42話 ラーン王国
それから神殿での仕事が連日あり、アメリアが月の神殿に向かったのは5日後のことだった。やっと本格的な魔法の修業ができると、わくわくしながら月の神殿に向かう。
いつものように扉をノックするが、中から返事がこない。誰もいないのかしらと思いながら、もう一度ノックをすると小さな声で「どうぞ」と返答があった。
「ごきげんよう、フィーレン様」
「アメリア様……」
室内には月の形の大きな椅子に座ったフィーレンがいた。不安そうな表情を向けるので、慌ててそばに寄る。
「どうされたのですか?」
「アメリア様……。セスが……、来ないのです」
「お師匠様が?」
状況が分からず首を傾げると、フィーレンは涙をにじませて柳眉を歪める。
「もう4日も挨拶にも来なくて……。こんなこと初めてで……わたくし……どうしていいか……」
「え? 4日も? あ、でも、神殿の中にいるのでは? 呼ぶことはできないのですか? えっと、魔法とかで」
アメリアの言葉にフィーレンは弱く首を振る。神の魔法は人の世界ではあまり役に立たないとサリューンもよくぼやいている。こういう時は本当に歯痒いだろう。
「それなら教皇様にお声を掛けるのはどうですか? 教皇様なら居場所を知っていらっしゃるかも!」
「この国では、わたくしの言葉は神子以外は決して聞いてはいけないという決まりがあるのです。たとえ教皇でも国王でも許されません」
「そう……なのですか……」
同じ神殿とはいえ、やはり国それぞれに戒律やルールは違うのだろう。
フィーレンの今にも泣き崩れてしまいそうな儚い姿に、アメリアは焦りながら考える。
「神殿とかの仕事ではないのですか? お師匠様はなにか言っていませんでしたか?」
「……5日前、国王からなにか仕事を頼まれたと言っていました」
「じゃあ、それで来られないだけじゃありませんか?」
「でも、今まで挨拶に来られない日は、必ず前日に知らせてくれていました。だからわたくし……心配で……」
「フィーレン様……」
「セスに……、なにかあったのでしょうか……。どうしたらいいのでしょう……」
両手で顔を覆って項垂れてしまうフィーレンに、アメリアは困ってしまう。助けてあげたいけれど他国のことで、勝手が違い過ぎる。
サリューンに助けを求めた方がいいかもしれないが、今日は教皇と出掛けてしまっている。探すにしてもおおごとになってしまうだろう。
(お師匠様……)
今日は確かにセスから最初の魔法を教えると言われていた。ということはセスが今日ここに来ていないという事実から、イレギュラーなことが起こっているのは確かだろう。
「私が……、様子を見てきましょうか?」
「え?」
ぐるぐると考えた結果、それしか解決法が見つからなかった。自分が外に出て神殿の誰かに聞けば、すぐに現状が分かるかもしれない。
「ですが……」
「神官に聞けば結構あっさり分かるかもしれませんし、ちょっとだけならきっと大丈夫です」
「アメリア様……」
フィーレンは顔を上げて嬉しそうにアメリアの目を見つめながら涙を拭う。その顔に安堵してアメリアは胸をどんと叩いた。
「私に任せて下さい! ずっとお世話になっているんだもの、このくらいしないと!」
にっこり笑ってそう言うと立ち上がる。手を繋いだままフィーレンと部屋を出て、白百合の中に佇む、二本の円柱の間に揺れるベールの前に立つ。
「では行ってきますね」
「無理はなさらないでね」
「はい」
心配そうなフィーレンからそっと手を離しベールに近付く。やはりこのベールに感触はなく、ただ視界が白く閉ざされていく。
そうして一瞬で景色は変わった。薄暗い狭い部屋にアメリアは立っていた。振り返ると神域と同じように円柱とベールがあるが、それだけであとはこの空間には何もない。
(白の間とは全然違う雰囲気だわ……)
冥府の神殿の白の間とはまったく違う雰囲気に気圧される。レンガ造りの壁には灯りが点されているが、ぼんやりとした光は部屋全体を明るくはしていない。光の届かない部屋の四隅は暗く、まるで何かが潜んでいるかのようだった。
少し怖くなったアメリアは足早に目の前の小さな扉に向かう。腰を屈めて通らなければならない小さな扉をくぐって外に出たアメリアは、眩しさに目を細めた。
「嘘……」
腰を上げて視界に入った景色に愕然として声が漏れる。
神殿の中にしては眩し過ぎると思った。それもそのはず、扉の外は神殿ではなかった。そこは青空の下に広がる賑やかな街の中だった。
(え!? 嘘!?)
