29話 本当の姿
手当てが終わり着替えを済ませたアメリアは、神域のベールをくぐった。
そうしていつもの美しい景色を眺めながらゆっくりと歩く。小鳥の囀りを聞きながら進むと、石の椅子の前にサリューンが立っていた。
「サリューン」
「メル」
名前を呼ぶと落ち込んだ顔をこちらに向ける。笑顔を向けるとサリューンは走り寄ってきた。そうしてそのまま抱き締められる。
「すまない……、助けられなかった」
背の高いサリューンの腕にすっぽりとくるまれて、アメリアはどう言おうか考える。
「神託で警告はしていたが、メルまで巻き込まれるとは思わなかった。本当にすまない……」
サリューンの言葉にアメリアは顔を上げると、少し胸を押して距離を取る。
「聞きたいことがいくつかあります」
「なんだ?」
「ご神託のことです。以前お話した時はご神託には個人的なことは書けないと言っていましたよね。でも陛下は今回のことを分かっていらっしゃるようでした」
「ああ、そうか。ならば内容をしっかり理解していたのだな」
サリューンはそう言いながらアメリアの包帯の巻かれた首を心配そうに見つめる。
「少し前から国の根幹を揺るがすなにかが起こることは分かっていた。国王には王座を守れと神託で伝えた」
「それは個人的なことではないのですか?」
「国王は国そのものだ。国王の言動ひとつで国の行く末は大きく変わってしまう。それゆえ国王を守ることが国を守ることになるのなら、神託を与えその身を守る」
サリューンの言い回しに引っ掛かりを感じアメリアは首を傾げる。
「それって……、国王を守ることが国を守ることにならないこともあるということですか?」
じっとサリューンの顔を見上げて問うと、サリューンは視線を合わせ静かに頷く。
「我は国を守るために存在する者。国の平和を乱す者が国王であるのならば、守る必要はない」
「陛下は……、それに足る方だと?」
「……今はな」
低い声にアメリアは少しだけサリューンの存在が怖くなった。やはり目の前にいるのは神であり、人ではないのだと感じる。
それでもその気持ちはほんの微かで、すぐに恐怖は消えてなくなった。
「そういえば、私、ご神託を読んでしまったんです」
「ああ、別に構わん。お前にはその権利があるからな」
「でも、最初はいたずら書きのようにしか見えなかったんです。でも次に見た時はちゃんと文字になっていました」
見てもいいと言われて少しホッとしながら続ける。
「それはそうだろう。あれは触れねばお前だとて読めはせん」
「触れる?」
サリューンの言葉にアメリアはその時のことを思い出して「あっ」と声を出した。
確かに文字が読めたのは神託を拾った時だ。
「我と契約をした者だけが神託を読むことができる。国王は王位継承の儀式と共に。メルは婚姻の儀式だな」
「そうだったの……」
あの時のことを思い出していると、サリューンは今度はアメリアの左手をそっと持ち上げた。
「神子が危険な立場だということを失念していた。今度はもっとしっかりと守護の魔法をかけておこう」
「魔法……。指輪が光ったのは魔法だったのですか?」
「簡単な守りの魔法だ。子供だまし程度の目くらましだな」
「いいえ、とても役に立ちました。あの魔法がなかったら窮地を脱することはできなかったと思います」
アメリアの言葉にサリューンは眉を下げて首を振る。
「我の魔法は人の世界では使えぬ。こうして何かに封じ込めた小さな魔法は使うことはできるが、直接お前を助けることはできない。なんの役にも立たない力だ」
「そんなことはありません。サリューンはちゃんと私を助けに来てくれたじゃありませんか」
にこりと笑って顔を見上げる。首を傾げるサリューンの目を真っ直ぐ見つめて続ける。
「あなたは私の特技を忘れずにいて、ちゃんと受け止めてくれた。それだけで十分」
「メル……」
