39話 悩み相談
数日が過ぎ、アメリアも月の神殿との行き来にだいぶ慣れてきた。未だに進展はないけれど、少しずつ自分の中の魔力を感じるということがどういうことなのか分かってきた気がする。
結局、神殿での仕事も魔法の修業も地道に覚えていくしかないと自分に言い聞かせて、今日も月の神殿に渡った。
「こんにちは、フィーレン様」
「ごきげんよう、アメリア様」
ソファに座っているフィーレンのそばに寄って挨拶をすると、フィーレンは刺繍をしていた手を止めて挨拶を返す。アメリアはついその手元に目をやると、まだやりかけだが美しい文様の刺繍に驚いた。
「とても刺繍がお上手なんですね」
「そんなことないわ。……アメリア様はサリューン様にこういうこと……しますの?」
「刺繍はしたことがないですね。私はこんなに上手じゃないから、フィーレン様が羨ましいです。あ、これ、お師匠様に?」
「……え、あ……、そうなのですけど……」
刺繍を見下ろして言葉を詰まらせたフィーレンに、アメリアはそれ以上なにか言うこともできず押し黙る。
少しの沈黙が過ぎると、下を向いていたフィーレンがパッと顔を上げた。
「アメリア様!」
「は、はい。なんでしょう?」
「わたくしの相談に乗っていただけませんか?」
「相談、ですか?」
困惑している内に手を引かれるので、仕方なくフィーレンの隣に座る。肩が触れ合うほどそばに寄ると、ふわりと百合の匂いがした。
「アメリア様はサリューン様のことがお好きなのよね?」
「え!? あ、そう、ですけど……、なぜそんなことを?」
「サリューン様が神だと分かっていても好きになったのですよね?」
念押しされるように問われ、アメリアは顔を赤らめる。まっすぐに見つめてくる銀の瞳に気圧されて、これは逃げられそうにないと諦めると小さく頷いた。
「そうです。色々あって好きになりました」
「色々ですか……。羨ましいわ……。サリューン様はアメリア様のこと本当に愛してらっしゃるし、相思相愛なのですね……」
「それはまぁ、夫婦ですし……」
「夫婦……」
フィーレンはポツリと呟くと、項垂れてしまう。アメリアはどうしようかと思ったけれど、意を決してフィーレンの細い手を握った。
「お師匠様と上手くいっていないのですか?」
「セスは……、わたくしのことを好きではありません」
「え……」
「嫌われているわけではないのですが、ただ神として敬ってくれるだけです」
悲しげに微笑んだフィーレンはアメリアの手を握り返す。その横顔を見つめて、ふと思い出す記憶があった。
(エリザベートと同じ表情だわ……)
いつか見た寂しげな横顔。あの時は気付かなかったけれど、今なら理解できる。
「フィーレン様はお師匠様が好きなんですね?」
アメリアの言葉にフィーレンの白い頬がピンクに染まる。いつもは色気のある美しさのフィーレンが、どこか幼い印象になって驚いた。
「でもセスはなんとも思っていないわ。わたくしがどんなに笑顔を向けても、笑顔を返してくれない。これも、たぶん受け取ってはくれないわ……」
膝の上の刺繍に視線を落とし呟くフィーレンに、アメリアはどうにか慰めの言葉を探す。
「お師匠様はまだ14歳ですよ。とてもしっかりしていますけど、恋愛はこれからだと思います」
「そう、かしら……」
「フィーレン様はとても美しいし、普通の男性ならきっと最初はたじろいでしまうんじゃないですか?」
「そうなの?」
キョトンとした顔を向けて首を傾げられて、アメリアは引き攣った笑みを返す。恋愛に疎い自分が男性の気持ちなど分かる訳がない。ただ自分がそうであったから言ったまでだ。
返事もできないまま固まっていると、フィーレンはアメリアの手を両手でギュッと握って顔を近付けてきた。
「アメリア様。セスにわたくしのことをどう思っているか、聞いて頂けませんか?」
「は? え?」
「あと、できればセスとわたくしの橋渡しをして頂きたいのです」
フィーレンが必死な様子で言い募る。掴まれている手を引き抜こうとするが、ギュッと握られてしまい逃げられない。
二人の睨み合いはたっぷり1分ほど続いたが、最後にはアメリアが押し負けた。
