26話 助け
あまりの高さによろけそうになって、慌てて壁に手をつく。
見渡す景色にそこが王宮の中だということはすぐに分かった。王宮は山の斜面を上手く使って作られており、かなりの高低差がある造りだが、アメリアが閉じ込められていた部屋は、その中でも一番高い位置にあるようだった。
(ここは火事のあった西側だわ……)
数年前、西側の調理場で火事があり、今も広く閉鎖されている場所があると教皇に教わった。先代の国王はそこを放置していたが、現国王はそろそろ修復工事に着手したい考えらしい。
よく見れば壁も少し煤けた様子だ。
(だから誰もいないのね)
人気がないのも頷ける。見下ろした先の遠い地上にも、近衛の一人も見当たらない。
外に出れば誰かに見つけてもらえると思っていたが、当てが外れた。
足元から吹き上げてくる強い風にごくりと唾を飲み込む。高いところが得意といっても、落ちれば死ぬ高さではさすがに足が竦む。
「行かなきゃ……」
助けを待っていてもどうにもならないと覚悟を決めると、足場がないかを探す。
高低差のある王宮の造りは屋根が折り重なるようにあって、アメリアのいる場所からも屋根伝いに降りていけばどうにか地上まで行けるのではないかと思えた。
飛び降りるだけなら少し無茶をしてもどうにかなるはずだと自分に言い聞かせ、ゆっくり壁から手を離し、真下に見える屋根へと飛び降りた。
斜度のある屋根へ着地すると、身体がバランスを崩し慌てて膝をつく。
「大丈夫……大丈夫……」
胸がドキドキして息が上がる。それでもまた下を見て足場になりそうな屋根を探す。
三回ほど屋根を下りたところで下を見ると、だいぶ地面に近くなったように感じた。それでもまだそのまま飛び降りてしまうには遠すぎて、また足場を探したがもう丁度いい高さの屋根は見当たらなかった。
「嘘でしょ……」
回り込めばあるかもと屋根の上を歩いて四方を見下ろしてみるが何もない。
ここまできて手詰まりになるなんてと焦る気持ちで地面を見下ろす。近くに高い木でもあればいいが、都合よくそんなものは見当たらない。
こうなれば自分の運と身軽さを信じて飛び降りてしまおうかと考え始める。
(どうしよう……)
地面まではどう見積もっても三階ほどの高さはある。上手く着地できて骨折、下手をすれば死んでしまうかもしれない。
踏ん切りがつかないまま時間が流れる。
こんなところでまごついている場合じゃないのにと、自分の弱さに唇を噛み締める。
(サリューン、力を貸して)
ポケットの中に手を入れて髪飾りを握り締める。いつかサリューンの魔法で木からふわりと降りたことがあった。あんな風に今できたらどんなにいいか。
けれど、ここにサリューンはいない。誰も、助けはいない。
「自分でなんとかするんでしょ」
これは自分が蒔いた種だ。このままここで諦めるわけにはいかない。
自分の中の勇気を振り絞る。ゆっくりと屋根の縁へ足を進め、ぎりぎりに立った。
奥歯を噛み締め、両手を握り締める。
着地点を睨み付け、飛び降りようとした瞬間、遠く名前を呼ばれた。
「メル!!」
一瞬、空耳かと思った。前のめりだった姿勢を戻し首を巡らせる。
「メル!!」
今度ははっきりと聞こえた。遠く下から聞こえる。慌てて屋根の下を探すと、こちらに全速力で駆け寄ってくるリオンの姿があった。
「リオン!!」
声の限りで名前を呼ぶ。嬉しくて涙が溢れた。
真下まで近付いたリオンは、足を止めてこちらを見上げてくる。
「メル!! 大丈夫か!?」
「リオン!! 来てくれたのね!!」
「そこで待ってろ!! すぐに助けに行く!!」
「いいえ!! 聞いてリオン!!」
