33話 聖婚式
家族との再会を喜んだ翌日、サリューンが聖婚式をしたいと言ってきた。
神域に朝の挨拶に行って、短くなった髪を以前と同じように梳かしながらサリューンの顔を覗き込む。
「聖婚式ってなに?」
「結婚式みたいなものだ」
「前にした即位式が結婚式なんじゃないの?」
なぜか少し照れた顔をして視線を逸らせるサリューンに、アメリアが首を傾げる。
「即位式は国民に向けた単なるお披露目みたいなものだ。聖婚式はこちらの世界との契約を変更するもので、もっと深い意味がある」
「契約を変更?」
意味が分からず手を止めるとサリューンの前に回り込む。まだ視線を合わせないサリューンを不思議に思いながら訊ねる。
「どういうこと? 結婚じゃなくなるの?」
「そういうことではない」
「サリューン?」
煮え切らない態度に名前を呼び肘置きに置いた手に手を重ねると、サリューンがその手を握り締めた。
「メルを神域に迎える正式な儀式なんだ」
「神域に?」
まだ意味が分からない。
「神子は“人”として代々神に仕える者だろ。それはそれぞれの寿命で継承されていく。だけど聖婚式をした者は神域で認められた“神”として、ずっと一緒にいられるんだ。他の神にも紹介できる。正式な……妻として」
「それって……、私が神様になるってこと?」
あまりにも現実味のない話に、まったく信じられず笑いながら聞いてみると、サリューンは静かに頷く。よく見る照れた顔はそれが冗談でもなんでもなく、真剣に言っているのだと分かる。アメリアは笑みを消すと真顔でもう一度訊ねた。
「私が神様に!?」
「冥府の王の王妃になる……、なってくれるか?」
(そ、そんな大それたこと……、想像もできないけど……)
アメリアは突然驚くべき提案をされて戸惑ったが、サリューンの表情にそれがもっと単純なものだと感じた。
「ずーっとあなたのお嫁さんでいるってこと?」
「……そう……」
自信のない返事にアメリアは微笑むともう片方の手をサリューンの手に重ねる。
「うん。それならいいわ。ずっと一緒にいましょう? サリューン」
「メル……」
柔らかく微笑んでそう言うと、サリューンは安堵したように息を吐き、それから笑顔でアメリアの頬にキスを落とした。
◇◇◇
目を開けると神域にいた。森の梢の音と小鳥の囀りだけを聞きながら、辺りを少し探してみたがサリューンは見当たらない。
どこへ行ったのだろうと森に入り滝の前に行くと、驚いたことに女の子が立っていた。
あまりにも驚いて立ち尽くしたまま、その女の子の横顔を見つめる。
自分と同じ年頃で、ポニーテールを三つ編みにしている。黒いローブはまったく自分と同じだった。
意思の強そうな目がじっと滝を見つめていたが、こちらに気付いたのかふとアメリアに顔を向けた。
「あら」
「あ……」
女の子は一言そう言うと、にこりと笑う。
「あなたに会いたかったのよ、アメリア」
「あなたは……、ゲルトルーデ様?」
ふとその名前が出てきて訊ねてみる。女の子は静かに頷きそばに歩み寄る。目の前に来ると視線が下がった。少しアメリアよりも背丈が小さい。
「サリューン様のこと、よろしく頼むわね」
「あ、あの! 私、ゲルトルーデ様に聞きたいことがあったんです!」
「なぁに?」
アメリアはサリューンと心を通わせることができてから、少しだけゲルトルーデのことが引っ掛かっていた。彼女のことを思うと素直に喜べなかったのだ。
「ゲルトルーデ様はサリューンのこと……、どう思っていたのかなって……」
「あら、それって恋心があったかってこと?」
濁して聞いた言葉を真っ直ぐに返されてアメリアは顔を赤らめた。嫉妬のようで恥ずかしいけれど、本当にずっと気になっていたのだ。長年仕えていればそういう気持ちを抱くのは普通だろうし、サリューンは否定していたけれど、本人に聞いてみないと真相は分からない。
ゲルトルーデは楽しそうに笑う。
「そうか、私はとりあえず前妻ということになるものね。気になるわよね」
「すみません……」
「謝る必要なんてないわ。当たり前よね。結婚相手が神様で、契約上とはいえ妻がいた相手ですもの。でも大丈夫。私はサリューン様のこと、神として崇めてはいたけど、慕うとかそんな大それたことはしてないから」
「大それた……」
「それに、サリューン様も今まで好きになった人はいないわよ」
「な、なんで分かるんですか!?」
思わず前のめりになって訊ねると、ゲルトルーデは肩を竦める。
「あら、だってサリューン様は聖婚式を挙げたことがないのよ。神々の世界で言えば未婚だもの」
「未婚……?」
「人の世界では神子という役割を作るために妻を娶るけど、それは好きとか嫌いとか関係ないし。でもあなたは違う。あなたはサリューン様がどうしても会いたくて神子にした人だもの」
