34話 アメリアの魔法
アメリアとサリューンの聖婚式が終わって1ヶ月ほどが経った。季節は秋の終わり、まもなく長い冬がやってこようとしている。
二人が名実共に夫婦として暮らしていこうと決めた矢先、アメリアに魔力があることが判明した。夢の中で先代の神子ゲルトルーデから譲り受けた魔力が発現したのだ。
アメリアは着替えを済ませ食事をすると、ようやく人心地付いて冷静になった。
「私が魔法使いになったのは分かったわ。でもどうしてくしゃみをすると花が出てくるの? そんな魔法あるの?」
ソファに座り隣のサリューンに話し掛ける。考え事をしていたサリューンはこちらに目を合わせると首を緩く振る。
「魔法というか、勝手に溢れる魔力が形を作っているだけだろう。魔力を制御して外に出ないようにすれば、花も出てこないはずだ」
「魔力の制御……、ってどうやるの?」
「どうって……さあ?」
「さあって、サリューンだって魔法を使うじゃない。なぜ分からないの?」
頼りなげに首を傾げるサリューンに、アメリアはぐぐっと上半身を近付けて訊ねる。サリューンは困ったように眉を下げると、アメリアから逃げるように上半身を後ろへ反らした。
「人の魔法と神の魔法は全然違うものなんだよ。人の魔法は人にしか分からない。メルの魔力を封じてしまうなら俺にもできるが、それではゲルトルーデに申し訳ないだろ。折角役立たせるために貰ったものなのに」
「そう……、そうね。折角頂いたものなんですものね……。でもどうしたらいいのかしら。この国にはもう魔法使いはいないんでしょ?」
「うん。ゲルトルーデが最後の一人だった。でも確かどこかの国にいるってゲルトルーデに聞いたことがある」
「本当!? どこの国? 近く?」
期待を込めた目でサリューンを見るが、顎に指を添えて視線を逸らせたサリューンは、難しい顔をしたまま黙ってしまう。
少しだけ待ってみるが答えは返ってこず、アメリアは小さく溜め息をついた。
「忘れちゃったの?」
「……すまない」
しょんぼりとするサリューンにアメリアは肩を竦め立ち上がる。時計の針はそろそろ神殿に行く時間を指している。
サリューンも立ち上がるので両腕を差し出すと、ギュッと抱き締めてくれる。
「とりあえず、仕事しましょうか」
「そうだな」
柔らかくキスを交わすと、サリューンが笑みを見せる。その頬にもう一度キスをする。
少し離れがたい気持ちが溢れるけれど、それは見ないようにしてサリューンの肩から手を下ろした。
「メル、魔法のこと、シモン様に話してみるといい」
「教皇様に?」
「うん。ゲルトルーデのことを一番分かっていたのはたぶんシモン様だろうし、もしかしたら何か助言をくれるかもしれない」
「ああ、なるほど」
「俺はゲルトルーデと話したことを頑張って思い出してみるよ」
「分かったわ」
二人で手を繋いで歩きベールを越える。リオンの姿になったサリューンを見上げてアメリアは微笑む。
「仕事頑張ってね」
「メルも。また夜に会おう」
「うん」
そうして白の間の扉を出ると、アメリアは朝の挨拶をしに教皇の部屋に向かった。
「おはようございます、教皇様」
「ああ、おはよう。アメリア」
書類に目を通していた教皇は顔を上げると笑顔で答える。アメリアは自分の机に座り、机の上に置かれている本を確認する。まだまだ覚えることの方が多く、午前中はこうして教皇の部屋で勉強している。
教皇は書類にサインをすると立ち上がり、アメリアの机の前に立った。
「今日は少しだけ世界の国のことを勉強して、後は祈りの間で冬の儀式の一連の動きを確認しよう」
「分かりました。あ、教皇様」
「なんだい?」
「あの、私……、教皇様にお伝えしなくちゃいけないことがあって……」
優しい視線を向ける教皇の顔を見上げて、アメリアは一呼吸置くと言った。
「私、魔法使いになったんです!」
ポカンとする教皇の顔に、アメリアは自分がかなり間抜けな言葉を選んでしまったことに気付き慌てて手を振る。
「えっと! 違うんです! あの、ですから、ゲルトルーデ様から魔力を頂いて! あ、それは聖婚式の前の日に見た夢の中だったんですけど。それで、くしゃみをすると白い花が出て、サリューンがそれは魔法だって」
「ゲルトルーデ様が? 夢の中?」
まったく意味が分かっていない教皇に、アメリアは順を追ってちゃんと説明しなければと仕切り直しにコホンと咳をした。その途端、目の前に白い花がポンッと現れる。
「あっ!」
「おや、これは……」
目を見開いて驚いた教皇は、白い花に手を伸ばす。そっと手のひらに乗せると、アメリアを見て嬉しそうに笑った。
「本当に、魔法使いになったのかい?」
「そういうことらしいです。ゲルトルーデ様が私に魔力を譲って下さったのだとサリューンは言っていました」
「そんなことができるのか……」
「でも私、まったく制御できていないらしくて……。教皇様、ゲルトルーデ様から魔法のことで何か聞いたことはありませんか? 私が参考になるようなこと……」
