41話 風の魔法
魔法の修業が始まって1ヶ月ほど経ち、アメリアがまだ自分にはなんの成長もないのかと落ち込んできた頃、セスがそろそろ試してみるかとグラスを取り出した。
「お師匠様、それって最初にやった……」
「そうだ。グラスをしっかり持て」
「はい!」
月の錫杖を右手に持ったまま、左手にグラスを持つ。目を閉じて集中し、今では微かにだが感じられるようになってきた魔力をどうにか探る。
「グラスに水を満たすようなイメージを思い浮かべてみろ」
セスの言葉に耳を傾けながら集中を深くしていく。できるだけ言われた通りのイメージを頭に浮かべるが、なぜか不思議に違うことが脳裏をよぎった。
(そういえば……、ゲルトルーデ様の魔法書の最初のページには、“身体の中に巡る魔力を一つに束ね、胸の中心でリボン結びにすること”って書いてあったっけ……)
今までセスの言葉に従ってやってきたが、ふとそれを思い出した。初めて読んだ時は全然意味が分からなかったけれど、あれも確かに意味があることなのだと今なら分かる。
(リボン結びかぁ……)
リボンといえばつい先日再会を果たしたエリザベートの髪に美しいリボンがあった。動くと薄いレースが揺れてとても綺麗だった。
そんなことを考えていると、頭の中にはレースのリボンが思い浮かんだ。
その途端、ガラスの割れる音がした。
「割れた……」
慌てて目を開けると、持っていたはずのグラスは左手から消失して、足元には砕けたガラスの破片が落ちている。
ゆっくりとセスの方へ顔を向けると、嬉しそうな表情に変わったセスがガバッと抱き着いてきた。
「やった! やったな! アメリア!」
「わっ! は、はい! やりました!」
驚きながらも嬉しくて思わずそのまま返事をする。セスはまたパッと離れると足元の破片をひとつ摘み上げた。
「割れる時、グラスの周辺に風を感じた。アメリアの魔力は水より風の性質なんだな」
「風?」
「魔法使いの魔力は色々な自然の力に沿っているんだよ。僕の場合は火だけど、基本は地水火風で大きく分けられる」
「なぜ私が水だと思っていたんですか?」
「それは持ってきた魔法書に水の気配を感じたからだよ。あれを作った者の魔力を受け継いだなら、アメリアも水の性質になると思っていたんだ」
セスの説明は十分には理解できなかったけれど、なんとなく納得することはできる。
「私、頭の中でリボンを思い浮かべたんです」
「リボン?」
「お師匠様はグラスに水を満たすイメージでって言ったけど、魔法書に書いてあったリボンを思い出したんです」
アメリアの言葉にセスも思い出したのかポンと手を打つ。
「確かに最初に書いてあったな。リボン結びをしろとかなんとか」
「そう、それです。それで、この前会った友達のリボンが頭に浮かんで、そうしたらグラスが割れたんです」
これで正しく伝わっただろうかとセスを見る。セスは難しい顔をして少し考えると口を開いた。
「そうか……、風か……。リボンってそういうことなのか……」
なにかぶつぶつと呟いたセスは、アメリアの顔を見てからテーブルの上に置いてある魔法書を取って開く。何ページかをペラペラと捲ると、またアメリアを見た。
「これは最初からアメリアに特化した魔法書なんだ」
「私に? 特化?」
意味が分からず首を傾げる。一人納得のいったセスは興奮したように目を輝かせて頷く。
「この魔法書は、本当にアメリアのためだけに作られているんだよ。だから僕が読んでも意味がよく分からなかったんだ」
「どういうことですか?」
「アメリアは風の性質を持っている。魔法を使うために思い描く頭の中のイメージも、アメリアがもっとも想像しやすいものになっているんだ」
「私のために……」
