13話 マティアス
今日は神託を国王に持っていく日で、アメリアはいつもより入念に身なりを整えると、サリューンから神託を受け取り白の間を出た。
神殿の外に出るとフードを被る。外ではこうして身を隠すような格好だけれど、アメリアはそれでもしっかり髪型を整えローブに皺がないかと注意を払う。
この仕事に誇りを持ってやろうと決めた。拝謁の儀であれほどの姿を見せてしまったのだ。この仕事が惨めで恥ずかしいものなのだと思われたくないし、思いたくなかった。
前を向いて毅然と歩く。絶対に下を見ないと決めた。
「仕事には慣れましたか?」
「はい。だいぶ慣れたと思います」
国王に神託を届けると、珍しく話し掛けられた。国王は見終わった神託を机にしまいアメリアに微笑み掛ける。
「即位式と拝謁の儀はとても素晴らしいものでした。祈りの歌には感動しました。王妃は神子様のドレスに魅了されたようです」
「そのような……、嬉しいお言葉、ありがとうございます」
「新たな神子様があなたで良かったと、サリューン様に感謝をお伝えください」
「は、はい……」
国王の言葉に思わず照れてしまう。それと同時に国王にも認められ評価されたのだと思うと、嬉しさが胸に溢れてくる。
国王の部屋を退出すると、軽い足取りで王宮を出た。
(褒められてこんなに嬉しかったことがあるかしら……)
ダンスや習い事で褒められたからってこんなに嬉しいことはなかった。いつもどこかで空しいような気持ちがあって、心の底から嬉しいと思えなかった。けれど今、神子としての仕事を褒められてこんなにも嬉しい。
なにがどう違うのかよく分からず、違いを考えながらもアメリアは嬉しさを噛み締めて歩いた。
◇◇◇
王宮の敷地から長い階段を上がると、美しいバラの花がアーチになった場所を横目に歩くのだが、アメリアはなんだかとても気分が良くてついそちらに足を向けた。
色とりどりのバラの花はとても美しいし良い香りがする。アーチをくぐってから神殿に戻ろうと、少しの寄り道を楽しんでいたアメリアは、けれどそのアーチの先に見知った背中を見つけて足を止めた。
「マティアス様……?」
目を見開いて小さく囁く。こちらの声に気付いて振り向いた顔は確かにマティアスだった。
薄い茶色の髪に空のような青い瞳。貴族の中でも美青年だと名高い美しい顔がアメリアを見つけると、パッと輝いた。
「アメリア!」
名前を呼ばれて驚く。その場に固まったまま立ち尽くしていると、マティアスが駆け寄ってきた。
「良かった。ここで待っていればきっと君に会えると思っていたんだ」
「マティアス様……、どうして……」
「君とちゃんと話がしたくて」
「話……?」
動揺する心を抑えるのがやっとで上手く返事ができない。マティアスは目の前に立つと見慣れた優しい笑みを浮かべる。
「まず君に謝らなくてはならないと思って。婚約破棄のこと、本当にすまなかった」
「そ、それは……、もうおっしゃらないで下さい。……過ぎてしまったことですから」
「いいや。こんなことになってしまうのなら、もっとしっかり自分の意思を両親に伝えるべきだったんだ」
アメリアの手を持ち上げたマティアスは、両手でギュッと握り締めてくる。アメリアの鼓動は痛いほど早鐘を打った。
「どういう、ことですか?」
「あの婚約破棄は母が言い出したことなんだ。公爵家に嫁ぐには素直でおしとやかなレディでなくてはならないと。でも僕はそんなこと気にならなかった」
「マティアス様……」
「母の言葉に父も同意してしまって、僕にはどうにもならなかった。僕の気持ちなんて両親は欠片も酌んではくれなかった。だからあんなことになってしまったんだ」
初めてマティアスの本心が分かってアメリアは涙が溢れた。なぜ今なのだろうか。こんなことになってしまってから聞かされても、もうどうにもならないのに。
「拝謁の儀の時、君の姿を見てやっぱりちゃんと伝えようと思った。君を傷つけてしまったことを謝りたかった」
「そんな……、私……、私は……」
マティアスがあの時、婚約破棄を望んでいなかったのだと分かっていたら、何かが変わっていただろうか。あの日、色々なことが一度に起こって、すべてに流されてしまった。婚約破棄に抗うこともせず、サリューンへの嫁入りもなし崩しに終わってしまった。そこに自分の意思はなかった。
「私こそ……、ちゃんともっと言えば良かった……。サリューンの妻になるなんて、そんなこと……できないって……」
「アメリア……」
なぜそう言わなかったのだろうか。父の立場を悪くできない、貴族の娘が反対などできないと自分に言い聞かせた。でも本当はそんなことではない。本当はただ抗うのが怖かっただけだ。勇気が出なかった。その一言ですべてが壊れてしまうかもしれない、その責任を負う勇気が持てなかった。
エリザベートの言葉が頭をよぎる。
今までなんとなく生きてきた。伯爵家に生まれて裕福に育てられ両親に愛され、何もかも与えられてきたから、ちゃんと考えたこともなかった。何が欲しくて何が大切なのかを。
それが大きなツケとなって返ってきたように思えた。
「アメリア、君は悪くない。君が神に嫁入りすると聞いて本当につらかった。これからずっと神殿に閉じ込められて暮らすのかと思うと、どうにもできない自分が悔しくてたまらない」
「……ありがとうございます、マティアス様。でも、これは大切なお役目ですから。もう私のことは気にせず」
「そんなことできるわけがないだろう!」
「マティアス様……」
アメリアの手を強く握るとマティアスは顔を近付けて首を横に振る。
「君がつらい思いをしているのに、見て見ぬ振りなんてできない。こんな格好までさせられて、神殿で奉公しているなんて放っておける訳ないだろう?」
「それは……」
「もう婚約者に戻ることはできないが、以前のように君を助けていきたい。だめかい?」
やっと前向きに自分の務めを果たして行こうと決めたばかりだった。誇りを持って生きて行こうとしていたのに、マティアスの言葉に気持ちは激しく揺らいで崩れていく。
「私……、どうしたら……」
下を向いて涙を拭う。そうしてそっとマティアスに抱き締められた。
「泣かないでくれ、アメリア」
優しい言葉が胸に沁みる。甘い香水の匂いに包まれて何も考えられなくなっていく。
「君を独りにしない。約束する」
「マティアス様……」
否定も肯定もできずただ名前を呼ぶことしかできない。とても嬉しくて、とても悲しかった。
少しの時間そうした後、マティアスは身体を離しまた優しく微笑んだ。
「またこうして会おう」
必ず会いに来ると約束すると、マティアスはアーチを抜けて去って行った。アメリアはその背中を見つめたまま一歩も動けなかった。
突然のことに頭が付いていかない。マティアスの話したすべてを思い出そうと必死で考える。
(こんなこと……いけないことよね……)
まるで逢引のようだった。サリューンの妻としての立場を考えれば、こんな風に隠れて男性に会うなどしてはいけないに決まっている。
それでもアメリアは完全に拒否することができなかった。マティアスとこうして話せたことが本当に嬉しかった。それが嘘のない自分の気持ちだった。
「マティアス様……」
そうまた呼べたことが嬉しくてつい呟くと、背後でカツンと靴音がして振り返った。
そこには激しい眼差しでアメリアを睨み付けるエリザベートが立っていた。




