36話 セス
アメリアはフィーレンのあまりの美しさにぼんやりと見つめてしまっていたのだが、それに気付いたサリューンが不思議そうな顔をして近付いてきた。
「どうした? メル」
「え? あ! えっと、なんでもないの! 紹介してくれる?」
「ああ。フィーレン、この者が俺の妻、アメリアだ」
「まあ! この方が! いつかお会いしたいと思っていましたが、こんなに早く願いが叶うなんて思ってもみませんでしたわ。わたくしは月の女神フィーレンでございます。お見知りおきを」
丁寧に挨拶され、腰を落とされるのでアメリアは驚いた。慌てて自分も腰を落とし挨拶を交わす。
「初めまして。アメリアと申します。お会いできて光栄です」
「可愛らしい方ですわね、サリューン様。琥珀の瞳がとってもキュートですわ」
にこりと笑って頷いたフィーレンは、サリューンに顔を向けて言う。サリューンは照れたような笑みを見せて隣に並んだ。
その二人の姿を見てアメリアはなぜか胸がもやもやとした。
フィーレンはアメリアよりもずっと背が高い。サリューンの隣に並ぶと、二人のすらりとした立ち姿は、あまりにもお似合いのように見える。
おっとりとした話し方だが、大人の女性らしい色気のあるフィーレンに、自分にはないものを感じて引け目を感じた。
(本物の女神と自分を比べてどうするのよ……)
落ち込みそうになる心をどうにか持ち直して無理矢理笑みを作る。
「今日は突然お邪魔してしまい申し訳ありませんでした。フィーレン様の神子が魔法使いだと聞いて来たのですが」
「あらあら。わたくしに敬語など必要ありませんわ。サリューン様の奥方様なのですから。気軽にフィーレンとお呼び下さいね」
顔を近付けにっこりと笑ったフィーレンに、アメリアは首をぶんぶん横に振る。
「滅相もありません! 私なんかが月の女神様を呼び捨てになんて……」
「アメリア様は思慮深い方なのですね」
フィーレンはそう言うとサリューンに向き直る。
「わたくしの神子に会いにきたのですか?」
「ああ。フィーレンの神子は魔法使いだろう?」
「確かにセスは魔法使いですけれど、それが何か?」
「メルが魔力を発現させたんだ」
「まあ……、それは珍しいですわね」
「珍しいんですか?」
二人の会話にアメリアが口を挟む。フィーレンはアメリアの方を向いて話した。
「普通魔力は子供の頃に発現するものですのよ。不思議なこともあるのですね」
「ああ、それはしょうがない。アメリアは先代の神子から魔力を継承したのだからな」
「あらあら、ゲルトルーデから?」
フィーレンの言葉に月の女神もゲルトルーデを知っているのかと驚く。フィーレンはアメリアの顔を見てにこりと笑った。
「ゲルトルーデは随分長いこと神子をしていましたから、わたくしも見知っているのですよ」
「そうなんですか……」
「神子はもう来るか?」
「ええ、そろそろ来ると思います。アメリア様、その間、わたくしとおしゃべりしましょう?」
手を引かれてそう言われ、アメリアはぎこちなく笑みを作ると頷いた。
そうして10分ほど石の椅子の後ろに置かれたソファセットで話をしていると、扉の向こうから声が掛かった。
「フィーレン様、セスです」
「どうぞ」
ソファからフィーレンが立ち上がるのでアメリアとサリューンも一緒に立ち上がると、ゆっくりと開いていく扉を見た。
扉から入ってきたのは少年だった。まだ幼さの残る顔が驚きに固まっている。藍色の髪に白い布を巻いており、肩に掛けた短いマントは灰色で、不思議な光沢がある。リュエナでは見たことのない異国の格好に、アメリアは興味を引かれてついじっと見つめてしまう。
「フィーレン様、その方たちは?」
「セス、こちらに来て」
フィーレンが穏やかな声でセスを手招きする。不審な目をこちらに向けたまま近付いたセスがそばに来ると、アメリアとそれほど身長が変わらないことに気付く。
「紹介するわ。こちら死者の神サリューン様と、奥方のアメリア様」
「死者の神!?」
驚きの声を上げたセスは、慌てて膝をつくと頭を下げる。
「失礼致しました。僕は月の神の神子、セス・ユラと申します」
「ああ、突然すまないな」
サリューンが短く言う隣で、アメリアは親近感を持ってセスを見つめた。少年だからというのもあるだろうが、神に対する物慣れない様子が自分と同じように感じたのだ。
「初めまして。私は死者の神の神代、アメリアです」
「は、初めまして……」
アメリアの方をちらりと見て答えたセスに笑みを見せ続ける。
「ごめんなさい、突然。あなたが魔法使いだと聞いて、会いにきたんです」
「僕に?」
「皆様、立ち話はなんですから、こちらにどうぞ」
フィーレンの言葉に全員が顔を向ける。フィーレンはにこりと笑ってソファセットを指し示す。ローテーブルの上には、いつの間に用意したのか、ティーカップが湯気を立てて並んでいた。
全員がソファに座るとフィーレンがその前にそっとティーカップを置く。
「僕に会いにきたということですが、どういうことですか?」
セスが少し吊りぎみの気の強そうな目をアメリアに向けるが、口を開いたのはサリューンだった。