「ゲルトルーデ様だっけ? この魔法使いはすごいよ……。最初からアメリアのこと全部分かっていたんだ。修業もなにもする前から見抜いていた。もしかしたら未来予知もできていたのかも」
心の底から感心して話すセスに、またゲルトルーデの偉大さを感じた。本当にすべてを見通していたのかもしれない。サリューンとの出会いも、その先のことも。
「うん。でもこれで第一段階はクリアだ。やっと魔法の修業に入れる」
「え? あの、これが魔法なんじゃないんですか?」
これが風の魔法だと思っていたアメリアは、セスの言葉に驚いて問うと、セスは苦笑して首を横に振る。
「これは魔法じゃない。ただ魔力が自然の力に収束しただけだ。こんなの魔力がある子なら幼い頃にできることだよ」
「そう、なんですか……」
一歩前進したのかと思いきや、やっとスタートラインに立っただけだと分かりアメリアはがっくりと項垂れる。セスはそんなアメリアの肩を慰めるようにポンポンと叩いた。
「まぁ、そうしょぼくれるなよ。これができればこれからちゃんと魔法の修業に入れるんだから」
「はい……」
「よし。じゃあ、ちょっと試しにやってみるか」
「なにをですか?」
「魔法だよ。簡単なのならすぐ使えるかも。やってみるか?」
「は、はい!」
セスの励ましにアメリアは気持ちを立て直すと、元気良く返事をして月の錫杖を両手に握る。
「風の性質なら、ここはちょうどいい。周囲に流れている風を感じながら、錫杖に集中するんだ」
セスの言うままに目を閉じて風を感じる。心地良いそよ風が百合の香りを運んでくる。頬に当たる風を感じると、錫杖が熱くなった。
「キャッ!!」
突然、離れたところで高い叫び声が聞こえてアメリアはハッと目を開ける。なにがと思うより先にセスが慌てて立ち上がり走って行くのが見えた。
「フィーレン様! 大丈夫ですか!?」
「セス……」
セスの走る先でフィーレンが白百合に埋もれるように尻もちをついている。驚いてアメリアも立ち上がるとそばに走り寄った。
「大丈夫……。強い風にちょっと驚いただけよ」
膝をついたセスが心配そうに眉を歪めてフィーレンの手を取っている。その焦ったような横顔をアメリアはじっと見つめた。
「すいません。周りを確認せずに魔法を使わせてしまいました。怪我はありませんか?」
「平気……。ホントによろけてしまっただけだから」
セスに支えられながら立ち上がるフィーレンの頬は、少しだけ赤らんでいる。
「ご、ごめんなさい。私が変なことしちゃったから……」
「あらあら、そんな顔しないで。魔法が使えるようになったのですね。良かったわ」
「フィーレン様、部屋に戻りましょう。アメリア、君は魔法は使わず瞑想をしていろ、いいな?」
「は、はい。分かりました」
フィーレンの手を取ってゆっくりと歩きだしたセスが、振り返ってアメリアに指示を出す。アメリアは慌てて頷きながらも、セスの様子を見続けた。
優しくフィーレンの手を握り、真摯な眼差しを向けている。その姿は決して嫌っているような雰囲気ではない。
(やだ……、なんだか顔が熱いわ……)
エリザベートに言われた言葉が残っているから、そう見えるのだろうか。けれどセスの表情も、嬉しそうなフィーレンの様子も、全部が当てはまっている気がしてならない。
(二人は……両想いなんじゃないかしら……)
まだ確定ではないにしろ、これはきっと上手くいくんじゃないかと希望が湧いてくる。
(私にもゲルトルーデ様みたいに未来が見えたらいいんだけど……)
そうしたらきっとこんなにやきもきしたりはしないのだろう。それでも自分がその魔法を使えるようになるのは、きっとまだまだ先のことだ。今ある力でどうにかするしかない。
遠くなる二人の背中を見つめながら、アメリアは錫杖をギュッと握り、二人の行く末のために力を尽くすことを誓うのだった。




