45話 ジルからの頼み事
鍵の掛けられた扉の前に立ち尽くしたアメリアは、なぜ自分が閉じ込められてしまったのか皆目見当が付かなかった。
以前も幽閉されたことがあるがそれとはまったく状況が違うし、本当に意味が分からない。
呆然としていたアメリアだったがハッと意識を戻すと、扉を叩いた。
「あ、開けて下さい! お願いします!!」
「申し訳ありませんが、この扉を開けることはできません。お静かに願います」
扉の向こうに立っているのであろう兵士が、やんわりとそれでも固い声で返事をする。アメリアはその声にゆっくりと手を下ろすと扉に背を向ける。
(どうしよう……、まさか閉じ込められるなんて思ってもみなかった……)
ジルをすっかり信じてしまった自分の愚かさを呪いながら窓に近付く。花の形をした窓には、複雑な形の面格子が嵌められていて出られそうにない。
どこを見ても逃げられそうな場所はなく、アメリアは途方に暮れながらとぼとぼと歩き、また赤い絨毯にペタリと座り込んだ。
(私をどうするつもりなのかしら……)
少し考えてみたがさっぱり分からない。罪を問おうというなら牢屋に入れられるだろう。客として扱うのなら鍵を掛ける必要はないし、兵士を立てるのもおかしい。
ジルの行動の意味を考えてしばらく時間が経った頃、突然扉が開いて女性が入ってきた。口許を薄絹で隠した紫の瞳の美しい女性は、後ろに食事を持った女性を従えている。
一瞬逃げようと思うが、すぐに扉は閉じられてしまう。
「お食事をお持ち致しました」
「あの! 私をここから出して下さい!」
「湯あみをお手伝い致します。お身体を清めてから、お食事をどうぞ」
アメリアの言うことが聞こえないかのように、にこやかに女性は話す。何を言っても動じない様子の女性に、アメリアはどうしようもなくなり大きな溜め息を吐くしかない。
なんだかやたら良い匂いのする女性に連れられて続き間になった部屋に入ると、そこはタイル張りになっている浴室だった。リュエナのようなバスタブがあるわけではなく、床よりも一段低くなった場所に湯が張られている。その湯の上に赤い花びらが埋め尽くされていてアメリアは目を丸くした。
「これは?」
「バラの花びらでございます。良い香りがしますので、どうぞお入り下さいませ」
アメリアが戸惑ったままでいると、女性はさっさとアメリアのローブを脱がしにかかった。少し抵抗したが有無を言わせぬ感じはジルと同じで、結局裸にさせられたアメリアはバラの風呂に入った。
無理矢理入らされたとはいえ、汗や砂ぼこりですっかり身体が汚れていたこともあり、身綺麗になると少し気持ちがすっきりした。
新しく用意されていた服は翡翠色の薄絹で、胸やら足やらの露出が結構ありかなり抵抗したが、結局着る服はこれしかないからと押し切られ嫌々ながら袖を通した。
髪にバラの香りのする香油を塗り込まれて、結い上げられるとやっと解放された。その頃には赤い絨毯の上に食事が綺麗に並べられており、アメリアはまったく食べたことのない味の料理を食べた。
(ああ、どうしよう……。絶対フィーレン心配してるよね……)
それにもう外は夜だ。いつもならすでに冥府の神域に戻っているはずの時間だ。そろそろサリューンもリオンとしての仕事を終えて神域に戻ってくるだろう。
(サリューンも心配するだろうな……)
また自分の迂闊な行動でサリューンに心配を掛けてしまうと思うと、自分が嫌になってくる。なんでもっと先を考えてから行動できないのだろうか。
危ない目にあって少しは自分も成長したと思っていたのに、ちっとも変わらない自分にがっかりする。
「それでは失礼致します」
「あの……、私は帰らせてはいただけないんでしょうか」
食事が終わり片付けをした女性が扉に向かうので弱い声で呼び止めると、女性は初めてアメリアの目をしっかりと見た。
「ジル様はお気に召した方をお放しにならない方です」
「お気に召したって? え!?」
「お休みなさいませ」
にこりと笑って頭を下げた女性は、兵士に声を掛けると扉を開けて出て行った。
取り残されたアメリアはただ呆然と閉じられた扉を見つめ続ける。
(お気に召したって……なに?)
