44話 ジル王太子
地下の牢屋を出て兵士たちがたくさんいる場所を抜け大きな門をくぐると、突然視界が開けた。眩しいほどの白い大理石が敷き詰められた広場の先に巨大な宮殿が聳えている。
床と同じように白が基調の壁には、美しい模様が描かれたタイルが張られており、強い太陽の日差しを反射して輝いている。整然と並ぶ窓の縁には宝石でも嵌め込まれているのか、さまざまな色が輝き白い壁に彩りを添えている。
線対称の美しいデザインで、中央に大きな尖塔がひとつと、左右に小さな尖塔が4つほどあり、その先には玉ねぎの形の屋根が乗っていた。
あまりの美しさにアメリアはポカンと口を開けて見上げてしまう。壮麗とはこういうことを言うのだろう。とにかくただ美しさだけを追求したような宮殿は、呆れるほどの無防備さでそこにあった。
「すごい宮殿ですね……」
「美しいだろう。ラーンの宮殿を見た者は、これより他に美しいものを見ることはないと言われている」
「分かる気がします」
納得して頷くとジルは口の端を上げて笑う。アメリアはその顔を見上げながらも、どうにか身体を離せないかと身動ぎする。
かなり身体が密着して歩いているのだが、どうにも腕の中から逃げられない。浅黒い素肌の胸が間近にあって、戸惑いと羞恥で落ち着かない。
この国ではこれが普通なのだろうか。それともジルだからこうなのだろうかと、色々と考えている内に、宮殿の中に入った。
「うわあ……」
思わずアメリアの口から感嘆の声が漏れる。
中は数え切れないほどの柱が支えた広い空間が広がっているのだが、それがすべて金でできてきる。とにかく柱も壁も扉もすべて金色で、その中に緑色の宝石がちりばめられている。
壁や天井もびっしりと彫り物がされており、複雑過ぎるその装飾に目を見張るしかない。
「ここは表玄関のような場所だな」
「これ……全部金ですか?」
「もちろんだ。金と翡翠でできている。この空間を作るだけで十年費やしたと聞くな」
「十年……」
なんて壮大な話なんだと驚く。なんだか質素な神域よりもよほどここの方が、神々が住んでいそうだわと思ってしまう。
それほど絢爛豪華で、目映い空間だった。
アメリアが目を白黒させながら進むと、宮殿の奥の方へ連れて来られた。大きな扉を開けて室内へ入ると、広い部屋には段差があり、奥の数段高いところにはベッドや調度類が置かれている。
「疲れたであろう。今お茶を持たせるゆえ、寛いでおれ」
「え、あ、ありがとうございます」
赤い絨毯の敷かれたところには大きなクッションがたくさん並んでいる。そこに膝を折って座るジルに倣って、アメリアも横に座った。
ついまた室内を見渡してしまう。とにかくこの部屋も金がふんだんに使われており、素晴らしいのだが落ち着かない。ベッドが置いてあるが、こんなところで安らかに眠れる気がしない。
「ここは客室だ。もっと良い部屋もあるのだが、急だったのでな。許せよ」
「そんな! この部屋でももったいないくらいです! あ、いえ、それより、セス様のことをお教え下さい」
ずっとジルの強引さに面食らって本題を聞けずにきた。その言葉にジルはクッションに肘を突き頬杖をすると、アメリアはじっと見つめた。
「まぁ、そう焦るな。まずそなたのことを話せ」
「私のことですか?」
「そうだ。ちゃんとした自己紹介もまだであったろう。私はジル・ラーン。この国の王太子だ。そなたは?」
「あ、私は、アメリアです。リュエナ王国、死者の神の神代を務めております」
色々突然起こり過ぎて忘れていたが、確かにジルの言う通り、王太子という立場の人に出会ったのだ。しっかりと挨拶するのが妥当だろう。
アメリアは背筋を伸ばし改めて挨拶をすると、ジルは手を伸ばしアメリアの左手をそっと持ち上げる。
「神子は神の妻だと言うが、確かに指輪をしておるな」
「はい。その通りです」
「“神代”というのは、つい先だってセスに聞いた。なにやら神との婚姻より、さらに強固な繋がりを持つらしいと。それはどういうことだ?」
「それは……、本当に神と婚姻するということです……」
詳しく説明するのが恥ずかしくつい言葉を濁してしまう。ジルはアメリアの表情を見て首を傾げると、やわやわと左手を握り言ってきた。
「本当の……。ならばそなたは、もしや神と床を共にしたということか?」
ジルの唐突な言葉にアメリアは顔を真っ赤にして下を向いた。答えることなどできるわけもなく、唇を噛み締めてそのままでいると、ジルは声を上げて笑った。