あまりの驚きにアメリアは後ろを振り返る。小さな扉のあるそれは神殿と言うには小さすぎる、祠のような場所だった。
焦りながらも周囲を見ると、美しい装飾のされたフェンスの外は、もはや街のにぎわいが広がっている。趣はまったく違うが、その賑わいはリュエナの城下町となんら変わらない。
(ど、どうしよう……)
アメリアはベールを越えた後、神殿の中にいる神官に話を聞く気でいた。神殿はリュエナと同じような構造だとすっかり思い込んでいた。
まさか神殿自体がないなんて思いもしなかった。
このまま引き返した方がいいだろうかと頭を過る。でもそれではフィーレンをがっかりさせてしまうだろう。
(街の中に神殿があるはずよね……)
セスは神殿で仕事をしていると言っていたのだ。神殿がないはずはない。どこかに大きな建物があって、そこに神官もいるのかもしれない。
アメリアは何もせずに帰ることは絶対にしたくないと、足を一歩前に踏み出す。
(とにかく神官らしい人を探そう!)
そう決意すると、恐る恐る前に進んだ。
◇◇◇
強い陽射しの降り注ぐ中、アメリアは冬着のローブの袖を捲り上げる。リュエナではもう初雪が降ったが、ここラーン王国は冬のない砂漠の国だ。
行き交う人々の装いもリュエナとはまったく違う。ドレスを着ている者などおらず、セスと同じように男性は頭にターバンを巻き、女性は美しい色とりどりの薄衣を纏っている。
強い風が吹くと風に混じって金の砂が舞い上がり、街の隅は砂の山ができていた。
この国の神官がどんな格好をしているかなど想像もできなかったが、きっと街の人たちとは違う格好だろうと予想をつけて辺りを見渡す。
大通りらしい広い道に出ると、人の賑わいは一際すごかった。人波に揉まれるように歩きながら、両側に出された露店に目が行く。食べ物から着る物まで、色々な物が売られている。
その物珍しさからつい足が止まりそうになったが、アメリアは首を振ると前に進んだ。
やっと人混みが空きだして歩きやすくなると、アメリアは手で顔を扇ぎながら周囲を見回す。一階の高さしかない低い建物が続く中、遠く大きな建物が見えた。白い壁面に装飾がされている。
「あれかしら……」
期待が膨らみ足を速める。徐々に見えてきたその建物には金の装飾がされているのか、太陽の光に反射して光り輝いている。そばまで来るとその周囲はぐるりとフェンスで囲まれており、入口らしきところには剣を持った兵士が立っていた。
中に入っていく人もおり、アメリアは同じように中に入れば何か分かるかもと兵士に近付いた。
「あの、すみません」
「なんだ、お前は」
「ここは、月の神殿ですか?」
「そうだが……、お前、異国の娘だな」
強面の兵士にすごまれてびくびくしながらも頷く。明らかに場違いな格好をしているアメリアをいぶかったのだろう。他の兵士までわらわらと集まってくる。
「お前、どこから来た?」
「え? あ、えっと、すごく遠いところから……」
「遠いとはどこだ」
「ええっと……」
リュエナから神域を通ってここに来たなどと言えるはずもなく、アメリアはただ曖昧に首を傾げる。兵士はしげしげとアメリアを不審な様子で見つめてくる。
「入国許可証を出せ」
「は?」
「許可証だ。この国に入る時に渡されただろう。出せ!」
大声で怒鳴られてビクリと身体が竦む。許可証なんて持っているわけがない。このままではいらぬ誤解を受けてしまうと、アメリアはゆっくり身を引く。
「あ、あの、ごめんなさい、私」
「許可証を持っていないのか!? まさか密入国者か!!」
「え!? 違います!! 私は!!」
「捕らえろ!!」
兵士の荒げた声に驚いて逃げようと思ったけれど、もちろんそんなことはできなかった。あっという間に腕を捕まれると後ろ手に縛られてしまう。
「ま、待って下さい!! わ、私は、怪しい者ではありません!!」
「どこからどう見ても怪しいだろうが!! 牢に連れていけ!!」
隊長らしき人物がそう指示を出すと、アメリアを引っ張るように兵士が歩きだす。
(嘘、嘘……! どうしよう……!!)
何も考えずに兵士に声を掛けてしまったあまりの迂闊さに、アメリアはただただ自分を恨むのだった。




