19話 手紙
マティアスともう一度会って話をしようと決めたアメリアだったが、よく考えてみたらその手段がないことに気付いた。自分から会いに行くことはできないし、マティアスが会いに来てくれるのを気長に待つしかない。
だがその間ずっとこの胸のもやもやを引きずるのかと思うと溜め息が漏れる。
暗い気持ちのままベールをくぐり3日ぶりに神域に入ると、清々しい風が頬を撫でてホッとした。空気を大きく胸に吸い込んで吐き出す。それだけでささくれだっていた心が少し癒された気がした。
「サリューン、おはようございます」
「おはよう、メル。風邪はもういいのか?」
「はい、もうすっかり。ごめんなさい、3日もご挨拶に来られなくて」
いつものように石の椅子に座っていたサリューンに近付き謝ると、サリューンは首を振る。
「元気になったならそれでいい。……あまり無茶はするなよ」
「……はい」
小さな声で続けられた言葉にアメリアは微笑み頷く。
「頂いた白いお花、まだ枯れずに光っているんですよ。とても良い匂いだし。ありがとうございます、サリューン」
「そうか。うん……。それは良かった」
サリューンは少し目を逸らしてそう答えてから、はにかんだように笑う。アメリアはそれを微笑ましく思いながら櫛を取り出し、「今日は髪を編んでみてもよろしいですか?」とそばに近付いた。
◇◇◇
朝の挨拶を終わらせ教皇の部屋に向かうと、教皇は珍しく机に向かい何か仕事をしているようだった。
「おはようございます、教皇様」
「ああ、おはよう、アメリア。すまないが少しだけ待ってくれるかな。これを書いてしまうからね」
「はい」
アメリアは自分の席に座るとなんとなく教皇を見つめる。書き物をしているようで手が忙しく動いている。
「具合いはもうすっかりいいようだね」
「あ、はい。ご心配おかけして申し訳ありません」
「いやいや、疲れが出たんだろう。リオンはちゃんと看病してくれたかい?」
「もちろんです。ちょっと怒られてしまいましたけど」
アメリアの言葉に教皇は手を止めて顔を上げた。
「なにを怒られたんだい?」
「私はなにも分かっていないって」
具体的な話はできず曖昧に答えると、教皇はじっとアメリアを見つめる。そしてふっと笑った。
「まぁ、あれにも色々思うことがあるんだろう。気を悪くしないでもらいたい」
「あ、いいえ。私がいけないんです。だからリオンを叱ったりしないで下さい」
アメリアが慌ててそう言うと、教皇は軽く笑ってまた手を動かしだした。
「今書いているのは月の神殿への書状なのだよ」
「月の?」
「ああ。サリューン様は夜も司る神だから、月の神とは近しい存在なのだ。月の神殿はかなり遠方にあるので、こうして書状をやり取りするくらいしか交流はできないが、もしかしたらアメリアならいつか月の神にも会えるかもしれないね」
「月の神……」
教皇の言葉にアメリアは他の神の存在に驚いたが、それよりも閃いた案に思考は向いた。
(そうだわ……。手紙……、手紙を書けばいいんじゃない……)
マティアスとのことでふいに突破口を見つけ、アメリアはこれからの算段を考え始めた。
◇◇◇
夜、寝る前の時間でマティアスに手紙を書いてみたが、それをどうやって渡すかをまた悩みだした。
白い封筒を睨み付けて考える。昔のようにいつもメイドがそばにいてくれたらこんなことで悩む必要もないのだが、今はそんな者はおらず何でも自分でやらなくてはならない。
自分がここから外に出られるのはご神託を持っていく日だけだ。基本的に寄り道も禁止されているし、実家に行くことさえ許されてはいない。
(そうなると……、やっぱり誰かに頼むしかないんだけど……)
アメリアが今誰かに頼るとしたら、思い浮かぶのはただ一人だけだ。
(リオンしかいないんだけど……。でも、やってくれるかしら……)
リオンは神官ではないが神殿で働いているし、基本的にアメリアの立場はしっかりと理解している。もしアメリアが戒律に背くようなことをすればきっと怒るだろう。
(言うだけ言ってみようかな……)
ただ手紙を届けるだけなら、もしかしたら戒律違反にはならないかもしれない。それにこれでアメリアの気持ちが晴れるなら、前向きに手伝いを買って出てくれる可能性だってある。
それでだめならまた何か違う策を考えればいいと決めると、アメリアは封筒を忘れないようにローブのポケットにしまい込んだ。
翌朝、朝食を食べ終えたアメリアは、胸をドキドキさせながらそっと封筒を取り出した。
「あの……、リオン、頼みたいことがあるんだけど……」
「ん? なに?」
「これ、を、届けてほしいの」
差し出した封筒を見下ろしてリオンが首を傾げる。
「手紙?」
「そう。えと……、私って手紙も出しちゃいけないの、かしら……」
「そんなことないだろ。誰に届けんの?」
怒った様子もなく封筒を受け取ったリオンは気軽に訊ねてくる。
「ア、アルバーン公爵家の……、マティアス様に……」
「マティアス?」
言いづらく言葉を途切れさせながら答えると、リオンの眉がぴくりと動くのが分かった。
「誰、それ」
「その……、知り合いなの。どうしても話さなくちゃならないことがあって……」
「どうしても話さなきゃならないことってなんだよ」
「それは……」
リオンの視線が痛くて目を合わせていられず顔を下に向けてしまう。それでもここで食い下がらなければ次の策は今のところ何もないのだからと、アメリアは顔を上げた。
「私この頃、色々あったでしょ。あれをちゃんと終わらせたいの」
「色々……」
「ちゃんとここで生きていくために、どうしてもマティアス様と話さなくちゃだめなのよ」
必死でリオンに訴えると、真っ直ぐに見つめてくるリオンの瞳が陰ったように見えた。
「……それでお前の悩みが消えんのか?」
「うん」
「……そっか。分かった」
「リオン」
「届けてやる」
静かにそう言ったリオンは、封筒をポケットにしまい皿を片付けると部屋を出て行った。
(あれは……、怒ったのかしら……)
聞いたことがないくらい静かな押し殺したような声だった。顔は怒ってはいなかったけれど、目は何かを言いたげだった。
なんだか胸が痛くてそっと手で触れる。
(このせいで嫌われてしまったらどうしよう……)
そう思った瞬間、心臓がドキドキと早鐘を打ち出す。
(全部終わったら……、気持ちの整理がついたら、ちゃんと話して謝ろう)
きっと事情を知れば分かってくれる。アメリアは願うようにそう思うと、両手をギュッと握り締めた。




