24話 幽閉
頬に冷たい感触を感じてアメリアは目蓋を押し上げた。ぼんやりとしたまま腹部から痛みを感じ、手で触れようとするが動かない。そこでハッと意識が戻って目をしっかりと開いた。
(どこ……、ここ……)
アメリアは冷たい床にうつ伏せに寝ていた。後ろで手を縛られていたのでどうにか身体を捻って起き上がる。
周囲を見渡すとそこは円形の小さな部屋だった。鉄製の扉が一つと、かなり高い位置に明かり取りの窓がある。この部屋はそれですべてだった。壁には昔使っていたのだろう古い燭台があるが、ろうそくはなく薄暗い室内はひんやりとしていた。
(私……、捕らえられたんだわ……)
やっと頭が働いてきてさきほど起こったことを思い出す。マティアスの顔が浮かんでアメリアは奥歯を噛み締めた。
(全部……、全部このためだったんだわ……。いまさら私に近付いたのも、優しい態度も……)
そんなこととは露知らず、自分は愚かにもマティアスの心に揺さぶられて、好きかもしれないと悩んでいたのだ。
滑稽過ぎて笑ってしまう。踊らされた自分に腹が立つ。
(それにしてもご神託を奪ってなにをするつもりなのかしら……)
神託は国王のみに拝読が許されたものだが、それを読んだところでなにがあるのだろうか。
(サリューンは占いみたいなものだって言っていたけど……)
マティアスの狙いが何なのかを考えていると、扉の外でガチャンと鍵の外れる音がした。すぐに扉が開き中に入ってきた人物に目を見開いた。
「アルバーン公爵様……」
「もう目が覚めていたのか」
アルバーンはそう言い近付いてくる。後ろからはマティアスも入ってきた。アメリアは縛られたままの両手を強く握り締めて二人を睨みつける。
「ご神託を返して下さい」
「ああ、このことか」
頷いたアルバーンはマティアスが持っていた黒い筒を取り蓋を開ける。そして中の羊皮紙を取り出した。
「読んだのですか!?」
「ああ、読んだとも。これをな」
床に羊皮紙を落とすので、アメリアはついその紙面を見てしまう。そこには丸や三角の記号だけがあって、文字の一つもなかった。
「なに、これ……」
「これは暗号かなにかなのか?」
アルバーンには返事をせずアメリアは考える。
確かに神託を書くサリューンの手は文字ではなく、何か記号のようなものを宙に描いていた。それがまさかそのまま記載されているなど、思いもよらなかった。
「お前は神託の中身を見たことがないのだったな」
マティアスに以前話してしまったことを思い出してアメリアは唇を噛む。あの会話はすべて情報を聞き出すためのものだったのだ。
何も言わず黙ったままアルバーンを睨み付けていると、ふいに頬を打たれた。
痛みに顔を歪める。
「反抗的な態度は改めた方がいいぞ。ここからはこんなものでは済まないからな」
「……私は、なにも知りません」
「内容を知っているのではないか? 暗号ならば解き方を知っているだろう」
「知りません」
実際、本当に知らないのだから答えようがない。知っていたとしてもこんなことで口を割るつもりは毛頭なかった。
冷酷な眼差しを見つめ返したまま、数秒沈黙が落ちる。
「ならば質問を変えよう。この内容ではなく、これまで書かれてきた内容で知り得るものはないか」
アルバーンの言葉に、サリューンとの会話を思い出す。その一瞬でアルバーンはフッと口の端を上げて笑った。
「なにか知っているな」
「知りません……」
動揺して視線を逸らせてしまうと、内心で自分は今、表情を変えてしまったのだろうかと訝しむ。
「素直に話した方がいい。アメリア」
マティアスがそう言って膝を折ると、アメリアの肩に手を置き顔を近付ける。
「やめて!! 私に触らないで!!」
「アメリア、これ以上怖い思いなんてしたくないだろう?」