ゲルトルーデの言葉にアメリアは気恥ずかしくなって下を向いてしまう。
そんな様子にゲルトルーデは笑いながらアメリアの手を取った。
「あなたが神子になってくれて良かった。あの気の弱い神様を支えてくれる人が現れてホッとしたわ」
「ゲルトルーデ様……」
「優しいのはいいけど、ちょっと奥手過ぎるわよね。アメリアがそばにいれば大丈夫だろうと思っていたけど、結構やきもきしたわ」
呆れたようにそう言うと、ゲルトルーデはじっとアメリアの目を見つめてきた。
「長く仕えてきたけど、あなたのお陰でやっと肩の荷が下りたわ。ありがとう、アメリア」
「そんな……」
「私にできることはないけど、これをあなたにあげる」
そうしてゲルトルーデが差し出した手のひらの上に琥珀が現れた。楕円形の美しい琥珀は淡く光を放っている。
「これは?」
「聖婚式のプレゼント。いつか誰かに譲ろうと思っていたの。きっと役に立つと思うから、もらって?」
「でも……」
「遠慮しないで。ね?」
優しい笑顔に背中を押されおずおずと琥珀を受け取る。不思議な輝きをもっと近くで見たくて顔を近付けた瞬間、ひゅっと琥珀が跳ね口に飛び込んできた。
のどまで滑り落ちてしまい慌ててのどに手を触れる。驚いて目を見開き、ゲルトルーデを見ると笑みを深くして頷く。
そして突然、視界が急速に白くなって、ゲルトルーデの姿が遠ざかった。
「ゲルトルーデ様!!」
「さよなら、アメリア。幸せにね」
霧の向こうから穏やかな声がする。アメリアはその声に強く頷くと、目を閉じた。
目を開けると、まだ真っ暗な室内の天井が見えた。ゆっくりと起き上がってのどに触れる。
「夢……?」
暗闇の中で呟く。のどに違和感などはないけれど、なんだか胸が温かく感じてアメリアは微笑んだ。
(心配して来てくれたのかな……)
ただの夢ではない気がする。そう思えてならない。
「ゲルトルーデ様、ありがとうございます」
暗闇に向かって囁くと、また横になり目を閉じた。
◇◇◇
「サリューン、重すぎて動けないわ」
「どうにか頑張れ」
「どうにかって言われても……」
夜、日が暮れる前に神域に入ったアメリアは、以前と同じようにサリューンの魔法で着替えをした。
前回はドレスだったが、今回は即位式に着たものと似たような胸の前に袷があるもので、以前よりもさらにボリュームがあり、相当の重さだった。
黒色の絹地にはバラの模様が刺繍されている。銀糸で縫われており、自ら光を放つようにキラキラと輝いている。長い帯は背中で大きく結われ、垂れ落ちる先には黒曜石の飾りが揺れている。
手を上げるのも一苦労の長い袖の先には、蜘蛛の糸のように細く複雑に編まれたレースが垂れ、小さなダイヤモンドがシャラシャラと音を立てて飾られている。
「これは俺の趣味ではないぞ。冥府の王妃に与えられる婚儀の衣装だ。文句を言うな」
サリューンが口を尖らせ指を振る。すると耳や指にずしりと重みが加わる。視線を落として指を見ると、大きなダイヤの指輪がそこにあって、溜め息を吐く。
「聖言を忘れそうだわ」
「それは困るな」
楽しげにサリューンは言うと、よしと腰に手を当てて頷いた。
「終わったぞ」
アメリアはふうと大きく息を吐くと、姿見の前によろよろと歩み寄る。今では少しだけ慣れた異国の姫のような自分を見つめる。腰帯で締め付けられて苦しい胃の辺りを撫でてどうやったら上手く呼吸できるか何度か試す。
「ねぇ、今日は頭にはなにもかぶらないの?」
結い上げた髪には飾りもティアラもない。ここまで派手に着飾っていて、頭に何もしないのが不思議で訊ねるとサリューンはにこりと笑う。
「今回はしっかり儀式があるからな」
「儀式?」
「こちらへ」
右手を取られてゆっくりと歩きだす。着替えをしている間に日が暮れたのか、森はすっかり暗くなり、辺りにはホタルが淡い光を放ってふわふわと飛んでいる。
サリューンに導かれるままに森を歩き、いつもサリューンが消えていく方へと進む。大きな葉を腰を屈めて避け前を向くと、そこには石でできた舞台のような台があった。
黒光りする台の両脇には円柱の柱がある。そこに青い炎が揺れるランタンが一つずつ下がっており、闇の中、そこだけが少し怖い雰囲気だった。
そして、一番驚いたのは、そこに人らしき影があったことだ。
闇に溶けるような黒のローブを着た人が、王冠を持ってこちらを向いている。
「サリューン……、あの方は?」
「あれは神殿に仕える者だ。まぁ、精霊のような者か」
「精霊?」
黒く長いベールが顔を覆っていて表情は見えない。なんとなく視線が合ったと思ったら深く腰を落として挨拶された。
「中央へ」
「あ、はい!」
