―番外編― ゲルトルーデの独り言
140年ほど前、私は神子に選ばれた。
当然のことだ。私はリュエナ王国で唯一の魔法使いだったのだから。神殿に呼ばれ嫁入りを命じられても動じることはなかった。
まだ世界が平和と呼ぶには程遠い時代、この国を大きな戦乱から守ってくれている賢神に仕えることができる喜びで胸はいっぱいだった。
――それがどうだろう。このぼんやりとした顔は。
「おはようございます、サリューン様」
声を掛けてみるが返答はなく、石の椅子に座り頬杖を突いたままぼんやりと空を見つめている。
「サリューン様!」
「うわっ! な、なんだ!? あ……、ゲルトルーデか」
「ゲルトルーデか、ではありません。ご神託は書いていないのですか?」
こちらの大声にわたわたと手足をばたつかせ動揺するサリューン様に、思わず大きな溜め息が漏れる。
本当にこの神様は、いつまで経っても変わらない。
「ああ、神託か。少し待て」
「ぼんやりなさっていましたが、どうなさったのですか?」
「え? あ……、いや……」
いつもどこか間の抜けたような返事ばかりだが、今日はいつにも増して酷い気がして訊ねれば、明らかに目が泳いだ。
「なにかありましたか?」
「それが……、昨日、街でおかしな娘に会ったのだ」
「また街に行っていたのですか?」
ここ50年ほどで世界はだいぶ平和になった。街には活気が溢れ、人が増えた。サリューン様はそんな街の様子が見たいのか、この頃頻繁に人間の世界へ遊びに出ている。
「おかしな娘とはなんですか?」
「木に登っていたのだ」
「木に? 幼い子ですか?」
「7歳だと言っていた」
「7歳……。平民ですか?」
「いや、着ているものもしっかりしていたし、父親の様子から見て貴族の娘だと思う」
「それは……、確かにおかしな娘ですね」
貴族の娘で7歳といえば、もう十分に分別がつく年齢だ。街中で木に登っていたのなら、随分お転婆な娘だろう。
「その娘と話したのですか?」
「ああ……。なんだか妙に気になる娘だった……」
「名前は聞きましたか?」
「アメリアと言っていたな」
サリューン様はまたぼんやりして空に視線を送る。私はその横顔に溜め息をつきながらも、少し興味が湧いてきた。
今まで個人に興味を持つことがなかったサリューン様が、初めて興味を持った娘。
(少し調べてみようかしら……)
国王に神託を届けた後、神殿に戻ると貴族名鑑を調べた。
この国の国民は生後10日ほどで洗礼を受ける。その時に名前や出自が記録され保管される。庶民は住んでいる町の小さな教会で洗礼を受けるが、貴族は必ず王宮の神殿で行うため、その名簿は神殿にあるのだ。
アメリアという名前の娘は3名いたが、年齢に合う者はひとりだけだった。
(アメリア・セルフィス・イグレット。伯爵の次女か……)
王宮へ直接繋がっている、貴族だけが住む地区に屋敷を持っている上級の貴族だ。
ますます興味が湧いてくる。
名簿の置かれた部屋に自分以外誰もいないことを確認すると、親指と人差し指で輪を作り、その中を覗き込む。小さく呪文を唱えた途端、そこに少女が映し出された。
(人探しの呪文、忘れてなくて良かったわ)
使うことが滅多になくなった魔法だが、こんな時は役に立つ。
アメリアが笑顔で庭を走り回っている。近くには姉と弟の姿も見える。微笑ましい光景だ。
しばらくするとアメリアは近くの木に足を掛けて、身軽にするすると登っていった。
(お転婆な子ね……)
なにか特別に惹き付けられるものがあるわけではないけれど、妙に目が行ってしまうような気がした。
(サリューン様はただ珍しかっただけかしら……)
そう思う先で、それだけではないという確信が頭に閃く。
そうして私の忙しい生活の中に、アメリアの観察が加わった。
アメリアはごく普通の貴族の娘だった。なに不自由ない暮らしの中で、家族の愛情に包まれながら、レディとしての教育を受けていた。
ダンスも刺繍もピアノも、嫌がることなく真面目に練習したが、時々、木に登っては母や姉に叱られた。
少しだけお転婆な、なんの変哲もない少女。
数日覗き見し、あっという間に飽きてしまった。代わり映えのない日々を見続けても、楽しいことなどありはしない。
それでも時折思い出してはアメリアの成長を見続けた。
――それから、10年。
