23話 陰謀
朝から神域に入ったアメリアは、サリューンが神託を書くのを見つめながら、ぼんやりと考える。
サリューンからゲルトルーデの話を聞いて、なんとなく気持ちが落ち着いたような気がする。
ずっと自分の感情に振り回されて焦っていたけれど、マティアスとのことは時間が解決してくれるような気がする。時が過ぎる内にこの胸のざわめきはきっと穏やかになるに違いない。マティアスも今はまだ突然のことに気持ちが追い付かないだけだ。
しっかり神子としての仕事をして、離れている時間が長くなれば、きっと今のこの気持ちは薄れていくだろう。そう思えた。
「メル、書けたぞ」
「はい。では陛下のところへ行ってきますね」
「ああ。気を付けて行けよ」
「はい」
いつものやりとりに微笑みながら答え、神託をしっかり胸に抱えると神域を出た。
今日はとても天気が良く、澄み渡った青空が広がっている。一度空を見上げ歩きだしたアメリアだったが、神殿の敷地から出る辺りで、追い掛けてきたリオンに呼び止められた。
「おーい! メル! 待ってくれ!」
「あら、リオン。どうしたの?」
振り向いてみればリオンが勢いよくこちらに向かって走ってくる。足を止めて待っていると、そばまで来たリオンは肩で息をしたまま話し出した。
「帰り、迎えに行くから」
「え?」
「ホントはこれから一緒にくっついて行きたいんだけど、ちょっとシモン様に用事頼まれちゃって行けないんだ。すぐに用事済ませてくるからさ、王宮の入口で待ってろよ」
「ええ? いいわよ、そんなこと」
これまでだって一人で帰ってこられたのだからそれは過保護だろうと断ると、リオンはムッとした顔をして首を振る。
「メルは危なっかしいから、しばらくは俺がそばにいてやるよ」
「危なっかしいって……、もしかしてマティアス様のこと?」
「そうじゃないけどさ……」
あからさまに視線を逸らしたリオンに、アメリアは笑ってしまう。
「分かったわ。王宮の扉の前で待ってればいいわね? でも時間厳守よ。私、待たされるのは嫌いよ」
「了解。すぐ行くから待ってろよ」
「うん。じゃあ、行ってくるね」
「おう!」
リオンに小さく手を振って歩きだしたアメリアは、振り返らずにくすりと笑う。
あれは疑っているというより心配している表情だった。その顔がなんだか面白くてつい笑ってしまう。
(みんな優しいわ……)
心がほわりと温かくなる。言葉の一つひとつ、小さな仕草も表情も、嬉しくて笑顔になる。
(この人たちの気持ちを裏切ることはしたくない……)
そう強く思うと、アメリアはしっかりと前を向いて歩いた。
◇◇◇
神殿の敷地を出てしばらくすると遠くに王宮の端が見えてくる。このあたりは庭の奥にあたり、まだ朝の早い時間だと人影はまったくない。
大きな噴水の横を通り、手入れされた花壇の横を歩き続けると、珍しく庭のベンチに腰掛けている男性がいた。
アメリアは慌ててフードを深く被ると、ベンチから遠ざかるように花壇に端に沿って歩く。そこに座っている男性は、自分と同じような暗いマントをして目深にフードを被っている。
誰かしらと不審に思いながらも早く通り過ぎてしまおうと足を速める。けれど横を通り過ぎようとした時、その男性が勢いよく立ち上がりアメリアに近付いてきた。
「アメリア」
「え? マティアス様!?」
聞き覚えのある声に驚き足を止めてしまう。その男性はよく見れば確かにマティアスで、アメリアは首を傾げた。
マティアスはいつもは華やかな色合いのマントを好んで着ている。そのためどこか質素にも見える暗い色のマントを着ているのが不思議だった。
「どう、されたのです?」
「アメリア、君に頼みがあって来たんだ」
「頼み?」
フードを被ったままのマティアスはアメリアに近付くと真剣な目を向けてくる。
「……その手にしているご神託を僕に渡してくれないか?」
「え?」