女性のいかにも含みのある言い方に、アメリアはごくりと唾を飲み込む。あまり考えたくなかったが、『お気に召した』という言葉がアメリアの考える意味ならば、これは非常にまずい状態なのではないだろうか。
「まさか……そんな訳ないわよね……」
どう考えたって自分が一目惚れされるような容姿でないことくらい自覚している。なんならさっきまでここにいた女性の方が、よほど妖艶で色気があって美しい。大抵の男性はああいう見るからに色香のある女性の方に目が行くだろう。
さきほどの女性の言葉は彼女の見解であって、ジル本人の言葉ではないかもしれない。それをここで先読みして動揺しても仕方ないだろう。
アメリアは立ち上がると仕方なくベッドに腰掛ける。ふかふかの巨大なベッドには薄絹が何枚も垂れていて、外から入る柔らかい風にふわふわと揺れている。
それが神域との境界のベールを思い出してアメリアは深く溜め息を吐いた。
「サリューン……」
以前はサリューンに助けてもらったけれどここはリュエナではない。リオンとなって助けに来るなんてできっこないだろう。
(自分でなんとかしなくちゃ……)
明日は必ずジルを説得し神域に戻ろうと心に強く誓うと、アメリアはもうあれこれ考えるのをやめ、寝てしまうことにした。
◇◇◇
次の日の朝、昨日と同じ女性が部屋を訪れ身支度と食事を済ませた。自分の服を返してほしいと言ってみたが、やんわりと断られ昨日と同じようにこの国の薄絹を着せられた。
「あの! 王太子殿下と話をさせて下さい!」
「私に言われましても困ります」
「では誰かに伝えて下さい! 私帰らなくちゃいけないんです!」
頼みの綱は今はこの女性しかいないと、女性の腕を掴んで言い募る。彼女にこの部屋を去られてはもはや打つ手がない。部屋から出ようとする女性をどうにか押し留めて押し問答をしていると、唐突に扉が開いた。
「朝から元気だな、アメリア」
「殿下!!」
「下がっておれ」
女性に一声掛けると、ジルは颯爽と部屋を横切り赤い絨毯の上にあぐらをかいて座る。アメリアはジルに走り寄るとそばに膝を突いた。
「殿下!! 私を神域に帰して下さい!!」
「もちろんそうさせる」
「え……?」
「我が国の衣装がよく似合っているな」
「あ、え!? そ、そんなことは……」
ジルの言うことにいちいち驚き動揺するアメリアに、ジルは笑みを見せる。悠然と座るジルにアメリアは焦る気持ちをぶつけたいが、昨日女性に言われたことが頭を過り上手く行かない。
「一日待たせたのは陛下にお伺いを立てていたのだ。すまなかったな」
「そう、だったのですか……」
「セスのことで色々あってな。私だけでは決定を下せずお前を待たせた」
「セス様になにがあったのですか?」
真剣な表情になったことで、アメリアは冷静さを取り戻すとジルの目を見つめる。
「実はセスにカルーファの偵察を頼んだのだ」
「カルーファ?」
「南にあるオアシスの街だ。そこでちょっと問題が起こっていてな。セスが戻らないので兵士も密かに向かわせたが、どこにも見当たらないという報告がきた」
「なにか問題があるのなら取り締まればよいのではありませんか?」
「そう簡単なことではない。ラーン王国は王政を敷いているが、実際は各オアシスの領主たちとの合議制で成り立っているのだ。それぞれのオアシスは独立しており、国王でも迂闊には口出しできない」
「合議制ですか……」
難しい話になってきて理解しようと真剣に話を聞いていると、ジルは口の端を上げてなぜかアメリアの手を握った。驚いて咄嗟に手を引こうとするが、ぐっと強く掴まれて手を離せない。
「あの、殿下、手をお離し下さい」
「そこで、そなたに頼みがあるのだ」
「頼み?」
アメリアの言葉を聞き流してジルは話を続ける。
「セスの代わりに月の女神から神託を貰ってきてほしいのだ」
「私が神託を!?」
「そうだ。これから動くにしても神託は必要だ。現状で神域に入れるのはそなたしかいない。やってくれるか?」
「それをすれば……、私はリュエナに帰れますか?」
「ああ、約束する」
ギュッと手を握られて笑顔で頷くジルの目を見つめて、アメリアは少しだけ考える。
神域に戻ることができればとりあえずフィーレンには事情が話せるし、サリューンにも会えるかもしれない。
「……分かりました。やります」
アメリアが頷くと、ジルは満足げに笑った。




