15話 訪問者
アメリアはマティアスからの手紙を燃やし、約束の場所には行かなかった。一晩中考えたけれど、やはりどうしてもそれだけはできなかった。
たくさんの人を裏切り迷惑を掛けることは絶対にできない。自分のあやふやな気持ちのためにすべてを犠牲にするなどできるわけがなかった。
それでも日々を送る中で、どうしてもマティアスのことは頭の片隅にいつもあって、アメリアの心が晴れることはなかった。
「どうした、ぼんやりして」
「あ! ごめんなさい」
サリューンの声にハッとすると、神託を慌てて受け取る。こちらを見て怪訝そうな顔をするサリューンからつい目線を外してしまう。
「このところ考え事が多いようだが、どうしたのだ?」
「なにも! なにもありませんから!」
アメリアはそう口早に告げると、腰を落として挨拶をしバタバタと神域を逃げるように出た。サリューンの目は何もかもを見透かしているようで落ち着かない。後ろめたい気持ちがそうさせてしまうのかもしれない。
沈んだ気持ちのまま神託を届け神殿に戻ったアメリアは、教皇の部屋に行き思い掛けない客に目を見開いた。
「ああ、神子様。今日は午前中の勉強はありません。アルバーン公爵がお越しですので」
「マティアス様……」
教皇の部屋にいたアルバーン公爵とマティアスがソファから腰を上げると、アメリアに笑顔を向ける。
「神子様、突然の訪問申し訳ありません。どうしてもお話がしたく、教皇様にお願いしてしまいました」
「いえいえ、閣下は国王陛下の叔父君でありますから、まったく問題ありません」
何も答えないアメリアの代わりに、にこにこと教皇が返事をする。アメリアが驚いて固まったままマティアスを見つめ続けていると、その様子にアルバーン公爵はふっと目を細め、マティアスの肩をポンと叩いた。
「今日は天気も良いことですし、庭でも散策しながら話してもよろしいでしょうか」
アルバーン公爵の言葉にどう答えていいか分からず、教皇に助けを求めるように視線を送ると、教皇は笑って頷いた。
「もちろん、構いません。ただし、神殿から出られませんように。神子様は外には出られませんので」
「ああ、それは重々分かっております。では、神子様、行きましょうか」
「え……、あ、は、はい……」
アルバーン公爵に外へ促されぎこちなく足を進める。アルバーン公爵は以前から知っているが、アメリアは威厳のある顔や雰囲気がとても苦手だった。特に冷酷にも見える氷の色の瞳に見つめられると、何も悪いことをしていないはずなのに居心地が悪くなった。
庭までご案内いただけますかと言われ、アメリアは小さく頷くと先導して歩いた。この後どうしたらいいのかと、ぐるぐると悩んでいる内に神殿の中庭に着いてしまい足を止める。
「こ、こちらが中庭です」
振り返りながら上擦った声で言ったアメリアは、そこにマティアスしかおらずまた驚いた。
「え、あの……、公爵様はどこに?」
「父は席を外してくれたよ」
マティアスはにこりと笑うとアメリアに一歩近付く。思わずアメリアは一歩下がった。その様子にマティアスは困った顔をしてその場に止まる。
「すまない、アメリア。押し掛けるようなことをしてしまって。約束の場所に来てくれなかったから、どうしても気になってしまって」
「あ、あれは……、ごめんなさい……」
どんな約束であれ破ってしまったのだからとアメリアは謝った。けれどマティアスは笑顔で首を横に振る。
「悪いのは僕だ。あんな手紙を突然出して悪かった。驚いただろう? どうしても気が逸ってしまって、軽率なことをした。本当にすまない」
「マティアス様……」
「僕は邪まな気持ちで君に手紙を書いたんじゃないんだ。ただ君を助けたかった。以前のように楽しく話すだけでも、もしかしたら君の心が晴れるんじゃないかと、そう思ったんだよ」
マティアスの言葉から誠実さを感じて、重苦しかった心が少しだけ軽くなる。
