14話 対立
「どういうつもり? アメリア」
聞いたことがないほど押し殺した低い声を出したエリザベートがゆっくりと近付いてくる。
「エリザベート……。これは、あの」
何か言い訳をと考えるより先に頬を打たれていた。頬の痛みに顔を歪めて、けれどエリザベートを真っ直ぐ見ることができない。
「あなた、嫁いだのよね? それもこの国の神に。この国で一番偉くなったんでしょう? だからあんな派手なパーティーを開いたのよね? それがなに? こんなところでコソコソとなにをしているの?」
アメリアはただエリザベートの叱責を唇を噛んで耐えるしかない。どう考えても言い訳ができるような状況ではなかった。
「結婚して夫がある身でこんなことしていいと思っているの!?」
「エリザベート、私は」
「まだマティアス様のこと、諦めてなかったのね」
「それは」
「マティアス様にあんなこと言わせて、あなた恥ずかしいと思わないの? 婚約破棄の理由はあなたの落ち度であることに間違いはないのに、庇ってもらおうなんて虫が良すぎるわ」
エリザベートはそこで言葉を一つ区切ると、自分を落ち着かせるように小さく息を吐く。アメリアはその沈黙さえ責められているようでつらかった。
「マティアス様はお優しいからあなたのことを気に掛けてくれているだけよ。それを断りもせず浅ましく好意を受け取るなんて最低ね」
「……分かってる。こんなこと絶対ダメなことくらい分かってるわ」
ここまできてやっとアメリアはエリザベートの顔を見られた。エリザベートの表情はどこか焦ったような必死な様子だった。
「それでも婚約破棄のこと、ちゃんとしておきたかったの。理由はどうあれマティアス様がどう考えていたか知りたかったの」
「知ってどうするつもり!? これ以上なにかしたら不貞行為になるわよ!!」
「分かってるわ……」
エリザベートに言われなくてもそんなこと分かっている。サリューンの妻として、これ以上マティアスに個人的に接触することも、気持ちが揺らいでしまうことさえもあってはならない。
「明日、マティアス様との正式な婚約のお話をしに、公爵家へ行くの」
静かな言葉にアメリアは目を見開く。
「驚くこと? 前に言ったわよね。必ずマティアス様と結婚するって」
「でも……」
「マティアス様はすぐに私の婚約者になるわ。だからマティアス様があなたに言ったこと、真に受けないことね」
エリザベートの刺すような冷たい視線を受け止めアメリアは奥歯を噛み締める。
「もし万が一またこんな風にマティアス様と姑息な手段で会おうとしたら、容赦しないから」
「どういうこと……」
「あなたが神の妻でありながら、婚約者のいる男性を誘惑したと報告するわ」
「エリザベート……」
「もう二度と私の邪魔をしないで!!」
そう言い放つとエリザベートは踵を返して帰って行った。アメリアは一人になった途端、力を失くしてその場に蹲った。
(分かってる……。エリザベートが正しい……。これは絶対いけないことだもの……)
こんなことを知ったら教皇もリオンも怒るだろうし、サリューンはきっと悲しむだろう。
(マティアス様のお心を知ることができたんだもの……、もういいじゃない……)
マティアスは婚約破棄を望んでいなかった。もう知りたいことはない。だから会う必要はない。
アメリアはそう自分に言い聞かせる。そうして握り締めていた手の先が左手の薬指にある指輪に触れて視線を落とした。
黒く輝く黒曜石はサリューンを思い起こさせる。
形ばかりでも自分はサリューンの妻なのだ。
(サリューンの妻……)
こんな風にして、自分は一生揺らぎ続けていかなければならないのだろうか。そう考えると涙が溢れた。
好きな人と共にいることができれば、こんなつらい思いはしなかっただろう。一生悩み続ける苦痛を味わうこともなく、安穏と生きていけただろう。
この役目がどれほどの地位であろうが、神聖な立場であろうが、それがアメリアを慰めることは何ひとつなかった。
◇◇◇
とぼとぼと神殿に戻ってきたアメリアは、白の間に入るとリオンと出くわした。いつもはこの時間にここで会うことがないのでお互い驚いた顔をしたが、リオンはすぐにこちらの様子がおかしいことに気付いて顔を覗き込んできた。
「具合い悪いのか? 真っ青だぞ」
「……ううん。大丈夫……」
「……泣いたのか?」
頬に涙の跡があったのだろう。アメリアは慌てて頬を手で隠すようにごしごしと擦る。
「なんかあったか?」
「……なんにも」
「なんにもなくて泣くやつなんていないだろ」
「ホントに……、なにもないよ……」
小さくそれだけ言うのが精いっぱいだった。一言でもなにか言ってしまえば、すべてが暴露してしまいそうで怖かった。
リオンは心配そうに首を傾げると、少し待ってろと言って白の間を出て行く。部屋に残ったアメリアはポツンと部屋の中央に立ち、ベールを見つめる。
「ごめんなさい、サリューン……」
ちゃんと決めたはずだったのに。前を向いて歩くと。誇りを持ってこの仕事をするのだと、そう思った心はどこに行ってしまったのだろう。
また涙が溢れそうになって顔を顰めて堪えていると、扉が開きリオンが戻ってきた。
「ほら、これ顔に当ててろよ」
濡れたハンカチを差し出されて、アメリアはおずおずと受け取る。頬にそっと当ててみるとひんやりとした感触が気持ちいい。
「ありがとう、リオン」
「そんな顔して歩いてたら、皆心配するぜ。シモン様なんて、この頃メルのこと娘みたいに思ってんだからさ」
教皇のことを口にしたリオンは苦笑しながら肩を竦める。その様子に少しだけ元気を貰うと口の端を上げた。
「もう大丈夫だから仕事行って。私も教皇様のところに勉強に行くわ」
「大丈夫か?」
「うん」
小さく頷くと、リオンはそれ以上何も聞くことはせず白の間を出て行った。
アメリアも頬の熱が引いたのを確認すると、その日はとにかく勉強だけに集中してすべてを忘れることに専念した。
◇◇◇
それから数日後、夜寝ていると物音がして目を覚ました。小さな音で扉をノックされている。
(こんな時間に……、リオンかしら……)
もう深夜を回っており神殿の中は寝静まっている。アメリアは不審に思いながらも起き上がると、扉に近付いた。
「どなたですか?」
あまり大きな声にならないように小さく聞いてみるが返答はこない。どうしようかと思ったけれどゆっくりと扉を開けてみると、フードを目深に被った見知らぬ男性が立っていた。
「アメリア様にこちらをお渡しするように言われてきました」
「え?」
扉の隙間からさっと手を差し込まれて手紙を押し付けられる。思わず受け取ってしまうと、その人はもう背中を見せて遠ざかっていってしまった。
アメリアはもう誰もいない白の間の空間を少しだけ見つめたあと扉を閉めた。手にしている手紙を見下ろして、まさかと思いながらも机に近付き灯りを付ける。
そこにはマティアスの名前が記されていた。
「そんな……」
驚きに手が震える。中を見てはいけないと小さく首を振る。それでもどうしても抗いきれない誘惑に負けて、アメリアは封を切ってしまった。
中には日付と場所だけが記されている。
なにを示しているかなんて考えなくても分かる。そうしてアメリアは苦し気に眉を歪め、手紙を胸に押し付けた。