言われたことがすぐには分からなかった。けれどその目を見つめたままやっと頭が理解すると、アメリアは胸に抱えた筒をギュッと握り締める。
「だ、だめです……」
「お願いだ。今渡してくれれば、君を危険に晒さなくて済む」
「危険? なにを言ってらっしゃるの?」
マティアスが一歩近付く。アメリアは震える足を一歩引く。心臓が痛いほど早鐘を打っている。
「冗談を……おっしゃっているのですよね? これはご神託ですよ? マティアス様に渡せるわけがないじゃないですか」
引き攣りながらも笑ってそう言うが、マティアスは怖いほど真剣な目のままアメリアを見つめ続ける。
「これは、……これはご神託です! 私は、神子です!! 下がりなさい!!」
震える声で、それでも勇気を奮い立たせて声を上げる。奥歯を噛み締めようとするけれど、唇も震えてどうしようもなかった。
「アメリア、僕のことが好きなら言うことを聞くんだ。大丈夫、これが終われば僕が君を迎えに行ってあげよう。ね? 君が望んでいるのはそういうことだろう?」
「は? なにを言って……」
(私がマティアス様のことを好き? 迎えに来てほしい?)
混乱する頭で考えていると腹が立ってくる。それはいくらなんでも身勝手な言い分ではないだろうか。
「わ、私はそんなこと一言も言っていません」
「君が僕のことを好きなのは分かっているよ。だからそんなに恥ずかしがらなくてもいい。さあ、ご神託を渡すんだ」
手を差し出すマティアスに、アメリアの怒りが恐怖に勝った。その手を激しく払い除けて大声で叫ぶ。
「馬鹿にしないで下さい!! 私の気持ちは私のものです!! あなたが勝手に決めることではありません!!」
「アメリア?」
「どんな思惑でご神託を渡せと言われているのかは知りませんが、これは国王陛下のみが見ることを許されているものです。決してあなたが見ていいものではありません」
目を吊り上げて決然とそう言うと、マティアスはがっかりした様子で一歩下がった。その様子にやっと諦めてくれたかとホッとする。
けれどそうではなかった。マティアスがサッと右手を上げると、バラバラと周囲から人が現れる。
マティアスと同じような暗いマントを来た三人の男たちは走り寄ると、アメリアの両腕を掴んだ。
「な! なにをするんです!!」
「アメリア、素直に従っていればこんなことにはならなかったのに」
マティアスはそう言うと神託の入った筒を取り上げる。アメリアはどうにか逃げ出そうと身体を揺らすが、すぐに後ろ手にされた手首をロープで縛られてしまう。
「放しなさい!! こんなことが許されると思っているの!?」
「それこそ、君に許可されるものではないだろう? アメリア」
アメリアの顔を覗き込み、そう言うマティアスの顔は酷く残忍に見えた。冷たい視線に鳥肌を立て、それでもアメリアは叫ぶ。
「これは反逆行為です!! 決して許されません!!」
「小娘に言われる筋合いはない。神の妻? なにを馬鹿な。君はただの17歳の少女だ。僕と結婚することを夢見ていた、ただの幼い子供だろう?」
マティアスの言葉にアメリアは真っ赤になって唇を噛み締める。全部が図星だった。
反論もできず悔しくてただ睨み付けるしかできない。マティアスはその視線を受け止め、鼻で笑うと部下であろう男たちに視線を送る。
「やれ」
「連れて行くのですか」
「仕方あるまい」
小声で短くやりとりした途端、捕まえていた男がアメリアの腹部を殴った。
「な……に……」
痛みに耐えられず身体をくの字に曲げると、口を覆われる。朦朧とする意識の中で、身体全体を何かで覆われて暗くなのが分かった。
「リ……オン……」
苦しくて息ができない。助けを呼ばなくてはと思う先で、意識が沈んでいく。
(助けて……、リオン……サリューン……)
目を閉じると、二人の顔が重なるように浮かぶ。
そうして、意識は途切れた。




