25話 脱出
自分の泣き声ががらんとした部屋に響く。こんな風に声を上げて泣くことなど子供の頃以来だと思い出すと、少しだけ冷静さが戻ってきた。
うつ伏せていた顔を持ち上げて前を見る。縛られていては涙を拭うこともできない。
(泣いてる場合じゃないわ……)
アルバーンは何かをするつもりだ。すべてがあっという間に終わると言っていた。なんだかとても嫌な予感がする。
神託を奪った理由を考えていると、ふと床に落ちたままになっていた神託に目が行った。アメリアは膝で歩き神託を覗き込む。そこにはさきほど見たままの記号の羅列があるだけだ。
(これを陛下はいつも読んでいたのかしら……)
国王はいつもアメリアの目の前で神託を読んでいた。その時、暗号を解読しているようには見えなかった。なにせ本当に子供の落書きのようなのだ。こんなものは暗号にはならない気がする。
しばらく神託を見つめていたが、埒が明かないと顔を上げる。とにかくここから出て誰かにこのことを知らせなくてはならない。
「誰か!! 誰かいませんか!!」
大きく息を吸い込んで力の限り叫んでみる。けれど扉の向こうは静かなままだ。足音一つ聞こえない。
アルバーンがここには誰も来ないと言っていた。人払いさせているのか、ここがもともと人気がない場所なのか。
(ここは、王宮の中なのかしら……)
華やかな王宮の中にこんな薄暗い場所があるとは思えない。どこかに連れてこられたのだろうか。アメリアは唯一外が見える明かり取りの窓を見上げる。
(落ち着いて。焦っちゃだめ……。とにかくまず手をどうにかしなくちゃ……)
後ろ手に縛られたままでは何もできない。アメリアは部屋中を見渡してみるが、使えそうなものなど何もない。あるものと言えば、壁のレンガがあちこち欠けて落ちたがれきだけだ。
それでもアメリアは諦めずどうにか立ち上がると壁に寄る。欠けたレンガに手を縛る縄を擦り付けてみた。
目では確認できないため、どうにか背中を動かしたり手首を捻ったりして何度も何度も擦り付ける。
(ああ、もう、こんなんじゃいつになっても切れないわ)
そう思うけれど止めるわけにはいかないと続けていると、足元でカチャンと音がした。アメリアが下を向くと、そこにはサリューンにプレゼントされた銀の髪飾りが落ちている。
「これ……」
髪に差し込む棒状の髪飾り。これならどうにかなるのではないだろうか。
アメリアは慌てて座ると髪飾りを拾い縄に差し込む。隙間に上手く入ると力の限り引っ張った。切れなくても緩めるくらいはできるかもしれない。
「んん!!」
手首も同時に縄から抜けるように引っ張る。肩も手首も、飾りを持つ手のひらも全部痛かったけれど、渾身の力を込めた。
「お願い! 抜けて!!」
そう声に出した瞬間、ずるりと手首が抜けた。ばらりと縄が床に落ちてアメリアは肩で息をしたままその場にへたり込む。
「ぬ、抜けた……」
持っていた髪飾りを見下ろして呟く。こんなところでサリューンのプレゼントが役に立つなんて思わなかった。
(サリューン、ありがとう……)
心で感謝すると、よろりと立ち上がる。ここで休んでいる暇はない。歩きながら髪飾りをポケットにしまう。もう髪は乱れてぼろぼろになっていた。
とりあえず扉を開けようと押してみたが、もちろんびくともしない。鍵が掛かっている以上ここから出ることはまず無理だろう。
(そうなると、あとはあそこだけよね……)
アメリアは明かり取りの窓を見上げる。細長い窓にはガラスが嵌っているが、アメリアなら通れるほどの幅がある。割って外に出ればどうにかなるかもしれない。
窓の真下に行って見上げてみるが、手を伸ばしたところでまったく届く距離ではない。
「どうしよう……」
何もないのは分かっているがまた部屋中に視線を巡らせてしまう。足場になるようなものはない。溜め息をついてまた窓を見上げる。その視界の中に、古い燭台が入った。
手の届く場所にはない。ただ高く飛び上がれば掴めるかもしれない。
「さすがにあれは……、無理よね……」
ただその場で飛んだくらいでは指先にも届かない距離だ。それでもあの場所以外逃げ場はない。
さきほどまで自分の手首を縛っていた縄を投げかけてみるが、微妙に長さが足りず燭台に届かない。
(考えて……、考えるのよ……)
壁に手を付いて考える。そこにレンガが欠けた場所があってアメリアはハッとした。見上げた先にも何ヶ所か欠けた場所はある。
「行けるかも……」
小さく頷き、よしっと気合いを入れると靴を脱ぐ。そのまま靴下も脱ぎ裸足になると、マントを外しローブの裾を縛った。
神託を拾い上げ落とさないようにと懐にしまおうとして、ふと気付いた。記号が文字に変わっている。
「ええ!?」
驚いて羊皮紙を両手で広げる。そこには『剣を携えよ』と一言書かれていた。
「嘘……」
アメリアは目を丸くして文字を見つめる。けれどその内容にハッとした。
「剣を携えよって……、まさか……」
最も悪い状況が頭に浮かび顔を険しくする。これは一刻の猶予もないのかもしれない。
慌てて神託を懐にしまうと、もう一度しっかり壁を睨み付ける。
「できる……、私はできる……」
自分に言い聞かせるように呟くと、ゆっくりと後ろへ下がる。反対側の壁まで来ると大きく息を吐いた。
そして走り出す。壁に向かって。
前へ跳躍して左足の爪先が壁の崩れた場所を踏み込む。今度は上へ向かって全力で飛ぶと、右手で燭台を掴んだ。腕一本で身体を持ち上げながら、右足で壁を蹴り上げる。
ぐらりと後ろへ姿勢が流れたが諦めなかった。左手を伸ばして窓枠が嵌るレンガに手を掛ける。右手もそこへ掛けると、うまく壁のへこみに爪先が引っ掛かり全力で身体を持ち上げた。
「で……できた……」
窓枠の嵌っている狭い出っ張り部分に縮こまって座ったアメリアは、肩で息をしながら呟いた。
まだ胸がドキドキしている。ちらりと見下ろすと床までは相当の高さがあって、自分が本当にここを飛び上がったのかまだ少し信じられない。
(身軽なのが役に立ったじゃない……)
婚約破棄されてからというのも、あまりこの特技が好きではなくなっていた。けれどこれで少しはまた自分の特技が好きになれそうな気がする。
アメリアは微笑み、自分が落ち着いたのを確認すると、ポケットから髪飾りを取り出す。そして勢いよくガラスを叩いた。
ガチャンと激しい音を立ててガラスが外へ向かって落ちていく。残ったガラスも何度か叩いて割ってしまう。破片で切ったらしく、右手の甲から血が溢れたが気にしている暇はなかった。
窓枠をくぐって外へ出ると、強い風に煽られて髪が顔に掛かってしまう。
髪を払いのけたアメリアは、周囲を見渡しそこが恐ろしく高い屋根の上であることに息を飲んだ。