「ずっとそばにいてくれてありがとう。あなたがいてくれたから、頑張れたんだと思う」
心を込めてそう言うと、サリューンは大きく息を吐いて目を閉じた。そうしてアメリアが見上げる先で、みるみるその姿が変わっていく。
年輪のようだった顔の皺が無くなり、張りのある肌に変わる。長い黒髪が肩までの短さになると落ち着いた印象はがらりと変わり、快活な青年へと変貌する。
それはリオンよりほんの少し年齢を足した姿で、アメリアは驚きながらも微笑んで手を伸ばした。
頬に手をそっと触れると、サリューンが目を開ける。
「それがあなたの本当の姿ね、リオン」
「隠しててごめん」
今までの皺枯れた声ではない若い声はリオンそのものだった。
「いつ分かった?」
「リオンが“飛べ”って言った時。私の特技を知っているのはサリューンだけよ。ここの木に登ったことも、リオンは知らないはずでしょ?」
「そうか……」
「でもね、最初から少し疑ってたの。私のこと、“メル”って呼んだ時から」
「そんなに変な呼び名か?」
首を捻るサリューンにアメリアはふふっと笑う。
涼やかな目元に黒い瞳が輝いている。艶のある黒髪が柔らかく風に揺れる。高い身長にすんなりとした手足が伸びて、どんな貴族の青年よりもアメリアには美しく見えた。
「あなたのことなんて呼べばいい? リオン? サリューン?」
「サリューンでいい。リオンは人としての名前だから」
「分かった。じゃあ、サリューン。なぜ人として神殿で働いているの?」
「……昔からよく人の世界に遊びに行っていたんだよ。それでまぁ、あっちも面白いし、働くのも楽しくて」
言葉を濁したような答えにアメリアは「ふぅん」と頷くだけにすると、また違う質問をする。こちらの方がどちらかというと聞きたかったことだ。
「なぜ老人の姿をしていたの?」
「それはゲルトルーデに合わせていたんだ。年老いていく彼女に若いままで接するのはどうかと思って」
「でも、それなら私と会う時は元の姿でも良かったんじゃない?」
「そ、それは……」
あからさまに視線を泳がせたサリューンに、視線を遮るように顔を近付ける。たじろぐサリューンにアメリアはじっと見つめて答えを待つ。
「……この姿が気に入ってもらえるかどうか分からなかったから……」
まったく予想していなかった答えが返ってきて、アメリアは思わず噴き出しそうになって口元を指で押さえた。
「笑うことないだろ……」
「ごめん。だってそんなの気にすること?」
笑うのを堪えてそう言ってみるが、サリューンは子供のように口をへの字に曲げてしまう。本当に以前から思っていたが、サリューンは神なのに、自分に自信がないように見える。
そんなところがなんだかとても人のようで、微笑ましかった。
「大丈夫。とっても素敵よ。私の知っている男性の中で、一番素敵」
「ほ、本当か?」
「うん、本当」
「……マティアスよりもか?」
疑うような眼差しでおずおずと聞かれ、アメリアはもう我慢できず笑ってしまった。
「メル!!」
「ごめんごめん! うん! マティアスよりずっと素敵よ!」
本当に心の底からそう思えたから素直に言うと、サリューンは嬉しそうに笑ってアメリアを抱き締めた。
アメリアはサリューンの背中に手を回すとギュッと力をこめる。サリューンが髪を撫でるように手を添えて、そういえばとアメリアは思い出した。
「そうだわ。サリューンに貰った髪飾りが今回とても役に立ったのよ。あれも分かっていたの?」
サリューンに抱き締められたまま顔だけ上げて聞いてみると、サリューンは驚いた顔をして首を小さく振る。
「いや。これはメルに似合うと思ってプレゼントしただけだ」
「これがなかったら、私きっとなにもできなかったわ。ありがとう、サリューン」
「少し歪んでしまっているな」
「いいの。このままで」
アメリアがそう答えると、サリューンは「そうか」と小さく頷き、もう一度強くアメリアを抱き締めた。