アメリアに婚約の話が持ち上がった。順調に行けば一年を待たずに結婚だろう。
私は今まで何となくアメリアとサリューン様を結ぶ何かを探していた。いつかその偶然が訪れるのではないかと期待していた。
「でもまぁ、これで終わりかな」
輪にしていた指を離して小さく息を吐く。結局アメリアはただ普通の娘だったということだろう。
今日でもうアメリアを気にするのはやめようと決め、けれど10年も見守り続けたアメリアのこれからが気になって、未来を少しだけ占ってみた。
そして、私は知った。彼女のこれからの出会いと波乱の道を。
「なんだ……。私が二人をくっつけるのか……」
偶然などない。二人の運命は私が導いてあげなければ絡み合わない。
なんだか突然肩が軽くなった。
ここまで生き長らえてきたのは、このためだったのだ。
――アメリアを、待っていた。
「それなら、私のやることは一つね」
時間があまりない中で、後世に残したいことはできる限り書き記した。身内などとうの昔に失っていたから、会いたい人などいない。
教皇には墓の場所だけお願いした。私の願いといえば、そんなものだ。
サリューン様に最後の挨拶をした。涙は出なかった。やりきった感動などない。そんなことよりこれからのことの方が心配だった。
「サリューン様。長らくお世話になりましたが、今日でお会いするのは最後となります」
「本当に今日で最後なのか……?」
「はい。やっと引き継ぐ者が現れたので、お暇させて頂きます」
突然の別れの挨拶にサリューン様は驚いた顔をし、それから悲しげに眉を歪めた。
その表情だけで、私は満足だ。
「私の役目は終わりました。遣り甲斐のある仕事を与えて下さり、大変感謝しております」
「……本当か?」
「本当です。この国が栄えていくのを間近で見ることができて、とても嬉しかったです」
サリューン様が安堵したのが分かる。いつもどこか不安そうにしていた。私がここにいることに不満があるのではないかと、ずっと気にしていたのを私は知っている。
「さて、サリューン様。これから言うことをよく聞いて下さい。新しい神子にはもっと積極的に話さないといけません。笑顔で優しく接するのです。いいですか?」
「なにを突然……。そんなこと言われたって、上手くできるか……」
「情けない声を出さないで下さい。最初が肝心ですからね? ちゃんと挨拶できないと、その後ずっと悪い印象を引きずりますから」
不安そうなサリューン様に捲し立てる。子供を持つ母親の心境とはこういうものかもしれない。
上手くやってほしい。直接助けることはできないのだから。
「人の世で、随分経験を積まれたのです。少しは自信を持って下さい」
「ゲルトルーデ……」
「すぐに嫁入りの選定があります。どうか心のままにお選び下さい」
「心の?」
首を傾げるサリューン様に、私は久しぶりに笑みを送った。頼りない神様だけれど、信じることはできる。
「サリューン様なら、きっとできます」
「ゲルトルーデ?」
150年、信じ続けたのだから――――
そして、私はこの世とお別れをした。
とはいえ魔法使いである私なら、魂を少しだけこの世に留まらせることだって容易いことだ。
生前に仕掛けておいた魔法で、アメリアの名前を神子候補の名簿の最初にした。お膳立てはこれくらいしかできないけれど、どうにかこれで気付いてくれと祈る。
アメリアの名前を見て目を輝かせるサリューン様の顔に笑ってしまう。
まったく口に出していなかったけれど、ずっと心に引っ掛かっていたのだろう。
教皇にアメリアの素性を詳しく聞いた後、確信したようで嫁入りはすんなりアメリアに決まった。
初めての対面で、老人の姿のままだったのには頭を抱えた。その後もかなり焦れったかったし、やきもきしたが、どうにか二人の心は近付いてくれて、本当に胸を撫で下ろした。
ずっと見続けても、いまだにアメリアに特別なものは感じない。けれどサリューン様にとってはこの上ない相手なのだろう。
まぁ、恋とはそういうものかもしれない。
そろそろ魔法が解けてしまう。聖婚式を見たいけれど、その時間はなさそうだ。
最後にアメリアに贈り物をあげよう。これからコレがきっと役に立つから。
ぜんぶ琥珀に閉じ込めて、あなたにあげる。
サリューン様を幸せにしてあげてね。
二人で、幸せになって――――