「分かりました……。お師匠様に聞いてみます。橋渡しは上手くいくか分かりませんけど、頑張ってみます……」
「ありがとうございます! アメリア様!!」
突然抱きついてきたフィーレンの身体を抱き留めて、アメリアはこっそりと溜め息を吐いた。サリューンとの仲を少しだけ疑ってしまっていたから、それについては安心したが、思いもよらない難題を押し付けられてしまった。
(私……、恋愛関係に疎いんだけどなぁ……)
ここ最近の出来事で、嫌というほど自覚した自分の弱点。人様の悩みを解決できるとは到底思えない。
(これも修業の一環かぁ……)
そう思うしかないと覚悟を決めると、アメリアはもう一度大きな溜め息を吐いた。
◇◇◇
それからしばらくしてセスが部屋に現れると、二人で東屋に向かった。
とりあえず先ほどのフィーレンとの会話は忘れ、月の錫杖を持っていつものように集中する修業を続ける。ちらりと隣を盗み見ると、セスはゲルトルーデの魔法書を真剣な目で読んでいた。
2時間が経って今日はもうこれで終わりにしようと言われ、アメリアは錫杖を指輪に戻す。まだ魔法書を読んでいるセスに、その手元を見て声を掛けた。
「ゲルトルーデ様の魔法書は解読できたんですか?」
「うーん、まぁまぁかな。随分読んでみたけど、結局表現が少女趣味なだけなんだと思う。そこを分かってしまえば早いんだろうけど」
「それが難しいんですね」
「まぁね」
肩を竦めて本を閉じたセスは、それをアメリアに差し出した。
「とりあえずこれは返しておくよ。これはアメリアのために書かれたものだし、もしかしたらアメリアが読んだ方が理解が早いのかもしれない」
「分かりました」
分厚い本を胸に抱え込んだ手にギュッと力を込める。フィーレンの願いを無視する訳にはいかないと、覚悟を決めるとキッとセスを見据えた。
「お師匠様」
「なんだ?」
「フィーレン様って……、とてもお美しい方ですよね……」
「まぁそうだな。神様だしな」
「そうですよね……」
続かない会話にアメリアはぐるぐると頭を回転させる。魔法の修業などよりよっぽど難しく感じたが、とにかく話し出したからには最後まで頑張ろうと会話を続ける。
「えっと、お師匠様はフィーレン様とあんまり打ち解けてないなぁと思うんですけど……、どうしてですか?」
「どうしてって、神と打ち解けてどうするんだ。神子はそば近くに仕えることができるだけで、友達じゃないんだぞ」
「でも、神子は神と婚姻するんですよ。お師匠様だってフィーレン様のお婿さんじゃないですか」
「それは便宜上のものだろ。神との契約をそう言ってるだけで、本当に夫婦な訳じゃない」
顔色をまったく変えず答えるセスに、フィーレンへの愛情を感じることはできない。それにセスの言い分はアメリアにとっては不本意で、ついむきになってしまった。
「そんなことないです! 神子に選ばれたならその神とは心を通わせるべきです!」
「アメリア。君はサリューン様と聖婚式を挙げたからそう言うんだ。僕と君は違う。僕は神子として立場を弁え、仕事を全うするだけだ」
固い声でそう言うセスにアメリアはそれ以上なにも言えなくなってしまう。確かに自分も最初はそう思っていた。神と心を通わすなんて恐れ多いことだと。けれどサリューンやフィーレンは人よりも人らしい感情に溢れている。恋する心も人と何も変わらない。
フィーレンの恋を応援したいけれど、これ以上どう言っていいかも分からず、アメリアは途方に暮れて俯いた。
◇◇◇
がっくりと肩を落として冥府の神殿に戻ったアメリアは、まだ部屋に戻っていないサリューンを探して神域を出た。
どこかで掃除でもしているのかしらと歩いていると、長い回廊の先の曲がり角から姿を現した神官と目が合った。
「あ! 神代様!」
「どうしたの?」
「神代様にお客様です」
「私に?」
神官が後ろに視線を流すので、アメリアも釣られてそちらに視線を向けると、曲がり角から青いドレスの裾が見えた。
「エリザベート……」
アメリアは驚いて目を見開く。ポツリと呟くと、エリザベートは真剣な目をアメリアに向けた。




