22話 魔法使い
教皇からゲルトルーデの話を聞いた数日後、朝の挨拶に神域を訪れたアメリアは、ぼんやりと石の椅子に頬杖をついて座るサリューンに声を掛けた。
「おはようございます、サリューン」
「あ、お、おはよう、メル」
アメリアの声に驚いたサリューンがパッとこちらを見て挨拶を返す。その顔はどこかぎこちなく引き攣っていてアメリアは首を傾げる。
「どうしたのです?」
「なんでもない……。それより……、あー、もっとそばに来い」
「はい」
手招きされてサリューンの横に立つと、サリューンは持っていた何かをアメリアに押し付けた。
「な、なんですか?」
「いいから、持っておけ」
「え?」
無理矢理手に握らされたものを見下ろしてアメリアは驚く。それは銀の美しい髪飾りだった。小鳥と蔓のデザインで、小鳥の目には青い宝石が埋め込まれている。
「これは?」
「い、いつも、何も付けていないだろう? だから、その、こういうのがあった方がいいかと……」
しどろもどろな様子のサリューンをじっと見つめて思う。サリューンはいつも自分のことを考えてくれている。不器用ではあるが、優しく労わりを持って接してくれている。
そんな人がゲルトルーデとは、神子としてのお役目だけの関係だったのだろうか。
「ありがとうございます、サリューン。とっても素敵です、この髪飾り。今付けてみてもいいですか?」
「あ、ああ……」
少し頬を赤らめて頷くサリューンに微笑むと、アメリアは編み込んだ髪の上に髪飾りを差し込む。そうしてくるりとサリューンに背中を向けた。
「どうですか? 似合っていますか?」
「とても、似合っている……」
聞こえるか聞こえないかの小さな返事にふふっと笑いを漏らしてしまう。こういう時のサリューンは本当に不思議なほど若い印象だった。
くるりと前を向いたアメリアは櫛を取り出す。
「じゃあ今度は私がサリューンの髪を梳いてさしあげますね」
長い黒髪に櫛を通しながら静かになってしまったサリューンに、アメリアはゲルトルーデのことを聞いてみようと口を開いた。
「サリューン、先代の神子様のことをお聞きしてもよろしいですか?」
「ゲルトルーデの?」
「はい。この前、教皇様に少しだけ話を聞いたんです。150年も神子をしていたと」
「ああ、そうだな」
「ものすごく疑問なんですが、人って150年も生きられるのですか?」
そもそもそこが不思議だった。リュエナ王国で長生きと言えば70歳ほどのことだ。それ以上も稀にはいるが、数えるほどの人数だろう。
「ゲルトルーデはメルと同じほどの年で神子になったから、実際は170歳近いとは思うが、なにせあれは魔法使いだからな。長生きなのが普通だろう」
「魔法使い!?」
サリューンの耳元で大声を上げてしまい、驚いたサリューンがアメリアを見上げてくる。
「なんだ、そんなに驚くことか?」
「ま、魔法使いって本当にいるんですか!?」
興奮して質問をすると、サリューンは当たり前だと頷く。
「昔はいた。たくさんではなかったが、国に数人はいたんじゃないだろうか。だが時が経つ内にいなくなった。我の知る限りでは、この国の魔法使いはゲルトルーデただ一人だった」
「魔法使いって、サリューンが使う魔法を使えるってことですよね」
「まぁ似たようなことはできるな。万能ではないが、それなりの力はあった。特にゲルトルーデは強い魔力を持っていたから、神子に選ばれたんだ」
「え……、そうなのですか?」
「ああ。昔はまだ神子の存在は危険も多かったからな。力のある魔法使いが選ばれるのが普通だった」
「へえ……」
先代の神子はそんな正当な理由で選ばれたのかと思うと、やはり自分の理由が知りたくなる。けれど今聞いたところで答えてくれそうもない気がして、アメリアは聞くのを躊躇った。
「……魔法使いはもう今の世にはいないのですか?」
「どうであろうな。どこかにまだいるのかもしれないが、魔法使いは血筋で生まれるわけではないからな。昔はそれでも魔力を持って生まれた子供を、魔法使いが預かって育てたりもしていたが、世代が途切れれば受け継ぐ魔法も消えるのみだ」
「そうなのですか……」
なんだかそれも寂しい話だとアメリアは思った。物語によく出てくる魔法使いが今もいるのなら会ってみたいと純粋に思う。サリューンに出会ってこの世の不思議を目の当たりにしているからか、それまで子供の空想だと思っていたものが実際にいると言われても素直に信じられる。
「ゲルトルーデ様はどんな魔法使いだったのですか?」
「どんな……。真面目な性格だったな。国に忠誠を誓っていたから、神子の仕事も一心にこなしていた。当時はまだ国も安定していない時期だったが、懸命に役目を全うしていた」
(ゲルトルーデ様を愛していたのですか……、なんて聞けない!)
教皇に言われたからといってこんな難しい質問を簡単にできるわけがない。どうしようかとぐるぐる言葉を探していると、サリューンが続けた。
「長いこと一緒にいたが、結局最後まで我に心を開いてはくれなかったなぁ……」
独り言のような言葉にアメリアはふとサリューンの横顔を見ると、少し寂しげな表情で遠くを見つめている。
「打ち解けられなかったということですか?」
「うん……。ゲルトルーデは神子を仕事と考えていたからな。尊い役目だと誇りに思ってやってくれてはいたが、我を神と崇めるばかりで、親しくするという考えはなかったようだ」
「それは……、寂しいですね……」
サリューンの声や表情からそう望んでいたのだろうと窺い知れた。長い年月を掛けても最後までそれは叶わなかったのだろう。
「ご逝去された時のことをお聞きしても?」
「ああ。あれは突然だった。朝の挨拶のあと言われたんだ。今日でお会いするのは最後です、と」
「え……。突然、お亡くなりになったのではないのですか?」
驚いて手を止めると、サリューンの話を真剣に聞く。
「違う。ゲルトルーデはその日死ぬと自分で決めたらしい」
「そんな……」
「少しだけ話をしたが、もう役目は終わったと言っていた。引き継ぐ者が現れたからと」
「私……?」
自分のことがまさか出てくるとは思わず目を見開く。
「ゲルトルーデ様は私のことを知っていたのですか?」
「分からん。その時はメルの名前は出なかった。その後、ゲルトルーデは神殿で祈りを捧げ、そのまま息を引き取ったらしい」
アメリアは息を飲んで押し黙った。ゲルトルーデの死に自分が少なからず関わっていたことに驚きを隠せない。
「魔法使いは己の命を操る者もいる。それが寿命だったのか、自ら終わりにしたのかは分からないが、穏やかな最期であったことは本当だ」
静かなサリューンの言葉にアメリアはゲルトルーデを思った。祈りを捧げ、一人息を引き取るその時、何を思っただろうか。私の存在を知って少しは肩の荷が下りたと感じただろうか。それならば嬉しい。長い年月を一人生きてきた神子を少しでも救うことができたなら、この役目を継承したことを誇りに思う。
「……サリューンは、ゲルトルーデ様のことをどう思っていたのですか?」
自然に言葉は出ていた。穏やかな気持ちのままサリューンに訊ねると、下から見上げる瞳は深い優しさに満たされているようだった。
「あれは、かけがえのない友であった」
その言葉は真っ直ぐアメリアの心に届いた。それが嘘偽りのないサリューンの真の言葉だとしっかりと納得できた。