「参考に?」
教皇はそう呟くと、何かを思い出したのか、ハッとした顔をして本棚に向かう。腰に吊るしている鍵の束から一つ鍵を取り出し、扉を開け中から分厚い本を一冊取り出した。
「これは生前、ゲルトルーデ様からお預かりした本なのだが」
そう言って差し出した黒い表紙の本にはタイトルも何も書かれていない。
「この本に魔法のことが書かれているのですか?」
「いや、分からない」
「分からない?」
「この本は鍵も掛かっていないのに、開かないのだよ。のりで固められているようにぴったりと閉じられている」
「ゲルトルーデ様は何か言っていましたか?」
「必要な時が来れば、次の神子に見せてあげてほしいと」
教皇の言葉に中は読めないのかとがっかりしながらそっと本に触れると、小さな音がカチリと聞こえた。まるで鍵が開くような音だと思った途端、パラリと表紙が勝手に開いた。
「あ……」
「なるほど。どうやらアメリアだけに読ませるために魔法が掛かっていたのか……」
合点がいった顔で言う教皇が指をさす。そこには“アメリアへ”と書かれた一文があった。
驚いたアメリアはその本を手に取りもう一度表紙を見てみる。そこには金の文字でしっかりと“魔法書”と書かれていた。
「すごい……」
こんなこともできるのかと驚いて呟く。
「ゲルトルーデ様の魔法は本当に何でもできるのではと思わせるほどのものだったよ」
「よく魔法を使っていたのですか?」
「いや、人前ではまずやらなかったな。私の前では結構使っていたが。便利な魔法があり過ぎて、実は万能なのではないかと思っていたものだ」
「へえ……」
ペラペラとページを捲ると、規則正しい小さな文字がびっしりと並んでいる。文字は性格を表すと言われているが、ゲルトルーデはかなり几帳面だったのかもしれない。歪みのないまっすぐな文字は最後のページまでずっと続いている。
「それはもうアメリアのものだ。持っていきなさい」
「ありがとうございます。あ、それから、教皇様はどこか他の国に魔法使いがいるという話は聞いたことがありませんか?」
「魔法使いか……」
アメリアが訊ねると、教皇は少しの間考えたが首を振った。
「昔の話でならいくらでも文献は残っているが、現存する魔法使いは知らないな。もしいたとしても秘匿されているんじゃないだろうか」
「なぜですか?」
「今でも戦争とまではいかないが、小競り合いをしている国はあるからね。そういう所は絶大な力を持つ魔法使いがいるかいないかがとても重要になる。あらゆる戦力になるだろうし」
「なるほど……」
「アメリアがもし魔力を使いこなせるようになれば、リュエナにとってはこの上ない助けになるだろう」
「……精進、致します」
期待を込めた目を向けられて、アメリアは小さな声でそう言うのが精一杯だった。なにせ、ペラペラと捲った魔法書の内容は、少し見た限りではさっぱり分からなかったのだ。
分厚い魔法書を見下ろして、前途多難な魔法修業になりそうだと小さく溜め息を吐いた。
◇◇◇
夜になって神域に戻り、まだ戻らないサリューンを待っていたアメリアは魔法書を開いた。最初のページにある“アメリアへ”という文字に、少し気合いを入れつつページを捲る。
「“魔力の制御を行うにはまず意識を集中させること。身体の中に巡る魔力を一つに束ね、胸の中心でリボン結びにすること”」
一文を声に出して読んでみる。それからじっくりと5分ほど意識を集中し、そして身体から力を抜くとバタリとソファに倒れ込んだ。
「全然意味が分からない!」
(リボン結び!? どういう表現なの!?)
自分の中の魔力なんてどう感じたらいいかさっぱり分からず、声にならない叫び声を上げる。それでもどうにか読み解ける何かが先にあるんじゃないだろうかと、寝転がったまま本に視線を落とす。
「“最初はその束ねたリボンから一本だけリボンを引っ張り出す練習をする。何色のリボンでもいい。好きな色のリボンで。でも黒は最後に取っておいて”」
また一文を読んでがっくりと項垂れる。自分は何を読んでいるんだろうか。裁縫入門でも読まされているんだろうか。
仕方なくパラパラとページを捲ってみるが、どのページも似たような文章で、頭が痛くなってきた。
「ゲルトルーデ様って……、独特な表現を使う方だったのかも……」
魔法うんぬんよりも、これを最後まで読破できるかどうかがもはや怪しい。
アメリアが寝そべったまま魔法書を捲っていると、ガチャッと音がしてサリューンが入ってきた。
「メル!! 思い出したぞ!! 魔法使いのいる国!!」
「は? え!?」
慌てて起き上がったアメリアのそばに走り寄ったサリューンが、アメリアの両肩を掴み笑顔で言ってくる。
「月の神殿だ!! 月の女神フィーレンの神子が、魔法使いなんだ!!」
「月の? それって、どこの国にあるんだっけ?」
「砂漠の国、ラーン王国だ!!」
サリューンの言葉にアメリアは目を大きく見開き驚いた。




