屋を横切り扉を開ける。後ろに付いてくるフィーレンを連れて神域の境界まで進む。
そのままベールをくぐろうとしたが、サリューンは一度足を止めると手を横に振る。すると姿は旅装に身を包んだリオンへと変化する。
「わたくしも一緒に……」
「お前は人の世界になど出たことがないだろう? ここで待っていろ」
「分かりました……」
しゅんと項垂れるフィーレンの頭をポンポンと優しく叩く。
そうしてサリューンは白いベールを越えると、ラーンの街へ滑り出た。
リュエナとは違う神域との境界の部屋を見渡し、何もないことを確認し外へ出る。そこでギョッとして足を止めた。
突然街の雑踏が広がって面食らう。
「神殿がないのか……」
思わず呟いて辺りを確認する。さすがにすぐにアメリアの姿がある訳がないが、この様子に納得がいった。
(これは……、迷子になったんじゃないのか?)
きっとアメリアはリュエナと同じように、神殿内に神域の境界があると考えていただろう。そしてこの状態を見て引き返していないということは、神殿を探しているはずだ。
だがそれはそう簡単なことではないだろう。ざっと見渡しただけでも、通りの広さや往来の多さから、この街の大きさは窺い知れる。
たぶんうろうろしている内に迷ってしまって、戻れなくなっているのではないだろうか。
「無事でいるといいが……」
アメリアの左手に嵌められた結婚指輪には守りの魔法と一緒に、新たに追跡の魔法を掛けてある。前回のことも踏まえてどこにいるか分かるようにしてあるのだ。
まさかこんなに早くそれを使うとは思わなかったが、サリューンは指輪の気配を追って首を巡らせた。
(だいぶ遠いな……)
微かだが確かに指輪の気配を感じる。けれど把握できたことに安堵すると走りだす。
人混みを掻き分け進みながら、リュエナとはまったく違う雰囲気の街に目を向ける。サリューンもさすがに来たことがないので興味を惹かれたが、アメリアもきっと同じように、いやそれ以上に街の様子に目を奪われたのではないだろうか。
好奇心旺盛な性格のアメリアが、この街を見て目を輝かせるのは想像に難くない。そんな状態では警戒心も緩むだろう。それが悪い方向へ転じていなければいいがと考えながら大通りを進む。
やがて視界の中に煌びやかな建物が見えてきた。たくさんの窓すべてに灯りが漏れ、まるでその建物自体が輝いているようにも見える。明らかにこの街で一番大きな建物に近付くと、ゆっくりと足を止める。
「嘘だろ……」
目の前の大きな門は閉じられていて、その両脇には剣と槍を持った門衛が睨みを利かせて立っている。
サリューンは建物を見上げたまま首を捻る。指輪の気配はこの建物の中から感じる。まだそれなりの距離があるところを見ると、この建物の奥に入り込んでしまっているのだろう。
サリューンは慌ててすぐそばを荷車を引いて通り越した老人に声を掛けた。
「ちょっと聞くが、この建物は誰の住まいだ?」
「はい? ああ、旅人さんかぁ。ここはラーンの宮殿だよ。大きくて美しいだろう。夜も美しいが、昼間に見ると太陽に輝いてもっと美しいんだよ」
「宮殿? 国王が住む?」
「そうさ。あんた観光で来たのかい? 残念ながら宮殿には入れないが、月の神殿はお参りができるから、昼間にそっちに行ってごらんよ」
「ああ、そうだな……。ありがとう」
サリューンが小さく答えると、老人はにこにこと笑みを浮かべて歩いて行った。
立ち尽くしたままのサリューンの肩にどんと誰かがぶつかる。よろりとよろけるように道の端へと歩きながらも、視線は宮殿から外すことができない。
(宮殿……!? どういうことだ?)
どういう経緯でこの中に入ることになったのか皆目見当が付かない。保護されたのだろうか。それとも捕まったのだろうか。
まったく状況が把握できずサリューンはしばらく呆然と立っていたが、ともかく様子を探ってみるしかないと歩きだす。
巨大な宮殿の周囲に堀などはないが、ぐるりと高い囲いがあって、いくつかある門にはすべて門衛が立っている。また一定間隔に歩哨もおり、囲いに近付く者はすぐに追い払われていた。
(宮殿なんだから当たり前か……)
暗がりの路地から歩哨をそっと覗きながら考える。厳重な守りを突破するにはどう考えても魔法が必要になる。けれどこちらにあるのは身一つだ。
サリューンの左手の指輪にも魔法が封じ込められているが、それは攻撃ではなく守りの魔法で今は役に立たない。以前のことで色々と考えた末に選んだ魔法だったが、選択を誤ったと自分を呪うしかない。
「無事でいるのか、メル……」
不甲斐ない自分を情けなく思い、強く手を握り締める。
見上げる宮殿は、ただそこに美しく佇んでいた。




