38話 それぞれの気持ち
魔法の修業は週に3日ほど月の神殿の東屋で行われた。とにかく初歩の初歩までも行っていないアメリアは、今は月の錫杖を両手に持って自分の魔力を感じるという修業をしている。
「なかなか上手くいかないな」
「すみません……」
瞑想して1時間が経って、一度休憩を挟もうと言われ目を開けると、セスが溜め息を吐いた。
「責めてるわけじゃない。前例がない以上地道にやるしかないんだ。僕が見る限り魔力は十分に錫杖に集まっている。もう少しだと思うんだけどね」
「そうですか……」
「アメリアは、仕事は大丈夫なのか?」
「平気です。神代とはいえまだまだ勉強中の身ですが、魔法を早く身に着けた方がいいと教皇様も言っていますし」
「冥府の神殿の教皇はこのことを知っているのか」
「ええ、もちろん。相談しましたから」
「そうか……」
小さく返事をしたセスが何やら考え込んでしまったのを見て、アメリアは首を傾げる。
「お師匠様は月の神殿の教皇様にはお知らせしていないんですか?」
「うん……。今回のことはちょっと想定外というか、今までになかったことだからまだ報告してないんだ」
「それは魔法に関することだからですか?」
「それもあるけど、まぁ色々ね……」
「色々、ですか……」
難しい顔をするセスから視線を外しアメリアも考える。確かにアメリアが神域から外に出なければ、神殿に知られてしまうことはまずないだろう。けれどセスの仕事の時間を割いている以上、神殿に知らせないということはよくないことのようにも思える。
「あらあら、二人とも難しい顔をしてどうしたのですか?」
おっとりとした声に顔を上げると、フィーレンがトレイにお茶を持って東屋に入ってきた。
「そろそろ休憩かと思ってお茶を持ってきたの。皆で飲みましょ」
「フィーレン様! そんなことは僕がやりますから!」
「折角のお客様なのよ。わたくしにやらせて」
「いいえ。僕がやりますから」
セスは厳しい声でそう言うと、フィーレンの手からトレイを奪いさっさとお茶の仕度をしてしまう。アメリアは前に置かれたティーカップを見下ろし、それからちらりとフィーレンを見るとしょんぼりとして下を向いてしまっている。
「あ、あの、フィーレン様、お心遣いありがとうございます。とっても美味しいお茶ですね」
明らかに気落ちしているフィーレンに慌ててそう声を掛けると、フィーレンはパッと嬉しそうに顔を上げる。
「本当? お口に合って良かったわ。それは百合の朝露を集めて淹れたものなのよ」
「ああ、だから百合の香りがほのかにするんですね」
「そうなの。良い香りよね」
にこにこと笑うフィーレンにアメリアは内心でホッとする。なんだかこの二人はいつも会話に緊張感がある。二人の間に立つと、そのぎくしゃくした空気が伝わって、妙に居心地が悪い。
「お師匠様はいつから神子をやられているんですか?」
「僕は神子になって1年になるな」
「1年……。じゃあもうすっかり仕事には慣れているんですね」
「まぁね。元々僕は神殿で魔法の修業をしていたし、仕事は慣れていたからね。そこに神子の仕事が加わるだけで、それほど生活は変わっていないよ」
「そうなのですか……」
自分とはやはりだいぶ違うのだなと改めて思い、アメリアは小さく溜め息を吐く。いつになったらこんな風に自信を持って発言できるようになるだろうか。
「アメリア様は神代になられてまだほんの少しだもの、これからですわ」
「そういえば、アメリアは神子ではなく神代だったね。何か違いがあるのかい?」
「まあ! セス! 神子と神代ではまったく違うわ!!」
「え、そうなのですか?」
セスの質問にフィーレンが興奮気味に答える。フィーレンからアメリアに視線を移したセスが確かめるように目を合わせるが、曖昧に頷くことしかできない。
アメリアが分かっていることといえば、サリューンと本当の夫婦になったというだけで、具体的に神の世界でどう違うのかはよく分かっていなかった。
「神代は本当の意味で神と婚姻した者よ。その身体はもはや神域の中の存在で、人とは違うモノになるわ」
「アメリアは、人ではないのか?」
「そう……みたいです……」
聖婚式の時にも神と同じになったと言われたけれど、まったく自覚はない。神域で過ごす時間が増えたとはいえ、身体的な変化はなく、アメリアにとっては言葉だけの違いのように思えていた。
「どうして神代になったんだ? 仕事は神子だってできるだろ? それとも何か変わるのか?」
「仕事は同じだけど……、えっと、サリューンのこと、好きになったから……」
アメリアが言葉を途切らせながらも答えると、セスは視線を外し「ふぅん」と気のない返事をする。そんな様子をフィーレンがまたしょんぼりとした顔で見つめていた。
「さ、休憩はそろそろ終わりだ。再開しよう」
「あ、はい!」
妙な沈黙を破るようにセスが立ち上がりながらアメリアに話し掛ける。アメリアが返事をすると、フィーレンはお茶を片して神殿に戻って行った。
その背中を見送ってセスが小さく溜め息を吐く。
「お師匠様」
「なんだ」
「お師匠様は、フィーレン様とあまり仲が良くないんですか?」と聞きたかったけれど、そこには触れてはいけないような気がして、それ以上言葉が出てこない。
「……いえ、なんでもないです」
月の錫杖を握り締めて弱く首を振ると、「始めるぞ」とセスに促されて目を閉じた。
◇◇◇
夜、鏡台の前で髪を梳かしていると、サリューンが部屋に戻ってきた。
「お帰りなさい、サリューン」
「ああ、ただいま」
サリューンは一直線にアメリアに近付くと、背後に立って後ろから頬にキスをする。アメリアは鏡越しに目を合わせて微笑む。
「今日はどうだった?」
「うーん、あんまり成果はなかったかな」
「焦ることはないさ。リュエナは平和だし、魔法を使う機会なんてほとんどない。身を守る術をゆっくり学べばいい」
「うん……」
ベッドに腰掛けて気軽に言うサリューンに小さく頷く。そうして振り返ってサリューンの顔を直接見たアメリアは、昼間のフィーレンのことを思い出した。
立ち上がりサリューンの隣に座ると、顔を見上げる。
「ねぇ、サリューン。フィーレン様とお師匠様っていつもあんな調子なのかしら」
「あんな調子って?」
「その……、あんまり仲が良くないというか……」
「そうなのか? 俺もセスとは今回初めて会ったからなぁ」
「あ、そっか……、そうよね……」
サリューンの答えに、ならばこれ以上サリューンに聞いたところで何も分からないかと視線を下ろす。
「フィーレンとは長い付き合いだが、神子の話はしたことがないな」
呟くようなサリューンの言葉に、ふと二人の立ち姿を思い出した。二人が並んだ姿を見て感じた気持ちが、また胸にもやもやと広がってくる。
「……フィーレン様って……、すっごく綺麗よね……」
「そうか?」
「だって本当に月の化身って雰囲気じゃない。キラキラしてて良い匂いがして……」
ごにょごにょとアメリアが言うが、サリューンにはあまり伝わっていないのかアメリアの肩を抱き寄せると嬉しそうに言った。
「メルの方が良い匂いだ」
「お風呂上がりだもの。石鹸の匂いよ?」
髪に鼻を埋めてうっとりとするサリューンに、アメリアはくすぐったくて肩を竦める。優しい温もりに包まれて胸のもやもやが消えていく。
サリューンの愛情を疑うなんて馬鹿げていると苦笑すると、背中に腕を回しギュッと抱き締めた。