「先代の神子ゲルトルーデが魔力をメルに継承させたのだ。突然魔力を貰ったメルは魔法を使うどころか、魔力の制御もままならない」
「魔力の継承……、そんなことができるんですか……」
「魔法使いの師匠となる者を探している」
「なるほど……」
サリューンと合わせていた視線をアメリアに向けたセスは、少し考えた後頷いて見せた。
「事情は分かりました。自国で魔法使いを探さないということは、リュエナにはもう魔法使いはいないのですね?」
「……ああ」
少しだけ答えに間を置いたサリューンを見て、アメリアは昨日教皇に言われたことを思い出した。
(魔法使いが自国にいるかいないかを漏らさないことはリュエナでも同じことなのね……)
リュエナは他国と争いがまったくなく、平和そのものだと感じていたアメリアにとって、言葉一つがこれほど重要だとは思わなかった。
それでもサリューンが答えたのは、きっとラーン王国がリュエナから遥か遠い国だからだろう。
「……実は、ラーンにはもう一人魔法使いがいます」
「もう一人?」
「ええ、僕の師匠です。ただ師匠は今、ちょっと国外に出ていてしばらくは帰ってきません」
「それは教えられないということか?」
サリューンの言葉にセスは押し黙ると、アメリアのことをじっと見つめた。探るような眼差しを向けられて、居心地が悪く感じたアメリアはつい下を向いてしまう。
「急ぎでないなら、師匠を待つという手もありますが」
「それでは遅い。とにかく魔力の制御だけでも教えてもらいたいのだ」
「うーん……、そうですね。基礎的なことだけなら、僕も教えられるとは思いますが……。アメリア様、僕が師匠でもよろしいですか?」
ふいに話を振られてアメリアはコクコクと頷く。サリューンをちらりと見ると、サリューンも大きく頷いた。
「分かりました。フィーレン様はそれでよろしいのですか? 他国の者ですが」
「構わないわ。冥府の神の治める国と争うことは未来永劫ありません」
「なるほど……。では僕がこれから魔法をお教え致します」
「お、お願い致します!」
アメリアが意気込んでそう言うと、セスは少し複雑そうな顔をしたが「はい」と答えた。
「ああ、そうだ。これはゲルトルーデが書き記した魔法書なんだが」
「魔法書?」
サリューンが差し出した分厚い本を見てセスの目が輝いた。けれどそれを受け取りページをパラパラと捲る内に眉を歪めてサリューンを見る。
「なんです? これ」
「これと言われても……。そなたでも分からないのか?」
「分かると言えば分かりますが、訳の分からない表現でちょっと理解が……」
(ああ、良かった……。やっぱり表現がおかしいわよね、これ……)
自分と同じ感想を持ってくれたセスに、アメリアはホッと胸を撫で下ろす。自分の読解力がないのかと少し落ち込んでいたのだ。
「これはまぁ、じっくり読ませて頂いて参考にします。それより、アメリア様はまったく魔法の制御ができないのですか?」
「あ、ええ……。なぜかくしゃみとか咳をすると、白い花が現れるんです」
「花? 物が壊れるとかではなく?」
「はい……」
なんだか少し恥ずかしくてもごもごと言うと、驚いたような呆れたような顔でセスが聞いてくる。アメリアがおずおずと頷くと、セスは少し考えてから右手を差し出した。
手のひらを上に向けてアメリアの方へと腕を伸ばした途端、そこにフッと小さなグラスが現れた。
「わあ、すごい!」
「これを持って」
「はい!」
のんきに驚いているアメリアにセスが静かに声を掛ける。慌てて返事をしグラスを両手で持つとセスをまっすぐ見つめた。
「アメリア様は自分の魔力が感じられますか?」
「い、いいえ……」
「そこからか……。分かりました。では、目を閉じて」
言われるままにアメリアは目を閉じる。これから何が起こるのだろうかと、胸がドキドキしてくる。
「グラスをしっかり握っていて下さい。いいですか、今からアメリア様の身体に僕の魔力を注ぎ込みます。身体の中に何かが巡るような感覚があるでしょうが、グラスに集中して下さい」
「は、はい!」
意味が少し分からなかったけれど、とにかく返事をするとギュッとグラスを握り締める。その手をふわりと包まれた感触があった。たぶんセスが両手で触れているのだろう。
冷えたグラスの感触に集中する。胸の鼓動がはっきりと分かる。自分に何かができるのかもと期待が膨らむ。
「何か感じますか?」
そう言われてみればお腹の中をぐるぐると何かが巡っているように感じる。胃が気持ち悪くて、胸が苦しくなり、のどが詰まるような感覚。
徐々に胃から這い上がってくる違和感に耐えられなくなって顔を顰めると、鼻がむずむずした。
その途端、クシュンとくしゃみをしてしまった。
「あらあら!」
フィーレンの楽しそうな声が聞こえ、なんだか嫌な予感がしつつ、アメリアはゆっくり目を開ける。
一番に目に入ったのは自分が持っていたグラスだった。そこにはグラスいっぱいに白い花が入っている。
(やっちゃった……)
たぶんこれはセスの思う結果ではないだろうなと思いながら恐る恐るセスを見てみると、セスは大きな溜め息を吐いて天を仰いだのだった。