「……ありがとうございます、マティアス様。会いに来て下さって嬉しいです」
「良かった。また迷惑を掛けてしまったのかとひやひやしたよ」
明るい口調でそう言うと、歩きながら話そうかとアメリアを誘いゆっくり歩きだす。
マティアスが日常の事をあれやこれやと話す内に、緊張が解けてきたアメリアは笑顔を見せ少しずつ自分のことを話しだした。
「では今は掃除も自分でしているのかい? 大変だろう?」
「最初は全然上手くできなかったんですけど、毎日やっていたらだいぶ上手くなったんです。今でもちょっと失敗することはあるんですけど」
「そうか。一生懸命やっているんだな。アメリアらしい。覚えることもたくさんあって嫌にならないかい?」
「勉強はとても楽しいんです。この国のことも、世界のことも知らないことばかりだったから。……本当にそれはすごく楽しいんです」
まだ知らない広い世界のこと。知れば知るほどもっと興味が湧いてくる。神域で見た夢のような冥府の景色も、ここに来なければ一生見ることはできなかっただろう。
「僕は未だに信じられないのだけど、本当に神はここにいるのかい?」
「ええ、いますよ。神域にいつもいます」
「いやぁ、そうなのか。驚きだなぁ」
マティアスの信じられないという声と表情にアメリアはクスッと笑う。今ではすっかり日常でなんだか不思議に思うこともなくなってきてしまったが、最初は自分もそうだった。こればかりは言葉で言ってもなかなか信じられるものじゃない。
「僕も色々調べたけれど、この国以外にも神を持つ国があるんだろう? それらが神託を受けて国を動かしているのだとか」
「そうです。ご神託は国を正しい方向へ導くための道しるべなのだとか。だから今この世界には大きな戦争が起こらないのですって」
――何百年も前にはこの世界にも国同士の激しい戦争があったという。領土を奪い合い醜い争いが続いた。それを憂いた神々がそれぞれの国を治めることにした。そうしてそこに住む人々に神託を授け、国を豊かにし大きな争いが起こらないように導いたのだ。
それは現在まで続く、始まりの神話。
「だから僕たちの世界は平和なのか。やはりすごい存在なんだね、神っていうのは」
「そうですね」
アメリアが頷くとマティアスと目が合って微笑み合う。後ろめたい気持ちがやっと消えていくのが分かった。こんな風に正しい手順で会うことが許されるなら、これからもたまにこうして会えるだろうか。それも考えてはいけないことだろうか。
「君はいつも神託を国王陛下に持って行っているけど、中身がどんなものなのかは知っているのかい?」
「いいえ、私は見たことがありません」
「そうか……。あ、ほら、アメリア、ここに黒バラが咲いているよ。やはりこの神殿ではバラも黒なんだね」
無邪気な様子で笑ってバラに目を落とすマティアスの横顔を見つめ、自分のこの気持ちがなんなのかを考える。エリザベートのように激しい気持ちはない。ただマティアスの優しさに触れると、どうしても心が傾くのを感じる。彼と共にいたいと願う自分が確かにいて、それが彼を好きだという答えになるのかと問われるとはっきりと頷けない。
(好きってどういうことなのかしら……)
もし物語のようにマティアスが手を取って二人で逃げようと言ったら、自分は頷くだろうか。何もかも捨てて二人だけで生きていけるだろうか。
想像してみてもまったく答えは出てこない。
(エリザベートならきっと躊躇いなく頷く……)
彼女は確かにマティアスに恋をしている。その真っ直ぐな気持ちが今は少しだけ羨ましい。自分の心は曖昧でいつもふらふらと揺れている。正しい形も分からずただ手の届かないところを宙にぷかぷか浮かんでいるだけのように感じるのだ。
「アメリア、またこうして会ってくれるかい?」
「……もちろんです。マティアス様」
優しく問われて頷いてしまう自分に、アメリアはこっそりと溜め息をついた。