つい恨みがましく視線を上げたアメリアは、思わずジルの顔に見惚れてしまった。堂々たる姿で楽しげに笑う様子は、風格があり美しくもあって、砂漠の国の王太子に相応しい威厳があった。
「気に入ったぞ、アメリア。この地上においてお前ほど面白い存在はいないだろう」
まだ笑ったままのジルはアメリアの手を離してはくれない。なんだかその触れた手が意味ありげに握られて、アメリアの胸がドキドキしてくる。
「あの、手をお離し下さい」
「ん? 嫌か?」
「嫌とかそういうことではなく……」
なんと答えていいか分からず困ってしまうと、ジルは楽しげに口の端を上げ手をパッと離した。
「リュエナ王国は遠き東の国。我が国が擁する月の女神は、冥府の神の眷属のようなものだが国交はない。魔法の修業で来たと言ったか」
「はい。我が国には師匠になるべき人がおらず、止む無くセス様を頼りお願いさせて頂きました」
「神域はどの国とも繋がっているということか?」
「それは……」
これは言っていいことだろうかと一瞬考えて言葉が途切れる。ジルはその様子についと眉を上げて肩を竦めた。
「話せぬことは話さずともよい。神々の世界のことはあまり深入りできぬのであろう。セスもその手のことはよくはぐらかすしな」
「魔法修業のことは、やはり国王陛下に許可を得た方がよろしかったのですよね」
「どうだろうな。魔法使いのこととなれば陛下を通すのが筋だろうが、神子同士だとまた話が違うしなぁ。そなたの国では神子は国王よりも上の地位であろう?」
「あ、はい……。建前上は……」
「我が国で神子はもちろん神殿で最上位の存在ではあるが、神殿は独立した組織という立場で、国からの干渉を良しとせぬところがある。神子は神託を握っているから、こちらも強く出られない。まぁ、複雑な立場だな」
ジルの説明を真剣に聞いていたが、国の内情をさらりと話されてもすぐに理解は難しかった。リュエナでは神子という存在は絶対的で、国王でさえアメリアに敬語を使うが、この国では違うのだろう。
「セスがそう決めたのなら神殿の意向になるし、相手がリュエナ王国の神代であるなら、国としても断る理由はない」
「ではこれからもよろしいのですか?」
「あぁ。陛下には私から言っておく。まぁ、神域の中のことは手の出しようがないしな」
あっさりと許可を得てアメリアはホッと息を吐いた。国同士の問題に発展してしまうかもしれないという杞憂が無くなって肩から力が抜ける。
「神代か……。不思議な存在だな。もはや人ではないのであろう?」
「そう、だと言われていますが、私自身、なにも変わっていないので、なんとも……」
「変化はないのか? 魔法はそういうことではないのか?」
「いえ、これは、先代の神子様からお譲りいただいたもので、神代の力というわけではないのです」
「そうなのか……」
実際アメリアにとって“神代”というのは単に呼び名が変わったくらいしか変化を感じることはない。サリューンは神の存在と同じものになったと言うが、身体に何か変化がある訳でもない。結局自分は自分のまま、生きているだけだ。
「あの……、私の話はこれくらいで……。セス様はどちらにいらっしゃるのでしょうか。実は私、フィーレン様に頼まれてこちらに来たのです」
「月の女神に?」
驚くジルにアメリアは頷く。
「セス様が4日も挨拶にいらっしゃらないと心配されているのです。こんなこと一度もなかったそうで。様子を見てこようとこちらに出てきたのですが」
「月の女神が……」
「どちらにいるか教えて下さるだけで結構です。そうすればフィーレン様も安心するでしょうし」
アメリアの言葉にジルは真剣な顔で考え込んでしまう。アメリアは言葉を続けるのを躊躇って黙って待っていると、ふと視線が合った。ジルはフッと笑みを見せると勢いよく立ち上がる。
「あ、あの! 殿下!?」
「その格好では暑いであろう。汗を落としてゆるりといたせ」
「え? えっと、あの、セス様は?」
アメリアの呼びかけにジルは立ち止まることはせず歩き続ける。扉の前に行くと勝手に扉が開き、外には兵士が二人立っていた。
「あとで服と食事を運ばせる。話はまた明日だ」
「え!? 殿下!?」
ジルがサッと腕を振ると、兵士が扉をゆっくりと閉めていく。アメリアはハッとして立ち上がり走りだすが遅かった。ぴったりと扉が閉まった瞬間、カチリと金属の音が耳に届く。
(今……、鍵が……)
嘘よねと思いながら扉の取っ手に手を掛ける。少し力を入れて扉を開けようとしたが、ガチャッと音がしただけで微動だにしない。
「嘘……」
黄金の扉を見つめて、アメリアは呆然と呟いた。




