21話 先代の神子
教皇の部屋へ向かう途中、朝からの出来事を反芻させていたアメリアは、ふとリオンについて自分が感じたことに疑問を覚えた。
(私……、リオンのことをどう思っているのかしら……)
マティアスのことでこれほど悩んでいるというのに、リオンにまで気持ちが向いているような気がして、なんだか自分が酷く浮気性な性分なんじゃないかと思えてきてしまう。
リオンの存在は確かに自分の中でとても大きくなっている。だがそれは教皇に感じるように、毎日一緒にいるから家族のように大切になってきているのだと思う。だからさっきは誤解を受けたくないと思ったのだろう。
(家族って思ってるわよね……)
なんだか自分の気持ちにまったく自信が持てない。
(もしかして私って、悪い女なのかしら……)
ふらふらと揺れる心は、自分でも制御できなくて嫌になってくる。結局マティアスとのこともうやむやになってしまって決着がつけられなかった。
いつになったら心穏やかな日々が手に入るのかまったく分からず、アメリアは深い溜め息をついた。
◇◇◇
「おはよう、アメリア。今日は少し遅かったね」
「あ、ご、ごめんなさい!」
「何かあったのかい?」
「いいえ、なにもありません」
教皇の部屋を訪れると、まずそう言われてしまい慌てて首を振った。教皇は少しの間じっとアメリアを見た後小さく頷き、本棚から一冊本を抜き取りアメリアに差し出した。
「今日は神子としての仕事を勉強しようか」
「神子の仕事ですか?」
「ああ。ご神託を運ぶことが最も大切な仕事だが、神子は他にもたくさん仕事がある。式典や儀式のことは以前に話したと思うが、これはもっと神殿の細々としたものだね」
分厚い本は表紙も痛んでおり、中はだいぶ色褪せて年代を感じる。
「もう少しの間勉強して、それから徐々に神殿での仕事をこなしていけるように頑張ろう」
「はい、分かりました」
アメリアはまだ勉強中の身ということで、神殿での仕事は大半を免除されている。リオンも言っていたが本来は毎日相当忙しいらしい。
(色々あるけど、やらなくてはならないことはちゃんとやろう)
感情はどうあれ、神子としての仕事はしっかりこなさなくてはと気合いを入れると、真剣な目を本に向けた。
「王族の中でも高位の方の葬儀は、神子が直接執り行う」
「私が、直接……」
「二年前、先代の国王陛下がご逝去あそばされた時のことを覚えているかい?」
「ええ、もちろん……。父が葬儀に参列しましたから。ではあの時……」
「そう。あの時は先代の神子様が、それは荘厳な葬儀をして下さいました」
教皇の言葉にアメリアは持っていた本を机に置いた。
「教皇様、先代の神子様ってどんな方だったのですか? 相当お年を召されていた方だったとか」
「ああ、そうか。アメリアには話していなかったね。先代はゲルトルーデ様と言ってね。年齢はちょっと分からないなぁ」
そう言った教皇は苦笑して肩を竦める。
「分からない? 分からないってどういうことですか?」
「言葉のままだよ。なにせ私がこの神殿に仕え始めた子供の頃から、もう年を取っておられたからね」
「ええ? それってどういう……」
教皇が子供の時にすでに老齢ならば一体何歳なのだろうか。アメリアが困惑していると教皇は笑って本を閉じ、窓に寄ると外を眺めた。
「アメリア、こちらにおいで」
「はい」
教皇に呼ばれ立ち上がると窓辺に寄る。教皇が指差す先を見ると、庭の中央に大きな石碑があった。
「あれが先代のお墓だ。やっと出来上がったのでね、その内そなたを案内しようと思っていたのだ」
「裏庭に……、建てられたのですか?」
見下ろす先は神殿の裏庭に当たる。美しい花壇はあるが、とても静かで少し寂しげな場所だ。
「先代の希望でね。目立つことがお嫌いな方だったから。いずれ死ぬ時はここにしてくれと頼まれていた」
その言葉だけで先代の神子・ゲルトルーデが、どういう性格か少しだけ推し量れる気がした。
「教皇様。私、お花を手向けに行ってはいけませんか?」
「そうだな。行ってみようか」
教皇は穏やかに頷くと二人で部屋を出た。途中、中庭で足を止めた教皇は白い小さな花を摘んだ。