ここでリオンの救出を待っていては間に合わないかもしれない。足場を探しにだろう、その場を離れようとするリオンを呼び止めてアメリアは続ける。
「国王陛下が危険かもしれないの!! 助けに行かなくちゃ!! 私のことはいいからリオンは行って!!」
「お前のことを放って行けるわけないだろ!!」
「リオン!! 一刻を争うのよ!!」
気ばかり焦って怒鳴るように叫ぶと、リオンは一瞬考えて、それから両手を広げた。
「じゃあ、飛び降りろ! メル!!」
「え!?」
「お前も助けて、国王も助ける。それならいいだろ。飛び降りろ、絶対受け止めてやるから!!」
「でも……」
それ以上言葉が続かず、まっすぐに見上げてくるリオンの目を見つめる。
恐怖で足が動かない。
「高いところ得意なんだろ!? こんなの、あの木よりよっぽど低い!! 大丈夫、お前ならやれる!!」
その言葉にハッとしたアメリアは、リオンの顔を見つめるとそれまで強張っていた手足から緊張が緩むのが分かった。
「そう、そうよね……。私、高いところが得意なの。身軽なのが、私の特技なの……」
笑顔でそう呟くと、聞こえなかったのかリオンが首を傾げる。
「絶対受け止めてね!!」
「おう!!」
明るい声でそう言うと、覚悟は決まった。
大きく息を吐くと、唇を引き結び屋根の外へ向かって跳躍する。
まっすぐにリオンだけを見つめて。
「メル!!」
「リオン!!」
両手を広げるリオンの胸に飛び込む。強い衝撃にギュッと目を閉じた。
少ししてそろりと目を開けると、リオンの顔が間近にあった。地面に転がったまま、しっかり抱き締められている。
「いってぇ……」
リオンが眉間に皺を寄せて声を漏らす。アメリアは自分がどこも痛むところがないことを確認すると、そっと指先をリオンの頬に触れた。
「大丈夫? リオン」
「俺は大丈夫だ。メルは?」
「私も大丈夫。ありがとう、ちゃんと受け止めてくれて」
アメリアがゆっくりと起き上がると、リオンは自分の頭をさすりながら起き上がる。
「怪我は」
リオンは顔を顰めて言葉を止めると、アメリアの首筋に手を伸ばした。
「切られたのか? 顔も、殴られた痕がある」
「これは」
慌ててリオンの手を握ると逆に手を取られた。血塗れの右手を両手でそっと包み込む。
「だ、大丈夫! こんなのかすり傷よ! 全然痛くないんだから!」
下を向いてしまったリオンに慌ててアメリアが明るい声を出すと、突然抱き締められた。
「ごめん……。もっと早く助けに行ってれば、こんな酷いことにならなかったのに……」
リオンは震える声でそう言い、強く抱き締める。
アメリアはその背中をゆっくりと撫でて言った。
「平気よ、こんなことくらい。ちゃんと助けに来てくれたじゃない。それで十分よ」
「メル……」
ポンポンと優しく背中を叩くと、力が緩み顔を上げる。しょんぼりとしたリオンの顔を見上げてアメリアは微笑んだ。
「さ、ここでゆっくりしていられないわ。行きましょ」
立ち上がろうとするアメリアの手を引いたリオンは、ポケットからハンカチを取り出すと怪我をした右手に巻き付ける。
「ありがと、リオン」
「本当に大丈夫か?」
「うん」
心配そうに顔を覗き込んでくるリオンに、アメリアは笑顔で頷く。
「さあ、行きましょ」
「ああ」
裸足のままで走りだしたアメリアの後ろをリオンが付いてくる。一人ではないその心強さにアメリアは笑みを浮かべる。
「あ! メルのもう一つの特技見つけた!」
「なに!?」
「足がすげぇ速い!」
全速力で走る背後でリオンが言う。その言葉にアメリアは深刻な状況を一瞬忘れて、思わず笑ってしまった。




