18話 私の気持ち
朝、目を覚ますとアメリアの熱はだいぶ引いていた。リオンは部屋におらず起き上がってみると、まだ少しだけ身体はだるい。
枕に落ちていた濡れたタオルを拾ってたたみ直す。昨日の夜は何度か起きた気もするがよく覚えていない。ずっとリオンがそばにいてくれたのだけは覚えていて、アメリアはふわりと微笑んだ。
「お、起きられたんだ」
「リオン、おはよう」
「おはよ。具合いは? もう平気そうか?」
扉を開けて入ってきたリオンは持っていたカゴを机に置くと、枕元の椅子に座る。
「起き上がれるし大丈夫みたい」
「なら良かった。ミルク粥作ってもらったから食えよ。で、元気になるまではシモン様の勉強は休みだってさ」
「あ! 朝のご挨拶!」
リオンが教皇のことを口にすると、アメリアは慌てて時計を見る。もうとっくに朝の挨拶の時間は過ぎていた。
「具合い悪いのに挨拶なんていいよ。サリューンだって別に挨拶くらい休んだって怒りゃしないさ」
「で、でも、それが私の仕事なのに……」
神子としての仕事で一番大切なのは神託を国王へ運ぶことだが、それ以外にサリューンと関わることは朝の挨拶くらいだ。今は勉強する身で、神殿での仕事もできないし、これでは役立たずになってしまう。
「仕事って、お前なぁ。挨拶が仕事な訳ないだろ」
リオンは呆れた顔をしながら机の上からカゴを取って中からミルク粥を取り出す。
「夫婦なんだから朝“おはよう”って言うのが普通だろ。具合い悪いのに無理して言いに行く必要もないし、仕事だなんて思ってやることでもないだろ」
アメリアにミルク粥を渡すと「食べろよ」と言ってスプーンを差し出した。アメリアは口答えしたい気持ちをとりあえず飲み込んでスプーンを受け取ると、小さく祈りを支げてから食べ始めた。
「メルはさ、難しく考えすぎだよ。サリューンはお前を嫁にしたんだぜ? 別に神殿の女官にさせた訳じゃない」
「リオンは嫁って簡単に言うけど、普通誰かの妻になったら、それなりの役割があるでしょう?」
「役割って?」
行儀が悪いとは思ったが食べながらリオンに反論する。訳知り顔のリオンを見つめて続ける。
「それは……、普通の家なら旦那様と一緒に社交界で知り合いを増やしたり、家のことを取り仕切ったりするものよ」
「それだけ?」
「えっと……、あとはお客様を招いてもてなしたり、領地があれば領民の相談を受けたり……」
「あとは?」
段々声が小さくなってきてしまいリオンから視線を外し俯く。なんだか自分で言っていることが空しく思えてきた。
「あとは……、一番大切なのは跡継ぎを産むことだと、思う……」
今言ったことは全部自分には当てはまらない。夫と夜会に行くことも客を招くことも、ましてや子供を産むことなど絶対にないのだから。
「やっぱメルはなんも分かってないな」
「リオンなら分かるって言うの?」
「俺も夫婦なんてよく分かんないよ。でもメルは最初から間違ってる」
「最初?」
「気持ちだよ。メルの気持ちが全然ないじゃん」
リオンの言葉にアメリアは思わず手を止めた。図星を指されて咄嗟に反論できない。
「昨日もなんかめそめそしてたし、ちょうどいい休みなんじゃん?」
そう言うとリオンは立ち上がる。
「食べ終わったら着替えしてから寝ろよ。んで、ゆっくり休め。今はまぁ、サリューンのことは置いといてさ」
アメリアは頷くこともできず困った顔でリオンに視線を向ける。そんな様子にリオンは肩を竦め苦笑を漏らしながら部屋を出ていった。
静かになった室内で盛大に溜め息をつく。色々考えることはたくさんあったが、とにかく今はこれを食べてしまおうとミルク粥をまた一口食べた。
◇◇◇
食事が終わってお腹いっぱいになるとまた眠くなってきた。そうして昼中寝てしまうと、今度は夜に寝られなくなってしまった。
アメリアは無理に寝るのを諦めると横になったまま今までのことを思い起こし、自分のことをしっかりと見つめ直すことにした。
(マティアス様がこんなに気になるのは、私がマティアス様のこと好きってことなのかしら……)
エリザベートがマティアスと婚約したと聞いて酷く傷付いた気がした。それは恋をしていたからだろうか。けれど前はそんな風に感じたことは一度もない。エリザベートが言ったように私はなんとなく婚約していた。父が纏めてきた婚約の話はとても良い縁談だった。マティアスの噂は知っていたし、母もとても喜んでくれたから断る理由はなかった。
マティアスは素敵な人だった。顔は申し分なかったし、性格も優しく穏やかでいつも優しく笑っていた。両親のような仲睦まじい夫婦になれると思った。それが結婚なのだと思っていた。
たぶんその時私はマティアスを好きにはなっていなかった。一緒にダンスをしている時も二人だけで話している時も、胸がときめいたりすることはなかった。楽しい時間だったけれど、ドキドキしたりはしなかったのだ。
(恋ってそういうものじゃないよね……)
ただ婚約が嬉しかっただけだ。漠然とした結婚を思い描いて夢見ていただけの子供だった。
それなら今どうしてこんなに胸が痛いのだろう。いまさらになってマティアスのことが好きになったのだろうか。
「好き……」
言葉にしてみてもピンとこない。どこか好きなところはあるかと考えてみるが思い浮かばない。それなら良いところを挙げてみようと頭を巡らせる。
(素敵で、優しくて……)
たったふたつで行き詰ってしまい、自分が何も知らないことに驚く。そしてふとさっきまでずっと一緒にいたリオンの顔が思い浮かんだ。
(リオンのことなら結構知ってるのよね)
おしゃべりで口が悪くてすぐ軽口を言う。ちょっと気が短くて、でも本当はすごく優しい。教皇のことが大好きなくせに、いつも憎まれ口をたたいている。
照れてしまうと視線を外すのが癖で、でもじっと見つめてくる時もあって、そんな時は黒い瞳が黒曜石みたいに輝いてみえる。
背がとても高くて手も大きくて温かい。いつも私を助けてくれる。――大切な人だ。
思考の行きついた先に浮かんだ思いに、アメリアは閉じていた目を開けた。
(なに今の……)
顔が急激に熱く感じて両手で頬を押さえる。
(違う違う! リオンはずっとそばにいてくれるから、えーと、そう! 兄弟みたいな感じなんだわ)
誰に言い訳することもないのに、慌てて今思い浮かんだ言葉を掻き消す。
(だいたい、比べるならサリューンでしょ? 私の夫なんだから……)
そこまで考えて少し冷静になるとゆっくりと起き上がった。暗闇の中に白い花が光っている。淡い光はサリューンの優しさを表しているようだった。
色々と考えてみたが、やはりマティアスのことをふっきるにはすべてを終わらせるしかない。
エリザベートとマティアスが本当に婚約したのなら、もう二度とマティアスには会わないと約束できれば自分の気持ちに区切りができるんじゃないだろうか。
もうこんなあやふやな感情に振り回されてるのはごめんだと、アメリアは元気になったらすべてを終わらせることを決心した。