「先代は白い花がお好きだった。中庭でこの花をずっと眺めていたのを思い出すよ」
「そうなんですか……」
小さな花が細い茎にたくさん咲いている。清楚なその花はバラのような華やかさはないけれど、可愛らしい印象でアメリアは笑みを浮かべた。
二人で花を摘み両手いっぱいに抱えると、裏庭まで足を進める。石碑の前に着くと、跪き祈りを捧げてから花を手向けた。
「ゲルトルーデ様は、サリューンを愛していたのでしょうか……」
石碑を見上げたアメリアはぽつりと呟く。
「どうだろう。人の心は分からないものだからね。だが、私はそういうものはなかったように感じていたよ」
「愛していなかったということですか?」
「難しいね……。彼女はとても事務的に仕事をこなしていたように思う。サリューン様のことを話すことは一度もなかったし、神域には用事がある時以外、入ることは決してなかった」
じっと石碑を見つめながら教皇の言葉を考える。
自分にはそれが耐えられるだろうか。ただ仕事としてこの役目を全うできるだろうか。
「さきほどは年齢が分からないと言ったけれどね、文献には載っているんだよ」
「文献?」
「歴代の教皇が書き記した、いわば日記のようなものだね」
教皇も石碑に目を向けたまま話し続ける。
「ゲルトルーデ様は150年ほど前の文献から名前が出てくるのだが」
「150年!?」
その年月に驚いたアメリアは思わず声を上げてしまう。教皇は声を上げて笑うと頷く。
「そう、驚くことに150年前からその名前は神子として存在している。それからずっと文献にゲルトルーデ様の名前はあって、私も最初は驚いたものだが、あの方を見ていたらそういうこともあるのかもしれないと思っていた」
「150年……」
「長い年月だね。どういう経緯で神子に選ばれたかは書いていなかったが、それでも彼女は誇りを持ってこの役目をこなしていたように思う。そうでなくては150年もの間、続けてはいけなかっただろう」
「辞めることは……できないんでしょうか……」
小さくこぼれた言葉にハッとして口を押える。
「ごめんなさい……」
「いや、いいんだよ。そういう迷いは誰にでもあるものだ。歴史上神子が途中で役目を降りたという記述はない。それはたぶん神殿の采配ではどうにもならないことなのだろうね」
アメリアは自分で言ってしまってから、すぐにそれが馬鹿げた考えだと思った。神との契約を違える者などこの世にいるはずがない。そんな怖ろしいことを言葉にするのだって憚られるだろう。
「だがね、アメリア。私はそれほど心配していないのだよ」
「どうしてですか?」
首を傾げると、教皇は優しそうに笑ってアメリアの左手をそっと掴み持ち上げる。
「ゲルトルーデ様とアメリアの嫁入りはだいぶ違う」
「え?」
「私は文献で書かれているものと同じように婚儀が行われると思っていた。だが、どうやら今回はかなり他の神子様方とは違う」
「どう違うのですか?」
「色々とね。だいぶ遡って調べたが、アメリアはたぶん異例中の異例かもしれない」
教皇の言葉の意味がよく分からずますます頭を捻る。教皇はアメリアの左手に輝く黒曜石をじっと見つめて微笑む。
「サリューン様にとって神子は人の世と神を繋ぐ者という定義だったのだろうが、そなたは違うのだろうな」
「教皇様はそれが分かっていらっしゃるのですか?」
さきほどからなんとなく言葉をはぐらかされているような気がして質問を変えてみると、教皇は頷いた。
「そうだね。なんとなく分かっているというくらいかな。気になるならサリューン様本人に聞いてみたらどうだい?」
「サリューンに?」
「ゲルトルーデ様とのことも、きっと答えてくれるんじゃないかな」
教皇は手を離すとにこりと笑う。確かに少し興味はある。先代の神子との関係がどんな風であったのか。それによって自分のスタンスも少しは安定するのではないだろうか。
「さて、散歩は終わりだ。戻って勉強を続けよう」
「はい、教皇様」
(あなたは幸せでしたか? ゲルトルーデ様……)
教皇に促され歩きだしたアメリアはちらりと石碑を振り返り、生前幸せであったのかをゲルトルーデに心の中で問い掛けたのだった。