アメリアは少し緊張しながら円柱の真ん中に立つと、サリューンが精霊から王冠を受け取る。それは今までで一番豪奢なように思えた。銀でできており、黒曜石とダイヤモンドでびっしり埋め尽くされている。側面から後ろに掛けて、バラの蔦をあしらった模様が複雑に絡まり立ち上がっている。
不思議に思ったのは、その両脇にかんざしのように長い棒が伸びていることだった。その先端から色々な宝石が連なって長く落ちている。頭の上に乗せても膝裏まで届きそうなほどの長さだろう。
「アメリア・セルフィス・イグレット。我が名の元に汝に死を与えん。新たなる生は冥府と共にあり、永劫の安寧と安らぎの導き手とならんことを願う」
(私……、これで一度死んだってことになるのかしら……)
サリューンの言葉を黙って聞きながらアメリアは考える。一度死に、神としてまた生まれる、そういうことなのだろうか。
「メル、跪け」
指示されてゆっくりと膝を突くと、サリューンがそっとアメリアの頭の上に王冠を置いた。その瞬間、ふわりとアメリアの周囲に風が巻き起こる。その風が身体の中に入り込み、足先から頭へと爽やかに通り抜けたように感じた。
ずしりと重い王冠を乗せて、驚いた目をサリューンに向ける。
「これでメルは、本当に俺の妻だ」
嬉しそうに笑って言ったサリューンに、アメリアは満面の笑みで頷いた。
◇◇◇
聖婚式は神域と神殿、両方で行われる儀式ということで、アメリアはその格好のままで神域を出た。
「おお! これはまた素晴らしい衣装だな」
「教皇様」
出迎えてくれた教皇は驚きながらも嬉しそうに言う。アメリアは王冠がずれないように頭を揺らさずどうにか歩み寄る。
「皆もう集まっているよ」
「国王陛下もいらっしゃってるんですか?」
「あぁ。今回は王侯貴族の他に、街の者たちも詰め掛けているからね。相当な数が集まっている」
「まぁ、そうなのですか?」
教皇に手を取られて慎重に歩く。神域よりもずっと重い気がして、思うように足が前に出ない。
「まさか私の代で聖婚式を行えるなど、夢にも思わなかったよ」
「珍しいことなのですか?」
「もちろん。今回慌てて調べてみたが、歴史上他の神殿で数度しか行われていないからね。どうやらこの神殿では初めてのことのようだし」
アメリアはその言葉に嬉しくなってついにやけてしまう。ゲルトルーデが夢の中で言っていたことは、きっと真実なのだろうと思えた。
祈りの間に到着すると、先に教皇が中へ入った。扉の向こうから儀式の始まりの鐘が鳴り響くのが聞こえる。
控えの間で聖言をおさらいしながら、出番を待つ。
(やっぱり緊張するわね……)
聖婚式はサリューンの言い様では結婚式のようなものということだったが、人の世界にサリューンが来られない以上、式には一人で出なくてはいけない。
そうなると普通の結婚式と思うことはやはり無理がある。聖言や歌を間違えないようにという緊張も相俟って、どうにも仕事のように感じてしまう。
そうこうしている内に女官が呼びに来た。
「出番ね」
気合いを入れて立ち上がったアメリアは力強く一歩を踏み出した。
祈りの間は即位式と同じように立錐の余地がないほど人で埋め尽くされていた。そして開け放たれた扉の向こうにも人垣ができていて、一目でも儀式を見ようと詰め掛けた者たちがひしめいていた。
アメリアが壇上に現れると、わっと歓声が上がる。厳粛な空気とはまた違う雰囲気にアメリアは驚きながら中央へ立つ。
大きく息を吸い込んで、長い聖言を唱えだす。
一人ひとりの顔を見ながら続けていると、最前列にいる国王陛下の後ろに家族の姿を見つけた。両親も姉も弟も皆笑顔で自分を見つめている。アメリアも口の端を上げて笑みを返し胸に手を当てる。
高いアメリアの声が祈りの間に響き渡る。まもなく聖言が終わる。間違えずに最後まで行けそうだと内心で安堵していると、会場が突然ざわめいた。
なにがと思う矢先、隣に気配を感じた。驚いて横を向くと、そこにサリューンが現れる。
(サリューン!!)
陽炎のように薄い姿だったが、しっかりと見えている。ざわついているということはここにいるすべての者が見えているのだろう。
アメリアは驚きながらも聖言を続ける。その声にサリューンの低い声が合わさった。
なんだか泣いてしまいそうで眉を歪めると、そっと右手を握られる。その手の温かさに微笑むと、サリューンも微笑む。
聖言が終わり、小さく名前を呼ばれ横を向くと、サリューンが両手で頬を包み込んだ。
ゆっくりと近付く顔に、アメリアはそっと目を閉じる。
そうして誓いのキスが交わされると、祈りの間は割れんばかりの拍手と歓声で満たされた。
最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました!