「ふざけないで!! 私は怖くもなんともないわ!!」
声を限りにそう叫ぶが、二人の表情はまったく変わらない。
「大きな声を上げれば誰かが気付くと思ったか? ここには誰もおらんよ。近付く者もそうそういない。喚くだけ喚けばいい。だが、まあ時間はないからな」
そうアルバーンは言うと、腰に下げていた剣を引き抜き、切っ先をアメリアののど元に突き付けた。
よく研がれた銀色の刃が触れそうになって、思わず息を飲む。
「さっさと知っていることを話した方がいい。私の手が疲れてお前の顔を傷つけてしまう前にな」
アメリアは恐怖に震えながら、それでも決して話しはしないと勇気を振り絞る。
「……それを知ってどうするつもりです」
「お前にそれを話しても仕方あるまい」
「あなたは国王陛下の叔父で、王位継承権を持つ国の重要な方です。こんなことは絶対に許されることではありません。陛下に対する反逆行為です」
心をどうにか落ち着けてマティアスにも言った言葉をぶつけてみると、アルバーンはまた不敵に笑った。
「なるほど、ただの小娘にしては肝が据わっているな。お前は自分が傷つくのを怖れることのない、強い心を持っているのだな」
アルバーンに指示を出され、マティアスがアメリアの肩を強く掴んで動かないようにする。すると剣がのどに微かに触れてピリッと痛みが走った。
「私を殺してもなんの意味もないわ。そうよ。私はただの小娘だもの。ただ偶然、神の妻に選ばれただけ。魔法も力もなにもない。だから、こんなことは無意味だわ」
はっきりと告げた言葉にアルバーンは小さく溜め息を吐く。そうして剣を引くと鞘に納めた。
「お前の頑固な意思には頭が下がるな。ならばそれでもいい。だがお前のその無意味な反抗で、家族が恐ろしい目に合ってもいいのか?」
「な……」
「イグレット伯も夫人も、弟もいたか。今は屋敷でのんびりと過ごしているだろうな」
アルバーンの言葉にアメリアは怒りで身体がわなわなと震えた。
「卑怯よ!! 家族は関係ないわ!!」
「それは私が決めることだよ、アメリア。お前さえ素直になってくれれば、イグレット家は今日も平和なままだ。さあ、どうする?」
(なんて……卑劣な人なの……)
それまで気丈に振る舞ってきたアメリアだったが、ついに心が挫けた。涙が溢れて頬を滑り落ちる。
自分だけならここで死んでもいいと思えた。こんなに若く死ぬなんて思ってもみなかったけれど、これも神の妻としての役目なら仕方ないと覚悟できた。けれど家族は、家族だけはこんなことに巻き込むわけにはいかない。
死なせるわけにはいかないのだ。
「あなたは……最低な人間よ……」
「言う覚悟はできたかな」
「……ご神託は占いのような曖昧なものだそうです」
アメリアは泣きながらがくりと項垂れて小さく呟く。
「占い? 国王のことが書かれているのではないのか?」
「いいえ……。個人のことは書けないと言っていました」
「本当か? 嘘ではあるまいな」
ここで嘘をついてしまえば、もっと家族に危険が及ぶかもしれないと思うと、アメリアは素直に知っていることを話すしかなかった。
小さく頷き、嗚咽を漏らす。
「アメリア、他に知っていることはあるかい?」
「いいえ……」
弱く首を振ると、マティアスは手を放し立ち上がる。
「それだけで十分だ。すべて終わるまではここにいてもらう。なに、あっという間のことだ。しばしここで寛がれよ、神子様」
アルバーンはそう言葉を残し部屋を出て行く。マティアスも続くと扉を閉めた。ガチャンと鍵の閉まる音がして、アメリアは視線を上げ無機質な扉を見つめる。
誰もいなくなった部屋で、唇を痛いほど噛み締める。
卑劣な二人への怒りと、脅迫に負けた自分の弱さに、アメリアは突っ伏すと声を上げて泣いた。




